ダウンワード・パラダイス

「ニッポンって何?」を隠しテーマに、純文学やら物語やら、色んな本をせっせと読む。

野坂昭如さんを悼む。

2015-12-10 | 純文学って何?
 日々の雑事の合間を縫って、「相良油田」の続きの下書きをちまちまと書き溜めているなかで、野坂昭如の訃報を聞く。悲しい。これでまたひとつ、「昭和」が遠くなった気がする。野坂文学との出会いを綴るなら、またしても例の高校の図書館へと遡らざるを得ないのだけれど、追悼の記事はいずれまた日を改めて書くとして、取り急ぎここでは、一点だけを書き留めておきたい。まだ文学青年でも何でもなく、芥川賞と直木賞との違いすら定かでなかった高2のぼくは、初夏の放課後、たまたま手近な書架にあった『死者の奢り・飼育』と『アメリカひじき・火垂るの墓』(ともに新潮文庫)とを持ってきて読んだ。そのとき受けた鈍痛に似たショックは、30余年が過ぎた今もなお、胃の腑のあたりに消えがたく残っているようだ。その衝撃が大江さんによって齎されたものか野坂さんから齎されたものか、両者が渾然一体となって、もはや弁別できないのである。昭和四十年代、脂が乗りきっていた頃の野坂昭如は、のちのノーベル賞作家に勝るとも劣らぬ作品を書いていたのだ。その後ぼくは、これまた当ブログをずっと読んで下さっている方にはお馴染みの「新潮現代文学」の野坂昭如の巻を借りて一気読みすることになるのだが、そのなかの「骨餓身峠死人葛(ほねがみとうげほとけのかずら)」こそ、日本文学史に暗然と(燦然と、ではなく)輝く不朽の名作と信じている。
 いちおうは直木賞作家だけど、純文学と娯楽小説との境を無効化するような独立不羈、ワン・アンド・オンリーの巨きな作家のひとりであった。謹んでご冥福をお祈りいたします。