ダウンワード・パラダイス

「ニッポンって何?」を隠しテーマに、純文学やら物語やら、色んな本をせっせと読む。

安岡章太郎おぼえがき / 折れた杉箸

2015-10-19 | 純文学って何?
 10月7日に再掲した記事では、なにやら高橋和巳のことばかり書いちゃったけれど、ほんとはもちろん小松左京についても言いたいことは山ほどあって、改めて『継ぐのは誰か?』を読み返したらば、ラスト部分の記述が「攻殻機動隊」の先取りになってたもんだから吃驚した。つまり人類すべてがそれぞれの脳そのものでもってサイバースペースに接続し、全体として、広大きわまるネットの海を形成するというビジョンですわ。「攻殻機動隊」の先取りってことは、ウィリアム・ギブソンの先取りってことで、ようするにサイバーパンクを視野に入れてたってことですね。いや、なにもそんなに話を難しくすることはない。今日のわれわれが当然のように享受しているWWWを、小松さんは精確に把握し、それを小説の中に取り入れていたって話。この作品が「SFマガジン」に連載されていたのは昭和43年すなわち1968年(!)。たぶん、これは世界レベルで見ても相当に早い方だったはずだし、当時の大多数の読者には文字どおり「SF」としてしか捉えられなかったろうなあとも思う。
 ただ残念ながらその尖鋭な認識はあくまでも簡単なビジョンの提示に留まっていて、「物語」として展開されてはいない。だからやっぱり小松左京は小松左京で、W・ギブソンにはなれなかった。日本からギブソンは出なかった。ここから日米ハイテク技術論、さらに日米文化論へとつなげていく力量は残念ながら私にはないが、SFってものがたんなるサブカルの一ジャンルではなく、途方もない可能性を秘めた表現手段であるということを再確認したってことだけは言っておきます。ちなみに今回ぼくが読み返した『継ぐのは誰か?』は、1998年にハルキ文庫で復刊された版。日下三蔵氏が仕掛け人だと思うんだけど、このころ(つまり20世紀末)小松さんの初期~中期の名作・傑作が次々とハルキ文庫で蘇って、ちょっとしたコマツ・ルネサンスの様相を呈してたんですよねー。
 はてさて。ぼくは純文学バカではあるが如上のとおりSFをはじめエンタテインメントに並々ならぬ敬意を抱いてもおり、というか、もともと娯楽小説と純文学とは巨鳥の両翼、双方がバランスよく発達してこそ、一国の文化は高々と天翔けるものだと信じている。しかるに現在、娯楽小説のほうはラノベ、マンガ、アニメ、ゲームなどと止めどなく拡散・融合しながらアメーバのごとく巨大な市場を成しているのに対し、いっぽうの純文学は「火花」ごときに伝統ある賞を授けてどうにかこうにか窮状をしのいでるようなありさまなもんで、どうしてもブログでは純文学を顕揚せざるをえないし、時にはそのあまりの不振ぶりに激昂して、つい居丈高なことを書いたりなんかしてしまうのである。お聞き苦しいところはすいません。
 というわけで、今回再掲するのはもろ純文学の礼賛記事です。まずは安岡章太郎。これは2013年、この大家の訃報に接してアップしたもの。高橋和巳の記事の中で、

 そして文壇の主流はいわゆる「第三の新人」たち、すなわち安岡章太郎に代表されるような、日常を生きる猥雑な生活実感とか、卑小なる身体感覚のなかで小説の世界を作り上げていく人々の系譜へと移っていった。かくして、「政治」とは? 「宗教」とは? 「国家」とは? 「革命」とは? なんて大命題を高々と掲げて真っ向から文学を志すひとなんてのは、少なくとも「純文学」の範疇では、ほとんどいなくなりました(むしろ直木賞系にその理念を継ぐタイプがいたりして、じつは村上龍は、ぼくの基準ではそちらのほうに属します)。

 と書いたのに関連して引っ張ってきました。それともうひとつ、同じ「第三の新人」に属する吉行淳之介の「驟雨」を引き合いに出して、ぼく自身のいわば「純文学開眼」について語ったエッセイを。……読み返してみたら、ここでも『継ぐのは誰か?』の話を出してるなあ……。この記事では純文学を持ち上げようとするあまり、エンタテインメントについてけっこう失礼なことを書いておりますが、娯楽小説に対するぼくの考えは上に記したとおりです。それではまず、安岡さんの話から、どうぞ。


