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とりあえず一所懸命

鉄道の旅や季節の花、古い街並みなどを紹介するブログに変更しました。今までの映画や障害児教育にも触れられたらと思います。

横須賀ぶらり歩き3

2012-02-16 08:19:08 | 写真日記

三笠公園を出るとすっかり夕方です。東京方面に出ると夕方が早いのがいつも気になります。

もと来た道を歩くのもつまらないので、一つ山側を通りながらどぶ板通りをめざしました。

どぶ板通りとは、京急汐入駅から米海軍ベースにかけての一帯の商店街のことを指します。

正確には横須賀市本町という住所なのですが、「どぶ板通り」という名前で呼ばれているようです。

どぶ板通りの名前の由来は、本町一帯の通り(現在のどぶ板通り)には道の中央にドブ川が流れていました。

そのドブ川が人の往来やクルマの通行に邪魔なので、海軍工廠より厚い鉄板を提供してもらい、

ドブ川に蓋をしたことから、いつの日からか「どぶ板通り」と呼ばれるようになったそうです。

第2次世界大戦後は、横須賀に駐留した米軍の街として栄えていきました。口紅を厚く塗った女性が街角に大勢立っていたという悲しい歴史ももった街です。

現在では時代の変化と共にバラエティ豊富な業種が軒を連ねる、特色ある商店街になっています。

 

昔ながらの肖像画店、ミリタリーショップ、スーベニアショップ、外人バーやレストランなどもあり、日本とアメリカの雰囲気が融合する、独特な商店街になっています。

もう少し続けます。次回につづく。

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横須賀ぶらり歩き2

2012-02-14 23:28:21 | 写真日記

横須賀ぶらり歩きの第2弾です。

これでもかという軍艦のオンパレードにすっかり閉口してしまいました。

船体そのものは非常にかっこいいし、子どもの時に作ったプラモデルの世界なのですが、

全て戦争の道具というリアリティーがあり、いやな気分にさせられていました。

船から上がって、さて何をしようと思いましたが、戦争のイメージを何とか払拭したくて街をぶらついてみることにしました。

古い街並みを期待したのですが、この街はなかなか見当たりません。

でも、京急の汐入駅の高架を超えると、なかなか生活感あふれる青果店を見つけました。

こういった生活感が好きです。

汐入駅前の商店街です。

少し元気になったので、やっぱり戦艦三笠を見にいくことにしました。

道路を歩いていると、さすが米軍基地の街です。看板に特徴があります。

三笠公園の標識を目印に道路を左折しました。

するとそこは米軍基地の通用門でした。大きないかりのオブジェと監視塔です。

普通に、迷彩服の軍人さんが通勤しています。

何とも不思議な光景です。ここはどこ?日本だったよね。そんな感じです。

三笠記念館は、もう時間が遅くて中には入れませんでしたが、外からみるだけで十分な気がしました。

「三笠」は1902年(明治35年)にイギリスで建造された戦艦で、日露戦争において東郷平八郎司令長官が乗艦した船です。

戦後一度は米軍の指示により、解体寸前までいきましたが、1961年に米軍の協力で今の形になったそうです。

NHKが『坂の上の雲』を放映して盛り上がっているようで、何をどうしたいの?という気がします。

三笠のHPも見ましたが、日本の防衛戦争だという立場を一貫しています。

子ども向けのページも大東亜共栄圏の歴史観で書かれてあり、15年戦争に導いた歴史は一言も語られていません。

戦争の話はこのくらいにして、明日は街の中を紹介します。

 

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横須賀ぶらり歩き

2012-02-12 11:32:23 | 写真日記

 

