風に吹かれてぶらり旅

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誇りを持って仕事する

2006-08-12 20:21:39 | 徒然
 先に書いた『光の教会 安藤忠雄の現場』という本で最も印象に残った部分がある。

 それをちょっと抜粋。

 
 「『変更』っていうのが、現場で一番困りますからね。僕らもよう打ち合わせしとって、それこそ安藤事務所のスタッフでも、時に文句言うたり、小言いったりしますけどね」
 ちょっと昔のことであるが、安藤事務所との仕事中、設計変更を当然であるかのように命令口調の高圧的な態度で要求されたことがあった。さすがにその時は那須も怒った。

「あんたはそこで線を一本引っかいたらそれで終いや。しかし、それを形にするためにいったいどんだけの人間が動いてるか、その辺よう考えてやれよ」

建築の図面に描きこまれる線はその一本一本のすべてが意味を持っている。曖昧な線は許されない。図面を受け取った他人がそれを現実のモノとしてつくり上げねばならないのだ。少なくとも現場監督が職人に指示を出す時には、職人が納得できるような説明をしなければならない。そうでなければ人を動かすことはできない。それを同様、安藤事務所のスタッフにも現場監督を納得させられるだけの根拠が必要なはずだ。



 ちょっと長くなってしまったけれど、この本の中で強烈に印象深かった部分だ。「那須」という人物は現場の工事をまとめる建設会社の現場監督だ。著者はこの立場について描いているのだけど…これはまさに、私が現場でよく目にする光景だったのですよ。
すでに実施の図面が現場の施工側に行き渡っている段階で、設計者のアイディアが途中から盛り込まれたり、逆に削られたりすると現場ではそれに伴って工事も中断したり、新たにやり直したりする。
図面を描いている方は紙の上、コンピューターの画面の線一本を動かすだけでも、実際に工事をする側はそう簡単にはいかない。せっかく取り付けたものを「やっぱり変更ね」と当たり前のように言われたんじゃ頭にきて当然だ。また、その変更に伴う工事費の増額分は施主に渡してある見積もりには入っていないから、結局工事を請け負う側の負担となることが殆どらしい。
「変更」にはお金と人の気持ちが絡むのだ。
それを考えず、「当たり前のように」指示することがよろしくない。

 以前現場の施工の責任者の人に聞いたことがある。
「現場で変更があるのは日常茶飯事で仕方がない、変更がないことなんてない。現場が1/1の図面なんだ。生き物なんだよ。でも当たり前のように変更だからやってと言われてもこっちは職人動かさなきゃなんないんだからそのへん分かってんのかって言いたくなる。逆に申し訳ないけどっていう気持ちというか一言でもあれば気持ちよくやるよ」

 私は線一本でどんだけ熟練しているかがわかる昔の手書きの図面の時代と、操作さえ覚えてしまえば私でもCADで簡単に図面がひける時代、今は設計者はこの職人気質がなくても建物を描くことができるようになったのではないかと思う。同時にそれは実際に現場の作り手との気持ちの開きを生んでいるのではないか。
設計者は何もないところから空間を生み出す。でもそれは実際に作る人がいなければ現実には生まれない。施工側は設計者の意図を理解しようと努めて、設計者は施工側がどんだけ体張って建物を作っているかを知らなければならない。
工事の変更はお金で解決できることもあるのだろうけれど、それ以前の意識で両者の理解があるか、コミュニケーションがとれているかが本当に建物を作る上で大事なのだ思った。

 これは建物を作る仕事に関わらず、複数の人が関わって何か一つのことを成し遂げようとするときにいえることでもあると思う。

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