まずは前回の補足から。
41話のラストにおいて、まどか嬢は父・冬貴からの精神的な自立を果たし、「大いなる一歩」を踏み出したのだけれど、けっしてそれは、父を侮ったり、否定するということではない。「多様性の尊重」をうたう本作のスタッフが、プリキュアの面々をそのような浅はかな人格に措定するはずもない。今でもまどかは、父に敬意を抱いているし、これまで自分を正しく導いてくれたことへの感謝も失ってはいない。
誰しもにそれぞれの事情があり、心情がある。「香久矢の家を守るため自分を滅する。」というのは、それはそれでひとつの生き方であろう。自らの力量と、置かれた立場を鑑みて、「それ以外に術がない。」と判断を下してのことならば、娘であれ誰であれ、それを侮ったり、否定することはできない。ただ、それは自分の生き方ではない。自分はその生き方を選ばない。自分は、「なりたい私」を目指す。そういうことだ。それがまどかの決意なのである。
そのことは、今回の一戦において父の「負の側面」を投影された巨漢ガルオウガにもいえる。いったいに、今作の悪役たちはみな歪んではいても奇妙な魅力を湛えており、こにに至るまでに相当な辛酸をなめてきたことが伺えるのである。ガル氏にしても、「全宇宙を我らが手に!」などと、えらくステレオタイプな侵略主義者っぽい言を叫んでらっしゃるけれど、おそらくは過去生において、自身の無力さゆえに大切なものを守れなかった経験をもつのであろう。その悔恨と負い目のゆえに切実に「力」を欲し、「悪の帝王・ダークネスト」の下に身を投じた。それで今は、「やられる前にやれ! 力こそ正義じゃあ!」とばかりに、侵略主義に邁進している。そういうことかと思われる。あくまでも、これまでに出てきた断片的な情報を元にしての、現時点でのぼくの推測ですけどね。
もちろん今は、「フワを渡せ」「渡すわけには参りません」ということで、真っ向から利害が対立しており、対話の余地が見出せぬのだから、プリキュア側も物理で対抗するしかない。やるかやられるか、ぎりぎりの切所に立っているのは間違いのないことだ。だから相手に同情したり、内情を斟酌している余裕なんてないわけで、まあ、ぼくたちの生きる世の中なんて、いつでもそんな具合である。だが、児童向けファンタジーたるプリキュアシリーズは、そんな現実をいったんぐっと呑み込んで、日曜朝のテレビ画面に仮初めの夢を描くのだ。今作のプリキュア勢も、いずれは戦いの果てに、恩讐を越えて、敵役たちの抱える「多様性」にふれるのであろう。すでにユニがその先鞭(せんべん)を付けてもいる。次はどうやら、えれなの番らしい。
補足といえば、もうひとつ言うべきことがあった。「父との葛藤」というか、それこそ、やるかやられるかの斬り合いを余儀なくされたプリキュアさんが過去にもうひとりいたのだ。2010年『ハートキャッチプリキュア!』のキュアムーンライトこと月影ゆりだ。
月影ゆり(CV・久川綾)。高校生初のプリキュア。その名のとおり色濃い陰りをまとっている。かつては一人ですべてを背負って戦っていた。パートナーの妖精を失ったために変身不能となり、前半ではずっとそのままだったが、つぼみたちの尽力もあって復帰を果たす。作中では圧倒的な戦闘力を誇る
この「ハトプリ」は、シリーズの前身というべき『おジャ魔女どれみ』で知られる馬越嘉彦氏がキャラデザを担当しており、歴代でも群を抜いて可愛い造形となっていた。それでいて、この月影ゆりのパートナーである妖精はかつて戦いの中で命を落としており(妖精の落命はシリーズ中この事例のみである)、しかも彼女の「影」であり「妹」でもあるダークプリキュア(CVは高山“名探偵コナン”みなみさん)も最終決戦にて寂滅し、あげくの果ては敵に回った実の父までが帰らぬ人になるという、きわめてヘビーな結末を迎えた。前にぼくは『ドキドキプリキュア!』を異色と評したけれど、この「ハトプリ」もまた別の意味で異色作といえる。
