1943年。“打倒ヒトラー”を呼びかける組織「白バラ」のメンバーであるゾフィーと兄ハンスは、大学構内でビラをまいているところを見つかり、ゲシュタポ将校に連行される。
これはゾフィの死刑が執行されるまでの物語。
ゾフィの戦いは次のように展開される。
1.自分はビラを撒いていない。「無実だ」という戦い。
偽りの証言をしても生きていきたい。これは人間として当然のことだろう。
まして自分は正しいことのために戦っていると思えば、犬死は出来ない。
しかし、部屋に残された切手やタイプライターなどの証拠があがると、ゾフィは別の戦いを開始する。
2.仲間を救う戦い
ゾフィは「自分のやったことに誇りを持っているわ」と言い、反戦運動をした仲間に捜査の手が及ばないように自分と兄がすべてやったことと証言する。
しかしゲシュタボの捜査はきつい。仲間が次々と逮捕される。
するとゾフィは次の戦いへ。
3.主義主張の戦い
ゾフィは尋問官モーアと議論する。
「この戦争はドイツの負け。なおも戦争を続行しようとするヒトラーは間違っている」
一方、モーア。
「ヒトラーは第一次大戦後のドイツの貧困と失業から救ってくれた。もう少しがんばればドイツは勝てるのに、なぜ戦意を失わせる反戦運動をするのか?」
戦争を始めるのは愚行だが、引き際を定められないのは悲惨。
過去、ゾフィとモーアの様な議論が何度繰り返されただろう。
またふたりの間でこんな議論もなされた。
モーアは「現行の法律に基づいて反戦運動家を拘束している。自分の行動に間違いはない」「法律の他に何を頼りにすればいいのか?」と主張する。
それに対してゾフィ。
「法律より頼りにすべきもの。それは良心よ」
『法律』を考える上で面白い議論だ。
「悪法でも法」なのか?「法律を越えるものは良心」なのか?
良心というのは非常に曖昧なものではあるけれど。
4.信念を捨てれば助けるという戦い
四番目の戦いは『命』か『信念』かの戦いだ。
「信念を捨てれば命を助ける」というモーアに対し、ゾフィは迷う。
これも究極の葛藤だ。
人によって意見の分かれるところであろう。
この様にこの作品は人間の様々な葛藤を描いて見事なドラマとなっている。
5.最後の戦いは裁判
人民法廷の中で「最悪の人間」「寄生虫」「思い上がるな」とナチズムにどっぷりと浸かった判事にののしられるゾフィたち被告。
ここでドラマはクライマックスになる。
ゾフィも感情が込み上げ最後にこう叫ぶ。
「今にあなたがここ(被告席)に立つわ!」
すさまじい作品だ。
この作品にはこれらゾフィの戦いと共に様々なテーマが描かれる。
例えば『運命』。
もしゾフィが三階にビラをまこうと言い出さなかったら、三階からビラを落とすことがなかったら、ゾフィは捕まらなかった。
いったんゾフィは証拠不十分で釈放されそうになるが、わずかの差で再び拘束される。
運命の皮肉、悲惨だ。
『希望』も描かれる。
迫りつつある連合軍。連合軍が来れば自分は自由になれる。
たとえ死刑の判決が出ても死刑執行には99日間の猶予があるから、その間には連合軍が来る。
しかし死刑は判決と同時に行われ……。
ここに描かれる『希望』と『絶望』のドラマ。
ゾフィたちはギロチンで死刑執行される。
罪状は反戦のビラを撒き、<軍の士気を低下><敵対幇助>をしたこと。
逮捕されてから死刑が執行されるまでは5日間。
ビラを撒いただけで、しかも5日間でというのが、この時代の異常さを感じさせる。
これはゾフィの死刑が執行されるまでの物語。
ゾフィの戦いは次のように展開される。
1.自分はビラを撒いていない。「無実だ」という戦い。
偽りの証言をしても生きていきたい。これは人間として当然のことだろう。
まして自分は正しいことのために戦っていると思えば、犬死は出来ない。
しかし、部屋に残された切手やタイプライターなどの証拠があがると、ゾフィは別の戦いを開始する。
2.仲間を救う戦い
ゾフィは「自分のやったことに誇りを持っているわ」と言い、反戦運動をした仲間に捜査の手が及ばないように自分と兄がすべてやったことと証言する。
しかしゲシュタボの捜査はきつい。仲間が次々と逮捕される。
するとゾフィは次の戦いへ。
3.主義主張の戦い
ゾフィは尋問官モーアと議論する。
「この戦争はドイツの負け。なおも戦争を続行しようとするヒトラーは間違っている」
一方、モーア。
「ヒトラーは第一次大戦後のドイツの貧困と失業から救ってくれた。もう少しがんばればドイツは勝てるのに、なぜ戦意を失わせる反戦運動をするのか?」
戦争を始めるのは愚行だが、引き際を定められないのは悲惨。
過去、ゾフィとモーアの様な議論が何度繰り返されただろう。
またふたりの間でこんな議論もなされた。
モーアは「現行の法律に基づいて反戦運動家を拘束している。自分の行動に間違いはない」「法律の他に何を頼りにすればいいのか?」と主張する。
それに対してゾフィ。
「法律より頼りにすべきもの。それは良心よ」
『法律』を考える上で面白い議論だ。
「悪法でも法」なのか?「法律を越えるものは良心」なのか?
良心というのは非常に曖昧なものではあるけれど。
4.信念を捨てれば助けるという戦い
四番目の戦いは『命』か『信念』かの戦いだ。
「信念を捨てれば命を助ける」というモーアに対し、ゾフィは迷う。
これも究極の葛藤だ。
人によって意見の分かれるところであろう。
この様にこの作品は人間の様々な葛藤を描いて見事なドラマとなっている。
5.最後の戦いは裁判
人民法廷の中で「最悪の人間」「寄生虫」「思い上がるな」とナチズムにどっぷりと浸かった判事にののしられるゾフィたち被告。
ここでドラマはクライマックスになる。
ゾフィも感情が込み上げ最後にこう叫ぶ。
「今にあなたがここ(被告席)に立つわ!」
すさまじい作品だ。
この作品にはこれらゾフィの戦いと共に様々なテーマが描かれる。
例えば『運命』。
もしゾフィが三階にビラをまこうと言い出さなかったら、三階からビラを落とすことがなかったら、ゾフィは捕まらなかった。
いったんゾフィは証拠不十分で釈放されそうになるが、わずかの差で再び拘束される。
運命の皮肉、悲惨だ。
『希望』も描かれる。
迫りつつある連合軍。連合軍が来れば自分は自由になれる。
たとえ死刑の判決が出ても死刑執行には99日間の猶予があるから、その間には連合軍が来る。
しかし死刑は判決と同時に行われ……。
ここに描かれる『希望』と『絶望』のドラマ。
ゾフィたちはギロチンで死刑執行される。
罪状は反戦のビラを撒き、<軍の士気を低下><敵対幇助>をしたこと。
逮捕されてから死刑が執行されるまでは5日間。
ビラを撒いただけで、しかも5日間でというのが、この時代の異常さを感じさせる。