Eriko Yoga Class ヨガ 海老名

海老名で、初心者から、ヨガが大好きな方まで楽しめるクラスをご用意しています。男性のご参加も歓迎です。

Maya

2020-02-14 17:26:48 | Yoga Philosophy

わたしたちは、そのままで大きな自然の一部であり、完璧なバランスの中にいるといわれています。まわりの物や自然も人も同じで、花はそれぞれの形や色で咲き、蜜蜂は花粉を運び、風は種を運び、土は種を育みます。

それぞれが存在することが、必要とされ合っていて、同じように自分が自分でいることだけですごいことなのに、外から入ってくる情報や、社会の常識、いろいろなものが影響して、そのことにベールをかけ、見えづらくしてしまいます。

自分はダメだ、と思い込んだり、足りないと思うものを外から得ようとし続けたり、いつまでも満たされず、苦しみが生まれます。

わたしたちの見る世界は、映画のようにストーリーや背景があり、登場人物があり、関わりながら流れていきます。ストーリーに感動もするし、腹を立てたり、憎んだり、喜びがあったりもします。同じ出来事を経験しても観る人によって捉え方が違うし、感情の動きも受け取り方も変わってきます。

ただ、そこに事実があるだけで、それをわたしたちは自分の世界で解釈して受け取ります。それが記憶や感情として残っていきます。

移り変わる世界はイリュージョンのよう、といわれます。また生まれる感情や思考もイリュージョンであり、自分の色眼鏡や認識を通して見る世界は(Maya)と呼ばれます。

そこにあることを自分の心の動きのままにジャッジしたり、こうだからこう、と決めつけたり、差別したり、思い込みに左右されたりすることが、自分や世界をありのままに見ることから遠ざけてしまいます。

般若心経でも同じことが言われています。

無受想行識  

無眼耳鼻舌身意  

無色声香味触法  

無眼界  乃至無意識界  

(心に抱く感覚や、意志、思考、認識もまぼろしのようなもの)

(目、耳、鼻、舌、も)

(色や形、音、香り、味、皮膚に触れる感覚、音、思いも実体のないもの)

(目から入ってくるもの、感覚、そして心の動きや認識を通して見る世界もまぼろしのようなもの)

すべてであるかのように見える世界の形あるものは、わたしたちが作り出している認識であり、実体は空である、と説いています。

そのように見ている自分に気づき、巻き込まれずに、ただ自分はそのままで自然であり、満たされ、くつろぎであること、それに気づく力も自分の中にあります^^

ヨガの技法は、それをちょっと手助けするものです。

✳︎    ✳︎    ✳︎

To be beautiful means to be yourself.

  You don't need to be accepted by others.

  You need to accept yourself. '

Thich Nhat Hahn

 

美しくあるということは、あなた自身になるということ。

他の人に認められようとしなくていい、自分自身を認め、受け入れること。

ティク ナット ハン

 

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龍安寺の歌

2019-10-08 13:50:08 | Yoga Philosophy

しょこたんが歌う「京都のお寺〜龍安寺〜 」で始まる龍安寺の歌。Eテレで23:55に放送している「2355」で「おやすみソング」としてときどき流れます。

枯山水で有名な龍安寺。そのお庭のつくりのうつくしさはもちろん、「知足の蹲踞(つくばい)」というのも歌の中で紹介されています。蹲踞は、茶室に入る前に手を清めるためのお庭に備えてある手水鉢のことだそうです。

その上に、「吾唯足知」 と、五円玉のように中央に口、上から吾、右に唯、下に足、左に知、という字が配置されています。真ん中に口があって、それぞれの字にある口の部分がぴったり収まります。

吾、唯足ることを知る (われ、ただたることをしる)

知足の心、禅のことばだそうですが、ヨガでも「Santosa サントーシャ」、Contentment, feeling happy with what we have

わたしたちがすでに持っているものに満足する心、ということばがあります。

 

今、この瞬間にすべてがある、といわれます。目の前にあるもの、パンや果物にも、太陽があり、土があり、熱があり、水があり、流れ、いのちがあります。そして自分にも、この瞬間にいのちがあり、ここに存在しています。

足りない、足りないと外側に幸せを探し求めたり、物や状況に幸せの条件を求めなくても、この瞬間に自分自身で幸せを感じる力が、誰にでももともと備わっているそうです。

人から、あなたはこういうところが足りない、ダメだ、といわれても、足りないのではなく、大きな海の小波のような小さな差異にすぎません。波のかたちに良い、悪い、優れている、ダメだなんてなくて、ただそこに存在しているだけで、足りない、ダメ、と決めつけているのは、その人の小さな価値観、思考でしかないから、気にすることはなくって、すべてが今、ここにあるだけです。