安岡章太郎おぼえがき
初出 2013年02月09日


 この1月26日に安岡章太郎が92歳で亡くなった。この安岡章太郎という作家のスゴサってものは……どうしてもここは、「凄さ」ではなく安岡さん風に「スゴサ」と書かなきゃだめなんだけど……代表作「海辺の光景」(うみべ、ではなく、かいへんと読みます)を一読すればたいていの人が嫌というほど思い知るであろう。田中慎弥の「共喰い」と同じく、息子=父よりも息子=母の繋がりを中心としたニッポン式のエディプス・コンプレックス物語、つまりまあ「ボクとオカン、ときどきオトン」のお話なのだが、話題につられて「共喰い」を読んだ若い人たちは、もし未読なら、ぜひとも「海辺の光景」をも併せ読んでいただきたいと思う。500円出せば今も新潮文庫で手に入る。

 「共喰い」について述べた記事の中でぼくは、この作品がかなり明瞭にギリシア悲劇的な(正確にいえば、ギリシア悲劇を劇画調にデフォルメしたような)骨格を持っていることを指摘し、「昭和の純文学は、これほど劇的な構成を立てない。もっとぐずぐず日常性に流れていく。」と書いた。そのときにはっきり「海辺の光景」を念頭に置いていたわけではなかったが、訃報に接して改めて読み返してみると、やはり自分がこの作品を、心のどこかで強く意識していたのが分かった。これはまあ、安岡さんの代表作であるのみならず、「戦後文学の達成のひとつ」と称されるほどの名品なのだが、正直いって、ぼくは20代の頃にはどうにも読むことができなかった。べたべたねちねち、あまりにも「リアル」な日常性に塗れており、それゆえに読めなかったのだ。

 ひとことで言えば、30代前半くらいの一人息子が瀕死の母親を郷里の病院に見舞い、その臨終を看取るまでの話、と要約しうるこの中編において、注目すべきはそのストーリーではなくて、むしろ両親へと注ぐ主人公・信太郎の偏執的なまでの眼差しであろう。

 (……)信太郎は(…中略…)その顔を母の側に近づけた。汗と体臭と分泌物の腐敗したような臭いが刺すように鼻についた。しかし、その臭いを嗅ぐと、なぜか彼は安堵した気持になった。重い、甘酸っぱい、熱をもったその臭いが、胸の奥までしみこんでくるにつれて、自分の内部と周囲のものとのバランスがとれてくるようだった。いまは変型した母の容貌のなかに、まちがいなく以前の彼女のおもだちが感じられる。いつまでも子供っぽい印象をあたえていた額は渋紙色に変って深い縦皺がきざまれ、ゴム鞠のようにふくらんでいた頬は内側からすっかりえぐりとられたように凹んで、前歯一本だけをのこして義歯をはずされた口はくろぐろとホラ穴のようにひらかれたままだ。それに、あんなに肥って、みにくいほど二重三重になっていた頤の肉は嘘のように消えて、頤がそのままシワだらけの喉にくっつきそうになっている。けれども、いまは次第にそれらのものが、それぞれに昔からなじんだ部分部分のなごりを憶い出させてくれる……。だがそれだからといって、この母に何か話しかけてみる気にはなれなかった。(……)

 あるいは、

 (……)ふだんから父は存分に時間をかけて咀嚼する方だ。ひと口ひと口、噛みしめるたびに、脱け上がった広い額の下で筋肉の活動するさまがハッキリ見える。乾いた脣のはしに味噌汁に入っていたワカメの切れはしが黒くたれさがっているのも知らぬげに、口は絶え間なくうごいており、やがて噛みくだかれたものが食道を通過するしるしに、とがった喉仏が一二本剃り残されて一センチほどの長さに伸びた無精ヒゲといっしょに、ぴくりと動く。まるでそれは機械が物を処理して行く正確さと、ある種の家畜が自己の職務を遂行している忠実さとを見るようだ。(……)

