風に吹かれてぶらり旅

まっすぐに生きる人が好き

自問自答ブログ

2006-08-24 16:57:46 | 徒然
 今までやってきたことを振り返ると、

介助者の仕事、
園芸店での販売+売り場管理、
設計事務所のバイト、
内装監理室の事務、

園芸店は少し違うけれど…
介助の仕事、設計事務所、現場事務所の事務も、
みんな補佐というかサポート的な仕事だった。
それが自分に合っているのか?

障害を持った方の自立生活をサポートすること
アトリエ設計事務所のアシスタントのような形で働くこと
大規模な建設現場の内装監理室でスタッフの方をサポートすること

共通するのは障害を持ってる人の生活を支える事業や設計の仕事に興味はあるものの、結局裏方に回る仕事をしてきたということ。
そいういうことがやりたいのか?
…多分、好きなんだと思う。
でも、それを辞めてきた(設計・現場事務所に関しては辞めざるを得なかった)のは何かが合っていないからなのだろう。

園芸店でのバイトは、正直学ぶことも沢山あり、実際に植物に触れて、夏の暑さや冬の寒さなどを感じることができた貴重な経験だった。
けれど、なぜ辞めたのか?
それは…もっと成長したい、広い世界をみてみたいと思ったから。
好きだったけど、いつまでもここにじっとしてるわけにはいかないと思ったから。もっと自分の可能性に挑戦したいっていう気持ちがでてきた。

 これは私の直感的に感じたことを荒々しく組み立てた仮説で、根拠があるわけではないのだけれど…

社会の中で、介助、園芸店の業種自体は家庭的、閉鎖的、女性的、といった特徴を持ち、役割を担っていると思う。いわゆる福祉業界、園芸・生花店などは利益を追求するという市場原理に合わない業界だからだ。人や植物という生命と対する仕事だからかもしれない。介助の質を上げようと思えば、いい人材、福利厚生、教育が必要になる。つまりコストと時間がかかる。また一人の介助者が長年介助職を本業にして職務に徹することは肉体的にも精神的にも負担を考えて難しいことで、そこに個人の能力の成長が必要となる。パソコンができる介助者であればそれを利用者は使うことができる。逆に介助者が手話を習得すれば聴覚に障害のある人の介助に入ることもできる。個人の能力の伸びと人間性のよさ、それがダイレクトに障害を持つ人の生活の質の向上になる。つまり…求められる役割は障害を持つ人の手足となって生活を支えるサポートという立場だけれど、常に社会に対し問題意識と向上心を持って行動でき、情緒の安定、社交性があり、積極的に現状を切り開いていく革新性が求められるのだ。そういう人材はどんな企業だって欲しがると思う。そしてそういう優秀な人材を確保するのと同時に、そこだけで抱えていても組織の活性化に繋がらないという矛盾がある。介助者の生活の安定と介助の質の向上をその組織だけで担うことは難しいのだ。事実、老人保健施設で働く人の話を聞いたりするとそのスタッフがいかに疲れてしまっているか、モラルが低下しているか、そいういうことを感じるのだった。
 まとめると、介助、園芸店での仕事の立場は女性的なきめ細やかさや配慮が必要だが、働く人に求められるものは逆に男性的な行動力、バイタリティ、社交性、革新性、陰と陽でいえば、「陽」のパーソナリティだった。少なくとも私はそう感じた。私のいた園芸店でも本質的には同じことが言えるのではないかと思う。共に働く人は女性が殆どだった。

 設計事務所や建設現場の事務所へ行ってみて初めて、自分がいかに社会人としての経験が浅いかを知る。いかに、知らないかということを知ったことは自分にとってとても意味のあることだった。
そこで感じたことは、言うまでもなく男性の職場であるということだ。
まず、関わる人の多さ、そして対人ではなくモノを介して利益を得るということだ。体力的にも精神的にも人と競う、争う、新しいものを創造する、エネルギーを何かにぶつけることで利益が生まれるそいういう業界だ。だから、それに堪えるだけの知識、経験、技術、社交性、行動力、交渉力、管理能力などが必要となる。それが未熟な者は競争に負けてしまうし、それに長けている者は利益を得られるつまり仕事を得られる。幅広い視野とタフな精神力と体力、頭脳勝負となる。けれどそこで更にさっき書いた陰と陽でいえば、「陰」の心遣いや気配りができる人が伸びるし一流、あるいは「仕事ができる人」と評価される。
 
 何が言いたかったのかというと、、、自分に適した業種と職種のマッチングがあるのではないかということだ。
好きなこと、やりたいこと、だけでは漠然としているけれど、
自分はどんな業界で、どんな職種で働きたいのか?
自分はどんなことに興味を持っていて、どんな性格なのか?
この二つを分けて考えることで少し見えてきそうだ。

 介助時代のことを思い出したついでに、
クローゼットにしまってあった1年前に描いたスケッチを取り出して眺めてみた。
まだ職業訓練に行く前のこと、スケッチとかパースとかそいういうことを知らなかった時に描いたんだ。介助の事務所の近くにある、小さな神社だけれど、落ち着いていて好きな場所だった。「自分は絵が好きなはずだ!描きたい思いはある!」と思って描いたらやっぱり描けなくて、がっくりした絵だった。
「描かないと」と思うとなぜかけなくなるんだろうな。
今は少し、描くときの感覚を思い出せるときもある。
その木肌や曲線に頬を寄せるように、体がその対象と一つになるように、
まるで溶け合うように、純粋に目に映るものと仲良くするっていうイメージだ。
話し合うように。
そうすると、他の人は下手と言っても、自分は納得できる絵が描けるものだ。


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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
見つめなおす機会 (けいまま)
2006-08-24 22:03:47
久しぶりです。

出産の為岩槻にいて、ネット落ちしていました。

久々に訪問して、人生を精一杯おくろうと、真剣に色々考えている姿に、感銘!!

私も、二児の母としてしっかりしなきゃね。

毎日、めまぐるしく過ぎていくけれど、

その中に幸せを感じていきたいな。

川口、留学中です。

人生いろいろです。。。
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感銘だなんて・・・ (ほん)
2006-08-25 01:49:50
 けいままさん、おひさしぶりです。ご出産おめでとうございます!!!!!!!

うわぁ…なんだかあっという間ですね。

もう名古屋にお戻りなのでしょうか?



川口先輩再び留学ですか…!本当に人生、人それぞれですね。しみじみしちゃいました。



幸せって目標であってはならないといいますが、

先輩のおっしゃるように…何気なく過ぎる毎日に思えてもそのことの幸せを感じられることってとても大事ですね。そもそも、けいままさんは旦那様と二人だったんですもんね…そこから4人になっちゃうんですから。すごい変化ですよね。何気ない毎日の生活でも幸せを感じられる自分にチェンジできることでどんなに人生の時間が豊かになるか…考えてしまいました。

色々考えてはいるものの、そういうこと、忘れてました。気が付かせてくれる先輩に感謝です。
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