だから、今日の、今のこのままで、尊重し、慈しむことができれば、思考がしずまり、心が満たされる感じが誰にでも、きっと湧き上がってきます。

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果てしない

2017-09-05 22:24:20 | Yoga Philosophy

わたしは、20歳になるまで飛行機に乗ったことがなくて、そのとき一緒に旅行した友達にびっくりされたのだけど、この夏、あれからもう何度目にもなる飛行機に乗ったら、雨だった雲の上は果てしない青空で、夏の強い日が射していて、下のほうに広がっている雲にその日が照りつけてまぶしくて、ところどころ入道雲が盛り上がっていて、飛行機のアナウンスにある「空の旅」を言葉のままに実感したような気持ちに改めてなって、初めて飛行機に乗ったときのように見入ってしまいました。

雨の降っているどんよりした空の上は青空で、太陽があって…

で、夏の終わりにプラネタリウムに行って、その空の上には果てしない宇宙が広がっているのを思い出した。そして宇宙は、いまこの瞬間も広がり続けているという。

プラネタリウムでは「ぼくたち惑星8兄弟」という太陽系の、子ども向けのかわいい番組が投影されていました。

地球は、1秒に30kmも移動していて、1年365日で太陽の周りを周る。

火星は687日で、木星は約12年、……海王星は165年!海王星の1年は、地球の165年か…じゃあ海王星の100年は、地球の16500年!

ヒンドゥの神様にブラフマー(創造)、ヴィシュヌ(維持)、シヴァ(破壊)の神様がいて、そのブラフマーの1日(昼間)は43億2000万年で、夜の半日と合わせると、86億4000万年といわれているそう。

43億2000万年は、ひとつの宇宙が生まれてから消えゆくまでの期間、という単位で「劫」という単位が使われていて、じゅげむじゅげむ、ごこうのすりきれ…の五劫ってものすごく果てしない時間の長さなのだそうです。

劫の英訳がaeon(イオン)だから、イオンってそういう意味で名づけたのかな??

逆に短い時間の単位は刹那で、1秒の75分の一…仏教ではこの短い時間の間にも命が生まれてれて消えゆくというサイクルがあると考えられています。

1秒の75分の1にも命のサイクルがあって、43億2000万年にもひとつのサイクルがある…でも生まれて消えるということは同じ…

わたしたちの思考や発した言葉は、波動となって波紋のように宇宙に広がってゆく、というのも最近また改めて聞きました。今、発したことも、一瞬前に発したことも、今頃果てしなく広がり続けているのかな?

 

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サントーシャ

2016-08-03 17:51:54 | Yoga Philosophy

ヨガの考え方のひとつ、ヤマ・二ヤマの中の二ヤマのひとつに、

Santosa - Feeling happy with what we have

 サントーシャ  自分の持っているものに満足する

 

というのがあります。ついつい、自分の足りないところ探しをして、自分を責めたり、もどかしく思ったり、悲観してしまったり、あれもこれもといろいろ求めたり。特に最近はSNSなどで、他人の輝きが眩しく見えて、自分の日常ってなんて地味なんだろう、と思ったり、他人と比較してしまったりします。

 

でも、比較すると他人がよく見えるように、自分の芝生も意外と青いのかもしれません。

 

今週は、自分の持っているもの、いいところ探しをしませんか?

長引いている梅雨空から晴れ間が現れるように、もやもやした気持ちも少しスッキリしてくるかもしれません。

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ヨーギーの姿

2015-10-05 20:57:48 | Yoga Philosophy

人の持ち物をうらやむことなく、すべての生き物に慈悲深く、所有欲を持たず、間違ったエゴから自由で、苦悩と幸せを同じものと見なし、寛大であり、常に満足し、セルフ・コントロールできている。ひるまず、決意堅く、自分の行為や知識を他者に捧げる精神を持つ。

他人に惑わされることなく、惑わすことなく、ありふれた日常の喜びや怒り、恐れ、不安から自由であること。

欲望を持つことなく、純粋で、洗練されている。心配事や動揺から解放され、俗っぽいもくろみに関心を持たない。

喜び、憎しみ、深い悲しみや欲から自由であり、すべてのものごと対して平等であること。

敵と友人、尊敬する人としない人を同等に扱い、寒さ、暑さ、幸せ、苦悩に対しても公平に見なし、執着することから離れ、評判や世評から自由であり、話す前に熟慮する。目の前に現れるもの、来るものに満足し、身の回りの事に執着しない。決意が堅く心が安定している。結果に期待せずただ他人のために奉仕する心を持つ。

 

バガヴァッド・ギータ 12-13~19 の描くヨーギーの姿。英文のBhagavad Gita を訳したので変なところがあったらごめんなさい!

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