主人公コンビの花咲つぼみ(CV・水樹奈々)と来海えりか(CV・水沢史絵)。とにかく可愛いので今なお人気は高い。左のえりかは歴代プリキュア中、他の追随を許さぬコメディエンヌである
この『ハートキャッチプリキュア!』の大きな特徴は、市井の一般人が敵のトリコとなって心を奪われ、その略奪された心が人形などに仮託されて巨大化・怪物化することであった。その巨大な怪物と戦って浄化し、奪われた心を本来の持ち主へと取り戻すのが毎週のプリキュア勢のノルマとなる。
興味ぶかいのは、怪物になったさい、囚われた当人が、ふだんは口にできない内面の屈託をプリキュアたちの前でめんめんと吐露するところである。いわばキリスト教の「告解」、現代であれば差し詰めカウンセリングの前段階のようなことが行われるわけだ。
そもそも彼ら彼女らが敵に目を付けられて心を簒奪されるのは、それだけの悩みを抱えていたからだ(もちろん、悩みのない人なんていないわけで、そういう意味では老若男女すべての人が目を付けられる可能性があるのだが)。ゆえに、怪物を「浄化」することは、たんにやっつけるとか、退けるってだけじゃなく、プリキュアたちにとって、囚われたひとが直面している課題の乗り越えの手助けをすることでもあったわけである。
それまでのシリーズでは、近場にあった無機物に敵側が邪悪な魂を吹き込んで怪物化する、というのが基本パターンだったので、「ハトプリ」の発明になるこの趣向は画期的であった。ただ、それが毎週のお約束となると、ややマンネリの気味も帯びる。それに長丁場の中では、「切実な課題」だけでなく、「ちょっとしたトラブル」のようなお悩みも混じってくる。
このたびの『スタートゥインクル☆プリキュア』では、市井の一般人が「歪んだイマジネーション」を悪用されて怪物が造られる点は同じだが、標的にされたひとが毎回決まって内面を吐露するわけではない。いわば「ここ一番」とでもいうか、プリキュアたちの誰かと縁(えにし)の深いひとが何かしらの憂慮を生じて煩悶したさいに、敵側によって心を囚われ、そのような事態に及ぶのである。「ハトプリ」の基本フォーマットがもっとも効果的なかたちで援用されているわけで、ここにもやはり、16年間の蓄積と、スタッフの創意を感じるのだ。
すでにこれまで、ひかると親しい遼じいこと遼太郎さんはじめ、実の祖父、さらには母まで同じ憂き目にあっている。どうもひかるの周りで被害者が多い。それでも、戦い終わって浄化の後には、祖父の春吉は家族を放擲して研究の旅に明け暮れる息子(つまりひかるの父。ひかるは心から応援しているが)に対するわだかまりを一応は解消できたし、母の輝美は漫画家として「売れようが売れまいが、編集者に何と言われようが、好きなものは好き」という初心を思い出し、創作への情熱を取り戻している。それぞれに当面の課題を乗り越え、「結果オーライ」になったんである。
しかし。
最新42話「笑顔の迷い、えれなの迷い。」では、えれなの母、6人の子持ちでありながら、通訳として忙しい日々を送る天宮かえでが、テンジョウによって心を囚われ、えれなの前で内面を吐露することとなった。
「ああ……えれな……毎日、わたしや家族のために、笑顔で頑張って……。……でも、あの笑顔は、えれなの……ほんとうの笑顔じゃない。心からの笑顔を見せてくれない……ああ……」
この『ハートキャッチプリキュア!』の大きな特徴は、市井の一般人が敵のトリコとなって心を奪われ、その略奪された心が人形などに仮託されて巨大化・怪物化することであった。その巨大な怪物と戦って浄化し、奪われた心を本来の持ち主へと取り戻すのが毎週のプリキュア勢のノルマとなる。
興味ぶかいのは、怪物になったさい、囚われた当人が、ふだんは口にできない内面の屈託をプリキュアたちの前でめんめんと吐露するところである。いわばキリスト教の「告解」、現代であれば差し詰めカウンセリングの前段階のようなことが行われるわけだ。
