ダウンワード・パラダイス

「ニッポンって何?」を隠しテーマに、純文学やら物語やら、色んな本をせっせと読む。

雑談・プリキュアの系譜をたどって歌舞伎に至る。

2021-02-26 | 歴史・文化
 前回は話が逸れてふくらんじゃいましたね。いや、歌舞伎の話をしたかったんだ。といって、いちども劇場(こや)に出向いたことはないんで、本の上での知識をもとにごちゃごちゃやるだけですけども……。
 「プリキュアは歌舞伎だ!」てぇことを、このブログでも再三いってるんですよね。それぞれに名乗りを上げて見得を切る(ポーズを決める)とこだの、カラフルで豪奢なコスチュームだの、勧善懲悪のフォーマットだの、見るからにそうでしょ? 児童向けの作品だからこそ、構造てきな類似点があらわになってるわけですよ。
 大きな違いは、歌舞伎においては女性はたいてい抑圧されるもんだけど、こっちでは盛大に暴れ回るってところでしょうか。そこは時代の差としか言いようがないが、これもまあ、ベクトルをぐいっと逆方向にしただけのことではあってね。
 サブカルチャーってのは、「知識がいらない」「教養もいらない」「すぐ手の届く所にある」「感情を揺さぶる」といったあたりが身上なんだ。ひとことでいえば、「とにかくオモロイ」ってことね。江戸人はそうやって気軽に歌舞伎を愉しんだわけでしょ。その伝でいえば、劇場(こや)に行かなきゃ観られないうえに、あるていど勉強しないとよくわからないモノホンの歌舞伎よりも、ニチアサにテレビをつければ(もしくはスマホでも)かんたんに見られるプリキュアこそが現代における真の「歌舞伎」じゃないかとさえ思うんだな。
 かといって、あれをつくってるスタッフがみんな歌舞伎の愛好家だってことは(たぶん)ないよね。それはいわゆる「文化的なDNA」なんだ。こう言っちゃうといかにも安直なんで、「文化的なDNA」で片づけないで、もう少しきちんと系譜をたどってみましょうか。
 まず直近の先行者はもちろん「セーラームーン」でしょう。セーラームーンのばあい、ふだんの衣装はわりと簡素だけど、ここぞって時にはドレスアップして装飾が増えるんですよね確か。いやそんな熱心に見たわけじゃないからよく知らないんだけど、いずれにしてもあのセンスは歌舞伎よりむしろ少女歌劇かなあとは思う。歌舞伎と少女歌劇との関係ってのも一考に値するテーマだけど、ただこれは学術論文じゃなく雑談なんで、ざっくり「歌舞伎の系譜」ってことで括っておきます。
 これをさらに遡ると、「ヒロインが(王子様に庇護されるんじゃなく自分で変身して)悪をくじく」という点で「キューティーハニー」であり、いっぽう、「五人そろって口上を述べてから修羅場に臨む」という点で「ゴレンジャー」にはじまる東映戦隊シリーズになる。
 ゴレンジャーはいちおう石ノ森章太郎原作なんですよね。で、キューティーハニーの永井豪は石森プロの出身でしょう。そう思えば、石ノ森章太郎ってひとは手塚さんとはまた別の面から戦後サブカルにものすごく影響を与えてますよね。
 なんといっても、そもそもの原点は仮面ライダーですもんね。石ノ森章太郎は根っからのロマン主義者だから、原作のライダーにはメアリー・シェリー(1797 寛政9~1851 嘉永3/4)のあの名作『フランケンシュタイン』の面影が色濃いんだけど、「特撮ヒーロー」という側面からみれば、その先行者は月光仮面ってことになるでしょう。
 月光仮面のテレビ版第1作は1958(昭和33)年に放送されてて、これは、「ほぼ日本初のフィルム収録によるテレビ映画」とされてるんですよ。「初のフィルム収録によるテレビ映画」が、日本では「特撮ヒーローもの」だったというのは、この国のサブカル史を語るうえでもっと注目されていいと思うんだけどね。なお、この原作者の川内康範というのは相当に面白い方なんで、お時間がおありならばwikiを覗いてご覧になればと思います。
(「月光仮面」が「日本で最初のテレビドラマ」というわけではない。実験的な放送は戦前の1940(昭和15)年に行われている。戦後間もなく、すなわちGHQの占領下には、「向こう三軒両隣」「鐘の鳴る丘」などがあった。連続テレビドラマとして有名なのは探偵ものの「日真名氏飛び出す」(1955 昭和30)だが、これらはいずれも生中継だった。)
 で、「月光仮面」までくれば、もう「鞍馬天狗」までほんの一歩ですね。幕末が舞台の「鞍馬天狗」を、戦後風俗をバックに焼き直したのが月光仮面だといっていい。馬の代わりにオートバイに乗るんだ。プロデューサーの西村俊一という方が川内さんに「鞍馬天狗みたいな企画はどうか」と持ち掛けて、しかし時代劇だと予算が足りないってことで現代劇になった。そのことはwikiの「月光仮面」の項にもちゃんと書かれてますね。
 「鞍馬天狗」は、『天皇の世紀』『パリ燃ゆ』……ちなみに今回芥川賞をとった「推し、燃ゆ」のタイトルはこれのパロディーですが……で知られる大佛次郎の原作だけど、小説よりも嵐寛寿郎、通称アラカンの映画版こそがやっぱり真骨頂でしょう? だけど、あまりにもアラカン天狗のキャラが立ちすぎたもんで、原作者の大佛先生と軋轢を生じちゃった。「あんなのは私の書いた天狗じゃない。」ってね…。このへんも、映画史のみならずサブカル史の面からも興味をそそられる挿話ですが。
 いずれにしても、チャンバラ映画、剣戟活劇ってことになれば、これはまさしく歌舞伎と地つづき、縁つづきですね。映画というメディアはいうまでもなく舶来モノですが、その揺籃期にあって、どうにかこうにか自前の「作品」をつくろうって際に、まず歌舞伎のドラマトゥルギーに頼ったわけ。厳密にいえば「新派」というニュージャンルの介在はあったんだけど、しかし歌舞伎が300年近くにわたって蓄積してきた演劇的伝統ってものが多大な恩恵をもたらしたことは間違いないわけですよ。
 白浪五人男って、ことさら歌舞伎を知らないひとでも耳にしたことがあると思うけど(正確な演題は「青砥稿花紅彩画」)、ずらっと勢揃いして名乗りを上げるところはもとより、正統派の主役・ちょいと斜に構えたクールな二枚目・愛嬌たっぷりの三枚目・すこし青くさい若衆・そして紅一点というように、キャラのフォーマットってものがおおむね仕上がってるわけね。
 これってそのままゴレンジャーですよね、と書きかけて、いや、その前にタツノコプロの「ガッチャマン」があったなといま思いついた。そうだなあ、ゴレンジャーが1975(昭和50)年に始まり、ガッチャマンが1972(昭和47)年だから、こっちのほうが先なのか。この頃にはもう想像力の面でアニメのほうが実写特撮の先を行ってたってことかな。なんにせよ、順序はいくぶん変わるけど、基本的なキャラのフォーマットは一緒でしょ。この点は折々の社会意識の変化を映してその後もずっと変奏されてますよね。
 ここに挙げた作品名はいずれもメルクマール的なもので、とうぜんその間には有名無名の作品が数知れず累々と横たわってるわけだけど、とりあえず、はなはだ大雑把ながら、現代サブカルが戦後になっていきなり発明されたものではなくて、歌舞伎あたりから連綿とつながってることは証明できたんじゃないでしょうか。