 こういった容赦なき描写が全編にわたって続く。もちろん、たんに容貌のみならず、その来歴や性格、言動や生活態度のあれこれが、これでもかとばかりに微に入り細を穿って描かれるのだ。最初にこの文庫本を手に取ったとき(結局ラストまで読めなかったのは冒頭に述べたとおり)、小説家になるためにはここまで踏み込まねばならないのかとアゼンとしたものだ。いや、アゼンというより、もっと生理的な嫌悪感を覚えて本を放り出したように思う。なにか自分がいちばん秘匿したいものを白日の下に晒されたような気がした。つまりはこれが「私小説」ってやつのオソロシサであり、我が国において異常に発達したこの制度は、さまざまな批判を浴びてきたとはいえ、こうして改めて見ると、やはりただならぬ強度を持っていると認めざるを得ない。

 安岡章太郎という作家は、「人生の劣等生、敗残者、落伍者」としての自己(および家族)の肖像を書き綴ることで作家としての地歩を築いていった。文学史的な分類としては、俗に「第三の新人」と呼ばれるグループに属する。第三の新人とは、ざっくり言えば、概して観念的で重厚な作風をもつ「戦後派」のあとに現れ、より卑小で繊細な日常を描くことをモットーとした若い作家たちの集団であった。ほかに吉行淳之介、遠藤周作といった俊英もいたが、芥川賞を取ったのは安岡さんがいちばん早かった。学校やら実社会においては劣等生であり落伍者であったのかもしれないが、作家としては生粋のエリートだったわけだ。トランプのゲームに、マイナスのカードをぜんぶ集めたらプラスに変わるのがあったが、あるいはそんな感じかもしれない。

 芥川賞をとった「陰気な愉しみ」の中に、以下のくだりがある。進駐軍の占領下における貧しき日本人の屈折した思いを留めて世評の高い描写だが、

 私はまた大廻りして、別のもっと幅の広い通りも歩く。そこは外国人相手のみやげ物屋やレストランばかり並んでいるので、私は買い物や食事をしている外国人をながめる。……写真機をいじくっているアメリカ兵の後に立って、お尻でつきとばされるのは、ちょっといいものである。しかし、もっと好いのは、日本人のボーイに送られてレストランから出てくる家族づれを見ることだ。チップをそれで補う心算もあって、愛嬌をふりまきながら夫人がまず出てくる。その次がやや神妙そうな顔をした主人で、最後が子供だ。……私は幸福な彼等にみとれる。実際、彼等はたしかにわれわれとは人種がちがう。そばにいるボーイは彼等にくらべるとまるで猿だ。そして私はそのボーイよりまた一段下なのだが……。ところで私のたのしみは、これからだ。行き先きでも相談するのか大人たちは子供に背を向けて話し合っている。その隙に、私は怖い顔をつくって子供の顔を睨みつけてやるのだ。子供は、さッと顔色を変える。……

 まさに「陰気な愉しみ」だけれども、「戦後派」の作家たちならもっと壮大なドラマに仕立てる筈の葛藤を、こういったエピソードとして造型するのが「第三の新人」の、また安岡さんの真骨頂なのだ。そして、それはたしかに小説という形式の本道であろうとぼくは思う。要するに、べたべたねちねち、厭になるほど「リアル」なのである。おそらくはそれゆえだろう。野間宏の「暗い絵」のように、かつて新潮文庫に入っていた「戦後派」作家の小説の大半は今やもうすっかり消えてしまっているけれど、安岡さんをはじめ、第三の新人の作品の多くはいまだに新潮文庫で版を重ね続けている。

 それでは、今日は引用づいているので、あの手厳しい柄谷行人をして「……私たちが一九五〇年代から六〇年代にかけて通過しなければならなかった、根本的な社会的構造の《変化》の暗喩たりえている。」と言わしめた「海辺の光景」の名高いラストシーンを最後に引いておきましょう。

 岬に抱かれ、ポッカリと童話風の島を浮べたその風景は、すでに見慣れたものだった。が、いま彼が足をとめたのは、波もない湖水よりもなだらかな海面に、幾百本ともしれぬ杙(くい)が黒ぐろと、見わたすかぎり眼の前いっぱいに突き立っていたからだ。……一瞬、すべての風物は動きを止めた。頭上に照りかがやいていた日は黄色いまだらなシミを、あちこちになすりつけているだけだった。風は落ちて、潮の香りは消え失せ、あらゆるものは、いま海底から浮び上った異様な光景のまえに、一挙に干上がって見えた。歯を立てた櫛のような、墓標のような、杙の列をながめながら彼は、たしかに一つの〝死〟が自分の手の中に捉えられたのをみた。