そもそも彼ら彼女らが敵に目を付けられて心を簒奪されるのは、それだけの悩みを抱えていたからだ(もちろん、悩みのない人なんていないわけで、そういう意味では老若男女すべての人が目を付けられる可能性があるのだが)。ゆえに、怪物を「浄化」することは、たんにやっつけるとか、退けるってだけじゃなく、プリキュアたちにとって、囚われたひとが直面している課題の乗り越えの手助けをすることでもあったわけである。
それまでのシリーズでは、近場にあった無機物に敵側が邪悪な魂を吹き込んで怪物化する、というのが基本パターンだったので、「ハトプリ」の発明になるこの趣向は画期的であった。ただ、それが毎週のお約束となると、ややマンネリの気味も帯びる。それに長丁場の中では、「切実な課題」だけでなく、「ちょっとしたトラブル」のようなお悩みも混じってくる。
このたびの『スタートゥインクル☆プリキュア』では、市井の一般人が「歪んだイマジネーション」を悪用されて怪物が造られる点は同じだが、標的にされたひとが毎回決まって内面を吐露するわけではない。いわば「ここ一番」とでもいうか、プリキュアたちの誰かと縁(えにし)の深いひとが何かしらの憂慮を生じて煩悶したさいに、敵側によって心を囚われ、そのような事態に及ぶのである。「ハトプリ」の基本フォーマットがもっとも効果的なかたちで援用されているわけで、ここにもやはり、16年間の蓄積と、スタッフの創意を感じるのだ。
すでにこれまで、ひかると親しい遼じいこと遼太郎さんはじめ、実の祖父、さらには母まで同じ憂き目にあっている。どうもひかるの周りで被害者が多い。それでも、戦い終わって浄化の後には、祖父の春吉は家族を放擲して研究の旅に明け暮れる息子(つまりひかるの父。ひかるは心から応援しているが)に対するわだかまりを一応は解消できたし、母の輝美は漫画家として「売れようが売れまいが、編集者に何と言われようが、好きなものは好き」という初心を思い出し、創作への情熱を取り戻している。それぞれに当面の課題を乗り越え、「結果オーライ」になったんである。
しかし。
最新42話「笑顔の迷い、えれなの迷い。」では、えれなの母、6人の子持ちでありながら、通訳として忙しい日々を送る天宮かえでが、テンジョウによって心を囚われ、えれなの前で内面を吐露することとなった。
「ああ……えれな……毎日、わたしや家族のために、笑顔で頑張って……。……でも、あの笑顔は、えれなの……ほんとうの笑顔じゃない。心からの笑顔を見せてくれない……ああ……」
テンジョウ。ユニにとってのアイワーン、ララにとってのカッパード、まどかにとってのガルオウガと同じく、えれなにとっての影(シャドウ)に当たる人。敵役の声優には実力派のベテランが起用されるのが通例だが、この遠藤綾さんもさすがの迫力
えれなのこれほど笑顔から遠い表情が描かれるのは初めてである
「いつも笑顔でいること。周りのひとを笑顔にすること」を幼少期からのモットーにしているえれなにとって、実の母からこのような言葉を聞かされることは、アイデンティティーを根底から揺さぶられるほどのショックだったに違いない。ぼくなどは、「これは今回、変身できないんじゃないか。」と危ぶんだほどだ。だが、前回えれなからのアドバイス(「迷った時には、まどかがいちばん笑顔になれる方を選べばいいんじゃないかな?」)によって自らを支えたまどかをはじめ、仲間たちの助けを借りてどうにか気を取り直し、キュアソレイユとなって、苦戦しつつもなんとか母を解放する。
しかしもちろん、このたびは何ひとつ片付いてはいない。えれなの戦いは次週へと持越しである。今回の件は母娘問題でもあるし、「家族のために無理をするのが常態になっていて、無理していることに自分でも気が付いていない。」という大変リアルでデリケートな問題でもあるし、スタッフがこれにどのような結末を用意するのか、正直ぼくにもわからない。いずれにしても、えれな一人で、あるいは彼女と母親だけで解決できるものではなく、父親や弟妹、とくにすぐ下のとうま君など、ほかの家族たちと力を合わせて乗り越えるべき課題であるのは確かだと思うが。
謹んで、かつ楽しみに、次週の放送を待ちたい。