★喜劇について
喜劇はむずかしい。
例えば、見ている人が容子(志田未来)のことを「可哀想」と思ってしまったら喜劇じゃなくなる。
この作品のテンポの良さは視聴者に「可哀想」と思わせないための手段だ。
勢いで疑問をはさませないで、強引に物語の中に引っ張っていく。
ちょっと心情描写が入ったりしたら喜劇でなくなってしまう。
また喜劇は日常の常識をくつがえすもの。
悪魔の姉・槙子(山田優)がその正体を暴かれず『正義の味方』になってしまうこと自体が反日常。
刑事ドラマでは犯人は暴かれるし、決して正義の味方にはならない。
「水戸黄門」では最後に悪は罰せられる。
この作品はこうした日常の当たり前をひっくり返していることに面白さがある。
よく考えてみれば、容子の境遇は奴隷・いじめだしね。
普通なら奴隷・いじめはよくないというメッセージになる。
この様に喜劇は既成の価値を逆転させるものである。
もっとも今回は『姉から解放された容子』の姿を見せたために、若干「容子は可哀想」という真実を視聴者に気づかせてしまった。
喜劇が成り立たなくなる危うい展開の話であった。
★わらしべ長者
今回はわらしべ長者の物語展開。
良川(向井理)のために作ったカレー→腐って良川の母(山口いづみ)が病院に→鶏肉屋に文句を言いにいく槙子→実は鶏肉屋は違法DVDに密輸をしていた→槙子は正義の味方に→密輸犯逮捕とその仕事ぶりで良川はドンボから戻ってくることに。
<カレー>が<密輸犯逮捕><良川の帰国>にまで発展するとは!!
これだけぶっ飛んだ展開を見せられると気持ちいい。
※追記
容子の洋服は着まわしが多い。
前に出た服を何回も登場させている。
それは容子が洋服も自由に買えない悲惨キャラだから。
その辺もきっちりこだわって作られている。
喜劇はむずかしい。
例えば、見ている人が容子(志田未来)のことを「可哀想」と思ってしまったら喜劇じゃなくなる。
この作品のテンポの良さは視聴者に「可哀想」と思わせないための手段だ。
勢いで疑問をはさませないで、強引に物語の中に引っ張っていく。
ちょっと心情描写が入ったりしたら喜劇でなくなってしまう。
また喜劇は日常の常識をくつがえすもの。
悪魔の姉・槙子(山田優)がその正体を暴かれず『正義の味方』になってしまうこと自体が反日常。
刑事ドラマでは犯人は暴かれるし、決して正義の味方にはならない。
「水戸黄門」では最後に悪は罰せられる。
この作品はこうした日常の当たり前をひっくり返していることに面白さがある。
よく考えてみれば、容子の境遇は奴隷・いじめだしね。
普通なら奴隷・いじめはよくないというメッセージになる。
この様に喜劇は既成の価値を逆転させるものである。
もっとも今回は『姉から解放された容子』の姿を見せたために、若干「容子は可哀想」という真実を視聴者に気づかせてしまった。
喜劇が成り立たなくなる危うい展開の話であった。
★わらしべ長者
今回はわらしべ長者の物語展開。
良川(向井理)のために作ったカレー→腐って良川の母(山口いづみ)が病院に→鶏肉屋に文句を言いにいく槙子→実は鶏肉屋は違法DVDに密輸をしていた→槙子は正義の味方に→密輸犯逮捕とその仕事ぶりで良川はドンボから戻ってくることに。
<カレー>が<密輸犯逮捕><良川の帰国>にまで発展するとは!!
これだけぶっ飛んだ展開を見せられると気持ちいい。
※追記
容子の洋服は着まわしが多い。
前に出た服を何回も登場させている。
それは容子が洋服も自由に買えない悲惨キャラだから。
その辺もきっちりこだわって作られている。