akiさんからさっそくご返事をいただきました。ありがとうございます。しかし今日これに返事を書きますと、1日に3回の更新で、当ブログ始まって以来の記録となり、往年の「しょこたんブログ」みたいになっちゃうんで、ご返事は明日以降といたします。なお4月13日の記事「akiさんへのご返事01 20.04.13 文字のこと。ほか」にもコメントをいただき、返事をしたためました。そちらも併せてよろしくです。
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忙しいはずなのにどうも貴ブログを覗いてしまう自分がおりますw まあ後悔は後でするとして。
「取った敵駒を盤上に打てる将棋の軍事への応用」については、(それを応用と言えるかどうかは判りませんが)「敵を調略して寝返らせる」ことが当たると思います。特に戦国時代では、この調略が常識になっていて、例えば関ヶ原の戦いでも小早川秀秋の裏切りが有名です(実は裏切りではなく最初から東軍だった、という見方が現在は一般的のようですが)し、石田三成も東軍についた加藤清正や福島正則などに「こちらに付くべし」との書簡を送っています。敵を攻めるまえにまず敵陣営の切り崩しから始める、というのは日本の戦国期に特有のものかもしれません。・・・・さてこれが将棋と関わるのかどうか、私には判断できませんが。
ちなみに、三国志の曹操は「敵陣営からの裏切り」によって呂布・袁紹に勝ち、また張繍の降伏によって荊州への足がかりを得ました。これらの成功体験があったために、赤壁の戦いで黄蓋の偽降を見抜けず、結局天下統一の機を逃すことになりました。これらは皆「向こうから降伏してきた」例であって、こちらから働きかけたわけではありませんが、つくづく裏切りに縁のある人ではあります。
陳慶之という将軍は武芸はからっきしダメで、「馬に乗れば落っこちるし矢を射ても当たらない」と史書に書かれる体たらくなのに、なぜか騎兵を指揮させると天下一品で、わずか三百騎の「白馬白甲」の騎兵を率いて大戦果を挙げるという、実に不思議な将軍です。おっしゃる通り、常人には見えない「敵陣のほころび」を見ることができる天才、という感じに田中芳樹氏は表現していますね。それでいて、「無理をしない」慎重さを持つ人であったがゆえに、四十七戦全勝という開いた口がふさがらないような事績を残すことができたのでしょう。わずか七千の騎兵で敵国に進軍していくことが「無理じゃない」という時点で桁外れの天才としか言えませんけど。
火薬の登場は武器を強力にし、戦争時の死者を増大させましたけど、実は弓矢が鉄砲に、投石機が大砲に置き換わっただけで、戦術ドクトリンは変化しつつも古代から20世紀初頭まで一直線につながっています。戦場の姿を一変させ、それまでの常識がひっくり返るほどの革命的な変化をもたらした兵器とは、やはり「機関銃」と「航空機」でしょうね。次に「核兵器」そして現在では「電子戦兵器」がそういった革命的兵器に当たるでしょう。今や戦場は、人の目には見えない電子空間に移っています。日本はこの方面への手当てがまだ極めて貧弱なんですよね・・・・。