ある幼稚園に出向いた時のことです。
何度も行っている幼稚園なのでいつものように園長室で最近の幼稚園の様子について話を聞いていました。
年少クラスの担任が相談があるというので、さっそく話を聞くことにしました。
担任している男の子のことです。
なかなかクラスの活動に乗ってくれない、園で決められた服に着替えることができない、登園しぶりが見られるなどでした。
保護者の協力もなかなか得られなくて、もうすぐ運動会があるのに一人だけ体操服を着ていないのはどうかとも意見が出ました。
私は、幼稚園の服を着ないというのはそれだけの問題ではなく、その子の意識の問題や、不安感からくるものもあるので
無理をしない、楽しい雰囲気作りに努めるということを基本としました。
保護者の問題は、ゆっくり話をしていこうとしました。
もう少し具体的な話もし、その場を終えました。
教室に入り、歌も入れた朝の会の後は、英語教室です。
どこの幼稚園も英語教室や体育教室はつきものです。
ここの評価は別の機会に譲りますが、保護者を意識すると実施せざるを得ないのかもしれません。
英語教室が終わり、給食の時間まで外遊びになりました。
子どもたちの様子を観察しながら、先の担任と少し話をしました。
「楽しい教室とはどういうものか、子どもたちと気持ちを通じていくとはどういうものか
そして、昨年までいたベテランの教師が退職して、相談してきた先生が本採用では一番年長になっていること。
他の若い先生たちとの関係や、周囲の目が気になることなど、誰にでもあるよ。気にしないでいいよ。
みんな超えてきた道だから…あなたにはやさしいトーンという武器があるんだから、後はメリハリだよ。
わかりやすい言い方と、伝えたいことばのリズムです。時には数字を使って伝えることもあるよ」と話しました。
するとその先生の目から涙がぽろぽろこぼれてきました。
「いい教育をしたい」という思いは人一倍もっているのです。
それでもなかなかうまくいかない。もんもんとしている所に、アドバイスが入る。
わかっていたつもりでも、できていなかったり、忘れていたことを指摘されると、悔しいのではなく自分の未熟さに涙が出るのだと思います。
私も若い頃、研究会にレポートを持ち込んで、共同研究者から指摘されると泣かないまでもそんな思いになったものです。
でも、この先生の涙は本物だと思います。成長への糧となる涙だと思います。
「頑張れ!」という思いと、真剣に障害児教育に向き合う教師の姿に自分の仕事についての励ましをもらったような気がしました。
幼稚園や学校が子どもたちにとって、楽しいところじゃないこともありますよね。だったらせめて、居心地の良いところであってほしい、少なくとも辛くないところであってほしいと願っています。いつだって子どもの気持ちに寄り添いたいと思っているし、そうでないと結局なにをやったって本当の支援にはならないことも知っている、わかってるんです。
でもでも、運動会や文化祭などの行事の前に揺れる子どもの心の声だけを聞いてるはずが、チョットだけ「みんなと同じにできてほしいな」なんてことをつぶやく自分の心の声もかすかに聞こえたりして、ビックリすることがあります。一番近くにいて、応援しているつもりで、実は一番圧力をかけてしまう・・・そんな怖ろしい存在にならないようにします。
揺れる子どものために私ができることって、本当に少ないけど、誰のために頑張るのかは、自分の中ではっきりさせておこうと今夜は思っております。