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エピローグ

終楽日に向かう日々を、新鮮な感動と限りない憧憬をもって綴る
四季それぞれの徒然の記。

中央高速道路を下る

2011年07月26日 | 遺跡
中央高速道路を下る。
山梨、長野方面である。

しばらく八ヶ岳の麓で涼もうと思うのである。
昨日は、思い立って安曇野の碌山美術館を紹介した。

青春の入口だからである。



中央高速を下る場合、二つの関所がある。
一つ目は、石川PAのラーメンである。

玉ねぎのみじん切りが入っていて、甘みを演出する。
もっとも、スープが旨くなければ玉ねぎの効果は薄れる。
必ずと言ってよいほど、ここでラーメンを頂くのである。

旅の始まりである。

二つ目の関所は、釈迦堂PAである。



ここには縄文時代の遺跡「釈迦堂遺跡」と出土した土偶や土器などの博物館があるのである。
PAから行けるのである。

ミュージアムの裏手には、広場があって、そこに住居跡がある。



小さな小道にはスズランの群生があり、四季折々の草花が咲く。



縄文初期の住居跡である。



これは縄文中期の住居跡である。
おそらくレプリカであろうけれど、縄文の時代に空想が飛ぶのである。

レプリカであっても、その周囲を注意深く観測すると面白い。



隣のぶどう畑である。
最近開拓したと思われるけれど、石がサークル状に配置されている。

墳墓か祭祀場の跡と推測される。



ここら辺は、掘れば遺跡なのである。
ぶどう畑の真ん中に、現在人がわざわざこんなふうに石を配置すると思いますか。

掘ったら出てきたのである。



この日は、台風6号の雲の外周が甲府盆地の山々にかかっていた。
台風一過の晴天である。

いつものようにラーメンを食べ、釈迦堂遺跡に敬意を払い、二つの関所を通り過ぎて小淵沢に向かった。



途中、長坂町の大型太陽光発電の実験地を通り過ぎたのである。
節電が叫ばれる大震災後の今日をシンボルしているかのように感じるのである。

もう風が涼しいのである。




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 荒野人

安曇野の碌山美術館

2011年07月25日 | 旅行
信州の安曇野の穂高にある碌山美術館は、文化の香りが匂い立っている。
「おひさま」の舞台となっている安曇野地方である。



今の季節、深い緑に包まれている教会風の建築物の本館である。



入って直ぐの場所に佇んでいるのは、この彫像である。
筋骨隆々とした「労働者」である。
萩原碌山の代表作の一つである。



本館の標識である。
「碌山館」である。

もともと、ここは「東洋のロダン」として知られる東穂高村(のちの穂高町(現在の安曇野市))出身の近代彫刻家・荻原碌山の個人美術館であって、彼の作品と資料の蒐集、保存および公開を目的として、1958年4月に開館したミュージアムなのである。



中庭の佇まいである。
大きな木のベンチが座り心地が良い。

この場所は、おひさまがカンカン照りでも緑の滴りの中に在って比較的涼しいのである。



美術館の隣りは、穂高東中学校である。
テニス・コートが隣接している場所である。
夏休み中であり、中学生たちの声は漏れてこなかった。



この彫像の後ろに、比較的新しいレンガ作りの建屋が見える。
ぼくが初めてこの碌山美術館を訪なった時には無かった建物である。

冬、凍てつく寒さの中で自動車免許取りたての腕で、国道20号線を走り辿り着いたのであった。
その時、あった建物は本館とグズベリーハウスの二つだけであった。



これがグズベリーハウスである。
凍えた身体で、この木造の建物に入っていったのであったけれど、誰も人は居らず電気ポットとお茶の用意がしてあった。

「ご自由にどうぞ」とでも書いてあっただろうか、ぼくはこのポットから急須に湯を注ぎ入れ、いっぱいのお茶を飲んだのであった。



今は売店と展示物に溢れていて、往時の面影は偲びようも無い。
寂しいけれど、時代の流れだろうか。



グズベリーハウスとこの本館だけの碌山美術館。
プラタナスの木が濃く網膜に刻印されていたけれど、今そのプラタナスが何処にあったのか縁(よすが)とてない。

安曇野は青春の思い出が詰まっている。





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 荒野人

女の躍動と叫び !

2011年07月21日 | ポエム
女の躍動は美しい。
女の叫びは天を貫く。

女は太陽である。





女の躍動と叫び






叫ぶ!



叫ぶ!



叫ぶのである。
叫ぶ女がいる。
叫ぶ女が舞う。
叫ぶ女が跳ぶ。

叫ぶ!



