桜の花、いろいろな木を通りがかりに見ると、きょうがモリモリ感が出て、満開かしら?
火曜の雨で散っちゃう!と思って、月曜のレッスン後に、焦って見に行っちゃったよ。
写真って静止画だけど、実際に行ってみると、枝が揺れて花も一緒にフワフワしたり、川の水が反射して光っていたり、流れ続けていたり、お年寄りの人がゆっくり歩いていたり、ときどき花びらが舞ってきたり、動いているところにいる時ほど、時間が止まったような。
逆に動きを静止画で表現するっていうことをするから写真家ってすごいなぁ、とか思ったり。
「自分」というものがどうでもいいようになっちゃうような場所に行ったり、景色を見たりすると、何だか心が軽くなって、とらわれや不安がなくなって、ひらめきが降りるスペースができるような感じがあるのは、何かのヒントなのかしら?
人が行動を起こす動機って、
①自分のため
②人のため
さらに細かくしてみると、
①自分の欲や自己承認欲求を満たすため
②相手を幸せにして満たすため
③その他どうでもいいくだらないけど大事な楽しいことなど
に分かれると思うんだけど、サービスにおいては成り立つのだけれど、日常の人間関係において、①を②の人がいつも満たしてあげるってすごく気を使うし、エネルギーを吸い取られることでもあるんですね。
例えばそこに、上下関係が絡んでいて、上の人の①を下の人の②がフォローするって、奴隷関係に近いぐらいのものがあると思います。
上の立場の人が、自己承認欲求が強いと、立場やメンツを大事にするので、こんなすごいことしたよ!こんな成果を上げたよ!皆と違うことやってますよ!っていうアピールは上手なんだけど、その下でこつこつやってる②の人たちが踏み台にされているっていうか。
人の自己承認欲求のために、「やらされている」タスクに関して、友達が悩んでいたので、そういうことにエネルギー浪費しないほうがいいよ〜、てきとうにやっちゃいなよ、というゆるいアドバイスしたのだけれど。
②の人って優しいから、ついがんばっちゃうんですよね。
だから②の人って、自分が自分がっていう人から少し離れて、景色見に行って見たり、③などのどうでもいいことすると、救われるところがあるかも。自然って自己主張しないから。
わたしもそうだけれど、何かを伝えたり、先生って呼ばれる職業の人はとくに、①になっていないか、いつも点検、内省して、②であるようにしなきゃっていつも思います。
和紙、お札の原料にもなってるミツマタ。
いろいろな花が咲いてて楽しい〜春!