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平成エンタメ研究所

最近は政治ブログのようになって来ました。世を憂う日々。悪くなっていく社会にひと言。

トンマッコルへようこそ

2008年08月17日 | 洋画
 この作品は戦争というものの本質を教えてくれる。

 朝鮮戦争。
 戦争とはまるで無縁の平和な村トンマッコル。
 そんな村に迷い込んできたアメリカ人パイロットのスミス、韓国軍の2人と人民軍の3人。
 当然、韓国軍と人民軍は銃を向け戦いを開始しようとするが、そんな緊迫の中、トンマッコルの村人達は畑を荒らすイノシシの相談。
 あまりに平和な情景に敵対していた兵士達は毒気を抜かれて……。

★そう、これが戦争の本質のひとつだ。
 戦争のまっただ中にいる戦士達は敵を倒すことしか見えないが、一歩引いて冷静になってみると自分たちは何のために戦っているのかわからなくなってくる。
 戦い憎み合う理由として『国家』や『主義主張』というものがあるだろうが、平和な日常に身を置いてみると、それが霧散してしまう。
 『国家』や『主義主張』が<自分たちが生きる上で何ら大切でないこと><自分の本質でないこと>がわかるのだ。

 それは現在の我々をふり返ってみれば分かる。
 我々は普段生活する上で『国家』や『主義主張』のことなど考えていない。
 我々が国家を意識するのは、例えばオリンピックの時ぐらい。オリンピックが終われば国のことなんか考えない。
 あるいは日本という国や他国を客観的に見ることが出来る。
 戦い憎み合う理由とは単なる<熱狂>なのだ。
 それはオリンピックやワールドカップの熱狂と同じ。
 醒めれば普通の日常に戻っていく。
 平和な村トンマッコルにやって来た兵士達もそれと同じ状態になる。
 果たして自分たちは何のために戦っていたのか?畑のイノシシをどうするか?の方が大切ではないかと。

★もうひとつ、この作品が教えてくれる戦争の本質とは、無実な人間が巻き込まれる不条理。
 スミスを救うために落下傘降下した韓国・アメリカの連合軍はトンマッコルの村を人民軍の村と判断し、村娘を殺してしまう。
 流れ弾が当たったのだ。
 村娘は政治的には全く関係ない人間だったのに。
 この不条理。
 戦争は何も関係ない人を巻き込んで命を失わせてしまう。
 冷静な時ならそれが異常なことだと分かるのに、戦争になると巻き込むことも当然になってしまう。

 この作品はそんな戦争の本質を教えてくれる作品。
 ラストの飛行機との戦闘シーンは作品を盛り上げるためのものだろうが、テーマを語る上では無駄。蛇足だ。
 ラストの戦闘シーン以外は見事な反戦映画になっている。


コメント (2)
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