2月9日(木)~10日(金)まで横須賀に行っていました。

平日ですが、養護学校の研究発表会に行って来ました。

会の日程と予算の関係で金曜日の発表会は全日程参加できることになりました。

木曜日は移動日です。何時から行ってもいいということで朝から出かけました。

新幹線の中でいつもは寝て過ごすのですが、勤務時間ということもあって仕事をすることにしました。

パソコンを取り出し、先日の講演のテープ起こしの続きに取りかかりました。

最近ののぞみには電源がついているので非常に便利です。長時間でもパソコンがストレスなく動きます。

この日は天気も良く富士山もよく見えていました。

新横浜で降りてから横須賀に行くのによく地理がわかりません。

スマホ頼みで電車に乗り継いで横須賀駅に降り立ちました。

ホテルはインターネットで予約したので午後5時過ぎにしかチェックインできないショートステイタイプです。

駅からどうしようかな?と海の方へ向かうといきなり目に着くのが巨大な戦艦です。

そうです。横須賀はあの悪名高き米軍第7艦隊の本拠地です。

一度見ておく必要があるなと思い。看板にあった横須賀軍港ツアーめぐりに参加することにしました。

船着き場に行くと2:00が最終となっていたのでラッキーでした。

出航まで30分くらいあったので腹ごしらえです。すぐ近くのサイデリアというファミレスに入りました。

バライティーデはよく聞く名前ですが、入るのは初めてです。味はお腹に物が入って良かったなという程度の味でした。

ガイドつきの何とも不思議な船旅です。参加者は平日ということもあって、年配の方が多かったように思います。おそらくツアー客でしょう。

船が出航するとすぐに目に着くのが巨大な潜水艦です。真っ黒い母体が何とも不気味です。

自衛隊の潜水艦なのですが、米軍基地側に停泊しています。

軍事機密の何かがあるんでしょう。

白い煙をもくもくと吐いています。海中で活動するための蓄電をしているという説明がありました。

潜水艦のすぐ傍にはイージス艦が何隻も停泊していました。

これも、日本のイージス艦と米軍のイージス艦が何隻も並んで停泊しています。

イージス艦導入で結構国会でも議論になったことを覚えています。

八角形の鉄板の下がレーダーになっているそうで、ミサイルを打ち落とすための大砲が不気味です。

仮想敵国はどこに想定して、この横須賀に停泊しているんでしょうね。

朝鮮に、ベトナムに、イラクに幾度となくここからアメリカ軍は出航していっただろうと思うと何とも言えない気持ちになります。

174と船首に書いてあるのは、米軍のイージス艦です。

さらに向こうには空母ジョージワシントンが見えてきます。

全長333メートル、士官・兵員3.200名 航空要員2400名、搭載機85機の巨大な母体はまさに戦争そのものです。

今回はここまでで続きはまた書きます。

 

 