折れた杉箸
初出 2010年12月14日


 おおむね高2の夏くらいまでぼくは古典とか純文学にさしたる関心がなく、読む小説といったらSFが主だった。SFは、今でこそ各方面に拡散してしまってジャンルとしては廃れ気味のようだが、当時はわがご近所の貧弱な図書館にも、世界や日本の名作群がごっそり揃っていたのである。ひときわ感銘を受けたものとして、今でもよく覚えているのは小松左京の『継ぐのは誰か?』と『果しなき流れの果に』の二作で、あれはまさしく物語の形を借りた文明論というべきものだった。いわゆるスペキュレイティヴ・フィクション(思弁小説)の趣きもあり、すこし後の(つまり二十歳をいくつか出たころの)ぼくが小説を書いて身を立てようなどと無謀な決意を固めながらも、結局のところ文学作品はそれほど読まず(映画はアホほど観ていたが)、もっぱら思想とか歴史の本ばかり読み漁ることとなる淵源のひとつはあの辺りにあったのかなあとも思う。

 高2以前に話を戻すと、SFと共に好きだったのはアクションもので、これはまあマンガやアニメの延長みたいな気分で消費していた。そう、まさに消費財としか言いようのない、ハリウッドのB級映画みたいな代物である(こんな書き方をしちゃったからには、実名を出しちゃあまずいんだろうけど、平井和正や大薮春彦、あと、初期のドタバタ時代の筒井康隆とかです。ファンの方々、すいません)。

 つまりまあ、『勝手にしやがれ』のラストでジーン・セバーグがつぶやく有名な台詞をもじって言うならば、「文学? それってなんのこと?」といった調子でずっと過ごしてきたわけだ。ただ、漱石の『吾輩は猫である』だけは妙に気に入って小学生の頃から繰り返し読んでいた。あまりに『猫』が好きなので、じつはいまだに漱石が後年に著した(より深刻で《文学的》な)作品たちにうまく馴染めない。むろん他にも、何しろぼくらの子供の頃にはゲームもケータイもなかったから、今の少年少女たちよりはたくさん活字に親しんでいたと思うけど、ここにわざわざ書き記すほどの書物はないようだ。家が狭く、親がインテリとは程遠いタイプなもんで、「世界文学全集」がなかったことが大きいと思う。プロの作家の回想録を読んでると、たいていの人が自宅にあった「世界文学全集」を幼児期に一通り読んで文学の素養を身につけたと書いている。そういう経験を持てなかったことは一生もんの欠落だけど、この齢になって苦情を言ってもしょうがない。

 「文学ってなんのこと?」とうそぶきながら(いやまあもちろん、じっさいにうそぶいていたわけではないが)、いずれは理系の技術者になるのであろうと目算を立てていたぼくが急激に《純文学》へと傾斜したのは、時期としては高2の夏辺りということになるが、このころになにか特筆すべきことが起こったわけではなく、やはり青春のアイデンティティー・クライシスってことになるんだろう。内面がふつふつ煮え滾ってきて、それを制御するためのコトバが必要になってきたのである。すこし気取っていうならば、革ジャンのポケットにナイフを忍ばせて夜の街を闊歩するかわりに、本を読みまくってたようなものだ。だからぼくにとっての読書というのは、「教養を身につけるため」ではなく、内的な必然に追い立てられてのものであり、それが社会的な意味で「健全」な性向だったとは思ってはいない。世の中の大多数の人々はたぶん、「文学」などとは無縁のままに、ゲームをしたりエステに行ったり車を乗り回したり、水嶋ヒロのデビュー作を買うために行列を作ったりして一生を終えていくのであろうが、けして皮肉で言うのではなく、それはたいへん幸福なことではないかと思う。あなたがもし文学を切実に渇仰していないのなら、それに越したことはない。

