ダウンワード・パラダイス

「ニッポンって何?」を隠しテーマに、純文学やら物語やら、色んな本をせっせと読む。

雑談・江戸のメインカルチャー

2021-02-25 | 歴史・文化
 ペリー来航による開国は強引すぎたんだよね。それでニッポンは調子が狂って、いろいろと奮闘したんだけども、結局はあの大敗北まで行っちゃった、というところはあるね。もちろん、個別に細かくみていけば反省点は山ほどあるんですけどね。あっちこっちに多大なる迷惑をかけたのも確かだし。
 でも戦争の話ばっかしてると止めどなく暗くなるからね。すこし話頭を転換しましょうか。といっても、ただでさえ春先は調子がわるいんで、引き続き雑談ですけども……。
 いまの日本の原型はやっぱり江戸でしょうね。それで、ぼくは本が好きなんで、江戸のことを思い浮かべるさいも、西鶴とか、馬琴とか、黄表紙とか、「当時の庶民は何を読んでたのかな」という切り口で当時を偲んでたんだけど、考えてみると、当時も今も庶民(町人)にとっての最大の娯楽っていえばきっと書物じゃないですね。
 むろん娯楽そのものが少ないから、木版印刷による出版業も寛政あたり(蔦屋重三郎の頃ね)にはずいぶん盛んになってたようだけど、みんながほんとに夢中になったのは、そういうのよりビジュアルであり、イベントであり、ライブだったと思うんだな。
 ビジュアル&イベント&ライブ。それらをぜんぶ兼ね備えてるのは何か。歌舞伎ですよね。
 正しくいえば、「兼ね備えてる」ってより、「未分化だった」というべきでしょうけどね。いまの目からみればね。記録媒体もなきゃ、上映や放送の設備も存在しないから、その場に足を運ばなければ観られない。現代では、それがかえって贅沢なことになってますけども。
 歌舞伎と、あと人形浄瑠璃かな。これらが江戸期におけるサブカルの雄であったに違いない。
 いまサブカルといったけど、江戸においてはメインカルチャーとサブカルチャーとの差異ってものが厳然と在ったわけですよ。これは現代よりも厳然としていたと思う。それは「身分」ってものがあったからだよね。
 武士は儒学をやる。これは必須の教養ですね。藩によっても違うだろうし、江戸期といっても270年の長きにわたるから、時期によっても違うだろうけど、いやしくも職分をもつ武家ならば、四書五経からはじまって、そうとうに漢籍を読み込んでたのは間違いない。
 武士だけとは限らない。これはもう幕末近くになるけども、大河ドラマの渋沢栄一も、幼時に「三字経」の素読と暗唱をやらされてましたね。渋沢の生家は豪農というか経営者で、だから彼は今でいえば社長の御曹司だけど、べつだんそんな大家でなくとも、そこそこの富農や町人ならば「三字経」や「千字文」くらいの素養はふつうにもってたようですね。だから、「教養」ということでいうならば、下手すればわれわれよりも江戸人のほうが上回ってるわけですよ。それは「メインカルチャー」ってものが社会規範として在ったから。
 そのメインカルチャーを支えるのが「武士」階級だったわけだけど、でも儒学というのはあくまで公(おおやけ)のものだから、個人的な詠嘆とか、心情なんてのを託すわけにはいかない。
 いや、江戸期に「個人」なんてものが存在したのか?って件はいったん脇に置いての話ね。桜の花がはらはらと散るのが切ないとか、そういうレベルの延長にある話です。そんなていどの詠嘆とか心情の表白ならば、万葉の時代からあったわけだから。
 ともあれ、江戸期の武士は、個人的な詠嘆や心情、もっというなら鬱懐や憤懣みたいなものが生まれたら(そんなのは社会人ならば誰にだって必ず生まれるもんですが)それを「漢詩」に託したわけね。とかく江戸の文芸といったら、上にも述べた黄表紙や洒落本、滑稽本みたいな町人文化に目が向くけども、漢詩をはじめとする武士の文芸ってのもあって、こっちがメインカルチャーなんですね、じつは。
 それで、なんで町人サイドの文化にばかり目が行くのかっていうと、「江戸期における町人のエネルギー」ってものを強調したいという歴史家の意図もあるんだろうけど、それ以上にやっぱり、そっちのほうが面白いせいでしょうね。今も昔も、メインカルチャーよりサブカルチャーのほうが面白いに決まってるんだよ。げんに、現代ニホンではほぼ「メインカルチャー」に相当するものは見当たらなくなっちゃったもの。ほとんどぜんぶがサブカルチャー、ないしサブカルですね。それは「格差」はあっても「身分」は(幸いにして、まだ)無いからですね。