ダウンワード・パラダイス

「ニッポンって何?」を隠しテーマに、純文学やら物語やら、色んな本をせっせと読む。

akiさんからのコメント 20.04.15「上兵は謀を伐つ」

2020-04-15 | 歴史・文化


 akiさんからさっそくご返事をいただきました。ありがとうございます。しかし今日これに返事を書きますと、1日に3回の更新で、当ブログ始まって以来の記録となり、往年の「しょこたんブログ」みたいになっちゃうんで、ご返事は明日以降といたします。なお4月13日の記事「akiさんへのご返事01 20.04.13 文字のこと。ほか」にもコメントをいただき、返事をしたためました。そちらも併せてよろしくです。






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 忙しいはずなのにどうも貴ブログを覗いてしまう自分がおりますw まあ後悔は後でするとして。


 「取った敵駒を盤上に打てる将棋の軍事への応用」については、(それを応用と言えるかどうかは判りませんが)「敵を調略して寝返らせる」ことが当たると思います。特に戦国時代では、この調略が常識になっていて、例えば関ヶ原の戦いでも小早川秀秋の裏切りが有名です(実は裏切りではなく最初から東軍だった、という見方が現在は一般的のようですが)し、石田三成も東軍についた加藤清正や福島正則などに「こちらに付くべし」との書簡を送っています。敵を攻めるまえにまず敵陣営の切り崩しから始める、というのは日本の戦国期に特有のものかもしれません。・・・・さてこれが将棋と関わるのかどうか、私には判断できませんが。
 ちなみに、三国志の曹操は「敵陣営からの裏切り」によって呂布・袁紹に勝ち、また張繍の降伏によって荊州への足がかりを得ました。これらの成功体験があったために、赤壁の戦いで黄蓋の偽降を見抜けず、結局天下統一の機を逃すことになりました。これらは皆「向こうから降伏してきた」例であって、こちらから働きかけたわけではありませんが、つくづく裏切りに縁のある人ではあります。


 陳慶之という将軍は武芸はからっきしダメで、「馬に乗れば落っこちるし矢を射ても当たらない」と史書に書かれる体たらくなのに、なぜか騎兵を指揮させると天下一品で、わずか三百騎の「白馬白甲」の騎兵を率いて大戦果を挙げるという、実に不思議な将軍です。おっしゃる通り、常人には見えない「敵陣のほころび」を見ることができる天才、という感じに田中芳樹氏は表現していますね。それでいて、「無理をしない」慎重さを持つ人であったがゆえに、四十七戦全勝という開いた口がふさがらないような事績を残すことができたのでしょう。わずか七千の騎兵で敵国に進軍していくことが「無理じゃない」という時点で桁外れの天才としか言えませんけど。


 火薬の登場は武器を強力にし、戦争時の死者を増大させましたけど、実は弓矢が鉄砲に、投石機が大砲に置き換わっただけで、戦術ドクトリンは変化しつつも古代から20世紀初頭まで一直線につながっています。戦場の姿を一変させ、それまでの常識がひっくり返るほどの革命的な変化をもたらした兵器とは、やはり「機関銃」と「航空機」でしょうね。次に「核兵器」そして現在では「電子戦兵器」がそういった革命的兵器に当たるでしょう。今や戦場は、人の目には見えない電子空間に移っています。日本はこの方面への手当てがまだ極めて貧弱なんですよね・・・・。





akiさんへのご返事02 20.04.15「軍事の話はとめどなく。01」

2020-04-15 | 歴史・文化


 将棋ってものが極限まで抽象化された用兵術のモデルであるとするならば、ぼくも小学生の頃から「戦術に関するシミュレーションをよく行ってい」たことになるかもしれませんけども。
 将棋の起源は古代インドと言われていて、それが東西に広がって多数のバリエーションを生んだんだけど、取った敵駒を再び盤上に打つ、つまり再利用できるのはすべての類似ゲームの中で日本の将棋だけなんですよ。この「持ち駒を打つ。」というのはかなり特異なことだなあ。と昔から思ってて、なんだろう、「捕虜をうまく使う。」ということなのかなあとか、考えたことがあるんですが、しかし飛車みたいなむちゃくちゃ強力な駒をいきなり敵陣に打ち込むなんてのは明らかに尋常じゃないんで、そんなレベルのことでもない。かりに武器に例えれば、「大砲」、いやむしろ「ミサイル」くらいの感覚ですが、だとすれば、昔の武将や軍師にとっては、日本の将棋は思考モデルとしてはあまり役に立たなかったかもしれません。
 どれくらい後世の潤色が入ってるのかはわからないけど、劇画などでみる名将や名参謀はむしろ囲碁を好む傾向がある。大所高所から戦況を鳥瞰するにはそちらのほうがいいのかもしれない。しかし自ら戦陣に立って全軍を差配するイメージはやはり将棋のほうですよね。ティムールは将棋が趣味だったと伝えられてますが、これは日本の将棋より枡目も駒の種類も総数も多く、その代わり、取った駒を使うことはできない大将棋でしょう。
 ともあれ、戦力が完全に互角であっても、用兵の巧拙によって勝敗がはっきり分かれることはこの手のボードゲームを想定すれば明らかです。だから「寡兵を以て大敵を討つ。」たぐいの武将が存在するのもわかります。陳慶之なんて人は(ぼくは今回初耳でしたが)、たぶん羽生善治レベルの天才だったのでしょう。


 横山光輝といえば、ぼくも小学生のころ夢中になりました。こちらはたまたま『水滸伝』でしたが。長じてのちは王欣太の『蒼天航路』で、これはまさしく三国志です。ただし、かなり大胆な翻案で、曹操が主役ですけども。そういえば、『映像研には手を出すな!』の後番組は、『キングダム』の新章ですね。
 ところで、『キングダム』『蒼天航路』『水滸伝』と並べて、いうまでもなくこれら3作はひとくちに「中国を舞台にした戦記物」といっても大きく時代が隔たっているわけですが、少なくともぼくなんかが劇画でみるかぎり、戦争の形態がそんなに激変してると思えないんですよね。つまり歩兵がいて騎兵がいて、武器は主に刀槍、飛び道具は弓、といったような編成ですね。カタパルト(投石機)なども見えますが、これもあくまで人力ですし。つまりは、持ち駒を使えない将棋っていうか。
 軍事史における「革命」というべきはやはり火薬の導入でしょう。これは釈迦に説法ですが、火薬といえば製紙技術、羅針盤とならぶ中国の三大発明。しかし火薬が「てつほう(鉄砲)」として本格的に戦闘に利用されるようになったのは元代、すなわちモンゴル帝国の時代からといわれていますね。そこから西欧に伝わっていった。
 それやこれやを考え合わせると、今までのやり取りにもあったとおり、「軍事」ってものはその国(共同体)の最先端の科学技術を如実に反映するものだし、それを裏打ちするのは産業構造や経済力や政治力や教育水準であったりするわけで、「軍事的な観点から歴史的事象を見る」というのは卓抜な感覚であると思いますよ。ひょっとしたらそれは、いちばんリアリスティックな観点なのかもしれません。


 やや取り止めなくなってきましたが、「書きながら思考をまとめている」ところもあるのでご容赦のほど。とにかく軍事の話は尽きません。サブカルとの絡みについては、また次回といたします。ご返事はまだ続きますが、このまま見守って頂いてもよいし、この時点でまたツッコミを入れていただくのも一興です。そういうわけでよろしく。