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平成エンタメ研究所

最近は政治ブログのようになって来ました。世を憂う日々。悪くなっていく社会にひと言。

小説「清洲会議」 三谷幸喜~信長、本能寺の変で「そりゃ、もうちょっと長生きしたかったさ」(笑)

2016年04月14日 | 小説
 三谷幸喜さんの小説『清洲会議』(幻冬舎)を読んだ。
 信長が本能寺の変で死ぬときの描写はこんな感じである。

「そりゃ、もうちょっと長生きしたかったさ。俺がさんざん「人間五十年」と謡(うた)ってきたもんだから、世の中には「信長様は五十歳を手前にして亡くなられて、ある意味、本望だったのかもしれない」なんて言う奴が出てくるかもしれない。とんでもない話だよ。俺のプランでは、最低、七十くらいまで生きるつもりだった。六十あたりで天下を統一してさ、後の十年は、安土城で悠々自適の生活。外国にも行ってみたかった。ポルトガルの町並み、この目で見たかったよ」

 何とものんびりした現代人感覚の信長ですね(笑)
 全体的にユーモアもある。
 謀反を起こした明智光秀に関してはこんな述懐。

「俺、光秀を追いつめ過ぎたのかもしれない。弁解に聞こえたらあれだけど、まあ、俺もこういう性格だから、カッとなったら、自分を抑えられなくなるだろ。そんな時、光秀の面(つら)が目に入ったら、ついついいじめたくなるんだよ。あいつ、そういう顔をしてるんだ。光秀って男、学もあるし、剣の腕も立つ。戦をやらせたってそこそこ上手だ。なのに、育ちのせいか、妙なコンプレックスを持っていて、どこか卑屈なんだよ」

 現在の大河ドラマ『真田丸』では、長澤まさみさんが演じるきりが、現代の女の子の感じ方、考え方だという批判があるようですが、三谷さんは、この『清洲会議』のように、敢えて現代感覚を入れているのかもしれません。

 秀吉に関しては、『清洲会議』で次のように描写されている。

「彼のバイタリティの原動力はすべて欲がらみだ。彼は派手好きであり、城持ちになってからは、誰よりも高価な着物を着るようになった。出世と金銭欲、それに性欲も足していいだろう。彼の女好きは有名だ。筑前の人生は常にその三欲に支配されている。そして、その欲を満たすためだけに、彼は動く。お館様の前で見せていた忠誠心も、彼の場合は欲を満たすための道具でしかない。そこには権六のような、自分を引き立ててくれたことに対する恩返しといった殊勝な気持ちは皆無である。お館様はおそらくそれに気づかれていた。気づかれていた上で、彼を重宝した。お館様はそういうお方だった」

 秀吉の原動力は<欲>。
 確かに<欲>を原動力にしている人は強いんですよね。
 大河ドラマ『真田丸』の上杉景勝は<理想>や<正義>を原動力にしていますが、そんなものは<欲>の前に簡単に粉砕されてしまう。
 だから、この世は醜くて争い事が絶えない。

 今回は、信長、光秀、秀吉の人物像を紹介しましたが、『清洲会議』で三谷さんが描いた人物像はわかりやすくて、人間っぽいです。
 柴田勝家、丹羽長秀、池田恒興などに関する描写もあるのですが、それは後日、紹介します。

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