エピローグ

終楽日に向かう日々を、新鮮な感動と限りない憧憬をもって綴る
四季それぞれの徒然の記。

金生遺跡再訪

2011年07月27日 | 遺跡
長坂の太陽光発電実験地を過ぎて、長坂インターを降りる。



一般道に出て、左折すると中央高速をくぐり直ぐ左折。
道なりに進む事、おおよそ5分程度で金生遺跡の看板が目に入る。

その看板を左折すると金生遺跡に辿り着くのである。



入口である。



石段を登ると両サイドにこの石棒が屹立している。
石棒の先に見えるのは八ヶ岳の山並みである。



縄文の人々が丹念に石を削り込んで形成したのである。
信仰の一つの形である。



これが全景である。



これは墳墓の跡と想定されている。
方墳である。



これも墳墓跡と解説されている。



ここは、祭祀に使用したものであろうか。



日時計かとも思われるけれど、やはり祭祀用であろうか。



住居前に配置されているのである。
この石の配置を眺めながら、縄文の人々は何を考えていたのだろうか。



ストーン・サークルの周りはグルリと草が刈ってあったけれど、雑草がはびこっている。
こうした気配が悠久の時代にぼくたちを惹きこんでくれるのである。



金生遺跡は、夢が膨らむ場所である。
パワースポットである事は間違いない。

とまれ、この周辺には遺跡が至るところに埋まっている。
また風雪を経て地上に現れてもいる。



例えば神社として昔から人々が信仰している土盛りの場所がる。
間違いなく墳墓の跡と考えられる。



この周辺にはかなりの規模のストーンサークルがあったと推測できるのである。
だがしかし、人々はその石を掘り起こし家々の石塀に使ったり、あるいはまた住居の境目に配置したりしたことは想像に難くないのである。



遺跡に溢れた地域の人々にとって、遺跡は邪魔なのである。
畑の中にあったり、畑を分断してしまう。

例えば、ペルーというインカの遺跡に埋もれた国家がある。
そこの農民は、畑のために勝手に遺跡を掘り起こし、崩してしまう。
そこにブドウを作り、じゃがいもを栽培し、とうもろこしを栽培しているのである。

遺跡は、日常生活にとって不可欠なものではないのである。





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