 ぼくが文学に入れ込んだのは、如上のとおり内的な衝動に従ったうえでのことであったが、もっぱら技術的な面で、「純文学」の真価に開眼するきっかけとなった小説は明瞭に記憶している。吉行淳之介さんの『驟雨』である。これは昭和29年の作品で、芥川賞受賞作でもあり、ぼくが読んだ80年代の半ばにはすでに「戦後日本文学を代表する名品」としての風格を漂わせていた。新潮文庫の『原色の街・驟雨』に入っているが、ぼくが読んだのは当時高校の図書館にあった全80巻の「新潮現代文学」でだった。これは川端康成・井伏鱒二・中野重治から筒井康隆・井上ひさし・古井由吉に至る一人一冊のシリーズで、この全集を手当たり次第に貪り読むことで、ぼくはそれこそ「文学の素養を身につけた」のだ。もとより未熟ではあったにせよ、思えばこれまでの生涯でもっとも甘美な読書体験といえるかもしれない。ほぼ3日に一冊のわりで借りていき、一冊ごとに新しい世界が広がっていく感覚だった。80巻すべてを完読したわけではないが、いちおうほとんどに目を通したはずである。ただしおかげで理系の成績は急落したし、友達づきあいもずいぶん疎かにしてしまったから、良かったとばかりは言えない。

 吉行作品は90年代後半以降、フェミニストたちの手厳しい批判の標的となっていささか旗色が悪くなったように思うが、裏返せばそれは、「オトコ」の目から眺めた世界の情景をこのうえなく的確に描き出しているということではないか。この記事を書くに当たって、表題作二本のほか「薔薇販売人」「夏の部屋」「漂う部屋」が収められた新潮文庫版をざっと読み返してみたが、これがちっとも古びていないどころか、めっぽう面白かったのである。かりにフェミニストたちから反動的と謗られようとも、やっぱりぼくも一人のオトコであるらしい。ともあれ、初期吉行の作品風土というべき「娼婦の街」(いわゆる赤線のこと)http://www.tokyo-kurenaidan.com/yoshiyuki-hatonomachi1.htm を舞台に、若くて知的で上品な娼婦に(そんな娼婦がかつて実際に存在していたのか、そして今も存在するのかどうか、不勉強にしてぼくは知らぬが)、持ち前の信条に反して恋愛感情を抱いてしまった青年のてんまつを描いたこの短い小説に、高校2年のぼくはすっかり参ってしまった。

 その「持ち前の信条」は、この作品の冒頭に箴言みたいな形で出てくる。わりと有名にもなったし、ある意味で、吉行文学のマニュフェストのように見なされてもいるはずである。いわく、「……愛することは、この世の中に自分の分身を一つ持つことだ。それは、自分自身にたいしての顧慮が倍になることである。そこに愛情の鮮烈さもあるだろうが、わずらわしさが倍になることとして故意に身を避けているうちに、胸のときめくという感情は彼と疎遠なものになって行った。」 いま改めて書き写すと、なんか、「草食系男子」の内面を先取りしているようだネ。この五十六年前の草食系男子は、「わずらわしさ」を怖れて金銭を対価に性欲を解消するだけの関係を取り結んだはずが、いつしか彼女の(躯だけではなく)内面に強く心を惹かれていくのを感じる。このあたりの心理描写の緊密さは、それまでぼくが読んできたいかなるSFやアクションものにも見られないものだった。そして、ショッキングなラストシーン。

 捥(もぎ)られ、折られた蟹の脚が、皿のまわりに、ニス塗りの食卓の上に散らばっていた。脚の肉をつつく力に手応えがないことに気付いたとき、彼は杉箸が二つに折れかかっていることを知った。

 これは彼女と逢引をするため娼家を訪ねた青年が、「いま、時間のお客さんが上がっているの。四十分ほど散歩してきて、お願い。」と断られたために、「縄のれんの下った簡易食堂風の店に入って、コップ酒と茹でた蟹を注文し、そこで時間を消そうとした。」あげくの出来事である。杉箸ってのはそう易々と折れるもんではない。どれほどの力を込めたなら、その杉箸が無意識のうちに折れるのだろうか。しかも、「捥(もぎ)られ、折られた蟹の脚が、皿のまわりに、ニス塗りの食卓の上に散らばって」いることで、無残な惨状のイメージは、よりいっそう増幅されている。それは例えばミサイルによって壊滅した都市や、マシンガンの乱射によって累々と横たわった死体の描写などよりも、はるかに鮮烈に高校2年のぼくの心を打った。そうしてぼくは純文学の凄みを思い知り、それ以来、今に至るも純文学の信奉者であり続けてるのだった。