舞う!



舞う!



舞うのである。
舞う女がいる。
舞う女が叫ぶ。
舞う女が跳ぶ。

舞う!



今日で「よさこい踊り」は終回である。
これから、東京脱出を画策している。

八ヶ岳の麓に出かける。
縄文の遺跡を歩くつもりである。
縄文のヴィーナスに再会し、金生遺跡でストーン・サークルと対話したり・・・。

時間があったら、安曇野のワサビ田や碌山美術館にも出かけてみたいのである。



チャペル風玄関であるけれど、ここは碌山美術館・・・ミュージアムである。

ところで、ぼくの知り合いは「荒 野人」ではなく「縄 文人」と改名したらどうか提案するのであるけれど、やはり荒 野人が良い。

ぼくは、荒野を行く人でありたいのである。





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 荒野人

八島湿原・・・夏

2011年07月20日 | ドライブ
足の遅い台風が、日本列島の太平洋側を嘗めつくそうとしている。
自然の猛威は想像を絶する。
これから被災地に影響が及んでいく。
お大事にと言うしかない。

今日は、自然の賜物を紹介する。
ヴィーナス・ラインを経て、車山高原インフォメーション・センターから概ね30分ほどで八島湿原に至る。
日本を代表する高原湿原である。



霧ヶ峰高原の北西部に位置する八島湿原であって、標高1540m~1925mである。

湿原への入口に、ウメウツギの白い花が咲いていた。
香りのよいウツギである。



暑さで火照った頬が、おもわず緩んでくるような香りである。



木道が渡してある。
ところによっては、木道の端っこが朽ち始めている。

夏の盛りには雑草が木道を覆う。
特に内側の木道が踏み外す可能性があって、注意が必要である。



この木道を進むと途中に休憩所がある。



木陰に在って、爽やかな風が吹き渡ってくれる。
木漏れ日の気持ち良さが沁みる。



この日、晴れやかな空が広がった。
空を映す、沼沢地の水も綺麗であった。

1939年(昭和14年)に国の天然記念物の指定を受け、国の文化財としても登録されたのである。
12.000年の歴史を持つ湿原の主役ともいえるミズゴケの種類は18種にのぼり、八島ケ原湿原の約490倍もある日本最大級の釧路湿原とほぼ肩を並べている。
総面積は43.2ヘクタールである。



人間にたとえれば100才を超えている八島ヶ原湿原は周辺の森林化や降雨量の減少などに伴い乾燥化が進んでいるけれど、周囲にはこの地で発見され「キリガミネ」と名のつくものを含め年間約360種類もの植物が開花し草原に彩りを添えている。



環境の変化は、ゆっくりゆっくり進めば良い。
それが当然なのである。

だがしかし、人の欲望と手によって環境が激変するのだとしたらそれは問題である。




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 荒野人

よさこいYOSAKOI踊る女

2011年07月19日 | 日記
よさこいの場合、踊り手とは言わず「踊り子」というらしい。
旗振り役とか、マイクで鼓舞するアジテータとか、役割分担が明確になっているのだろうか。

だとすれば「踊り子」という言い方は理解できるのである。

当地・光ヶ丘公園のよさこい祭りは、18日に閉幕した。
写真を撮っていて、いつのまにかぼくも熱狂の渦の中にいた。

かき氷を食べ、ケバブを食べ、ほっつき歩いてしまった。



よさこい祭りの最終日、ステージではまずダンス・パフォーマンスやらヒップホップの集団やらが雰囲気をリズミカルに盛り上げている。

今日の出場チームは昨日の審査で入賞したチームや地元のチームが中心である。





女性中心のチームである。





このチームはなかなかに迫力があった。



なんとも可愛らしい微笑みである。
誰もが、よさこいを楽しんでいる。

踊る阿呆も見る阿呆も・・・よさこいである。



このチームは、男中心である。
従って、力強い踊りであった。

リズムといい、ダイナミズムに溢れた振り付けといい見事であった。

さて、YOSAKOIの女神たちである。



踊る女は極(き)まっている。
踊る!
という行為によって自然に身に着く所作であろうけれど、極めるという見栄が自然に身に着くのである。



歌舞伎の「見栄を切る」という所作は、人体の美学である。
「見て栄える」のである。











みな、夫々に魅力に溢れているではないか。
生き生きとしている。

エネルギーに溢れ、生命力が躍動している。
しとどに流れる汗は、その人のオーラも同時に発散するのである。





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 荒野人