とりあえず一所懸命

鉄道の旅や季節の花、古い街並みなどを紹介するブログに変更しました。今までの映画や障害児教育にも触れられたらと思います。

映画について

2006-05-23 23:59:26 | 映画
 自分のブログに映画の感想など書いておいて今さら言うのも変ですが、映画を評価するというのは何なのでしょう?映画の話をするとけっこう盛り上がることもあるけど、話している人と映画の価値観が違った時の気まずさったらないですね。時によっては、「こいつと二度と口きいたるかい!」と思うこともあります。

 女性と話して代表的な例は、「映画は現実を忘れるためにあるもの」などと言われる方がいます。そういう方が見られる映画は、大それた古典的ラブソトーリーだったり、ラブコメだったりします。一方であり得ないようなSFXなどもお好きなようで、こういう方とは「あっそう…」くらいで話を合わせるようにしています。

 テレビの視聴率を稼いでいるようなドラマを見るとだいたいその傾向は顕著なような気がします。あり得ない話ばかりが目白押しです。「どこにそんなやつがおるんじゃー!」とテレビにつっこみをいれても始まらないのですが…。  結局、何が言いたいのかというと映画は好きずきで何を見ようと、何を評価しようといいんだよということです。

 でも、何を評価する(何を良いものと選択する)という基準のようなものは、人を判断するときに有効な手段になりえるということです。「面白ければいい!」「泣ければいい!」「心がほんわかすればいい!」いろんな基準があるのだと思います。

 何かを表現するしようと思う時に、メディアはいろんな形があると思います。落語のような口承文化、純粋にメロディだけの音楽。歌詞をともなった歌、その小説や詩のような読み手が頭の中で描き出す世界に頼るような文化、この場合読んだ者どうしが交流しなければ、それぞれの読み手の世界は無数に存在することになります。

 今問題にしている映画というメディアは、作り手が自分の頭の世界で映像化したものを相手に伝えようとしているものです。その時、描き手が何を表現しようとしているのかはつかみ取りたいと思います。例えば荒唐無稽であっと驚くような表現を駆使していたマトリックスやターミネーターも元のストーリーはありえない矛盾に満ちているようなものです。

  あるいは、ワイヤーアクションにあふれている中国映画の大作などもストーリーは敵討ちだったり、ただの時代劇だったりするようです。  見終わった後で、「何だったんだ!金と時間を返せ!」と思うか、「ああ面白かった!楽しい時を過ごせた!」と思うかの違いだと思います。初めの話にもどりますが、後者の場合はやっぱり『現実逃避』になってしまうのかな?と思います。

 …となれば、現実逃避型の映画がどんどん量産されているアメリカ映画は、逃避させたい現実がたくさんあるということなんじゃないかと思ってしまいます。ベトナム戦争の傷跡生々しいアメリカで、映画の世界はどんどん宇宙を描いていたことを思えば、的外れの話ではないのでは…。
コメント
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