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障害児教育の集会に参加してきました。

2012-01-10 14:17:51 | 写真日記

1月6日(木)~1月9日(月)まで滋賀県大津市にいました。

障害児教育の学習会に参加するためです。

全国規模の集会で実行委員になっていたのでほとんど裏方として働いていました。

一日目に大津駅から会場までゴロゴロとキャリーバッグを引きずりながら歩いて行きました。

取りあえず琵琶湖をめざして、琵琶湖づたいに行けば会場です。

琵琶湖に到着すると大きな石碑がありました。

見るとはなしに見ていると花登筐さんの石碑でした。

大津出身らしいことだけわかりました。

大阪の商人を主人公とした商魂物・根性物を多数執筆したことでもしられています。

主な作品をあげると『番頭はんと丁稚どん』、『銭の花』、『どてらい男』など数多くの作品があります。

特に『銭の花』はテレビドラマ『細腕繁盛記』の原作です。新玉実千代さんと冨士眞奈美さんのやりとりで話題になったドラマです。

オープニングで「銭の花の色は清らかに白い。だが蕾は血がにじんだように赤く、その香りは汗の匂いがする」という主人公加代役の新珠三千代のナレー

ションが何とも泥臭くて陰気な思いをしたものです。

特に正子役の冨士眞奈美さんが強烈で怖いもの見たさで見ていたように思います。

静岡弁で「ちょっくら! 加代、おみゃーの出る幕じゃーにゃーズラ!」

「加代!おみゃーの言うとおりにゃさせにゃーで!」

「犬にやる飯はあってもおみゃーにやる飯はにゃーだで!」

この言葉を聞きたいがために毎週見ていたように思います。

伊豆半島の熱川にある古い旅館に嫁いだ主人公をひたすらいびり倒し、それでも主人公はめげずに働いて旅館を成功させるという高度経済成長期の代表的ドラマです。

そんな全く関係ないことを思わせる第1日目でした。

琵琶湖を眺める景色はなかなかで対岸には雪をかぶった比良山系が見えました。

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南禅寺界隈

2011-09-20 09:04:57 | 写真日記

続いて南禅寺に向かいました。

南禅寺の正面に回り込むように歩いていくと、人影が多くなってきます。

やっぱり南禅寺の方が人が多いようです。

南禅寺は歴史ある寺とされています。

天皇直轄に近い禅寺(勅願禅寺)で京都五山、鎌倉五山の上におかれる別格扱いの寺院だそうです。

応仁の乱で被災したりと歴史の流れに巻き込まれていく寺です。

江戸時代には金地院崇伝(こんちいんすううでん)が入寺してまた時代の寵児になっていきます。

この崇伝という人物は家康に重用され、キリスト教禁止や、武家諸法度などの制定にも深く関わった人物です。

入り口にある大きな門は三門と言われ、歌舞伎上で石川五右衛門が「絶景かな絶景かな…」という名台詞で有名です。

でも、実際は、石川五右衛門の死後30年以上経った1628年の建築だそうです。

南禅寺境内にはちょっと異様な光景が広がります。

琵琶湖疎水の水路閣です。明治以降の建物です。

建築当時は相当反対があったそうですが、今では京都になくてはならない風景になっています。

 

 

南禅寺には庭園やふすま絵が非常に有名なので、今回はここも巡ることにしました。

方丈の庭園が有名ですが、向かって右側にある南禅院の庭園にも足を運ぶことにしました。

 

続いて、南禅寺の方丈をめざしました。すると目の前に先ほどの老僧が歩いていました。

 

南禅寺の庭園を撮影しました。

枯山水が何ともいいですね。

 

 

南禅寺を後にして、大津に向かわなければいけないのですが、バスよりも確実な地下鉄をめざしました。

地下鉄の東西線蹴上げ駅をめざします。

蹴上げクランクインの跡地がありなかなかの雰囲気です。

 

地下鉄のすぐすばに“KICK UP”というレストランがありました。

これで「蹴上げ」なんだと気づいた時には吹き出してしまいました。

何とか、時間通りに大津の会場に着けてホッとしました。

 

 

 

 

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京都に行ってきました。

2011-09-15 14:29:49 | 写真日記

9月4日(土)に大津で会議がありました。

午後からの会議だけ行くのもつまらないので、少し冒険もしようと思って、夜行バスに乗って京都まで行くことにしました。

京都で午前中過ごしてから、大津に行くことにしました。

台風が近づいていて、雨風が強まっている中での移動でした。

高速道路も、福山から以東は通行止めということで、バスは一旦一般道に降りるということになりました。

誘眠剤とお酒を飲んでうとうとしていたら、気がつくと神戸に着いていました。

途中から天気が回復して、予定通り京都に着くことができました。

京都に着くとぽつぽつと雨が降っていたので、遠くにいくことはできないと思い、一点集中の方向にしました。

京都駅からバスに乗り、南禅寺・永観堂をめざしました。

永観堂は、大学以来訪れていないので30年ぶりかもしれません。

バス停を降りて町家をめぐりながらめざします。

喫茶店があったので、朝ご飯を食べようと立ち寄りました。

中には、退職した後の男たちがたくさんたむろしていました。

阪神タイガースの話題や、競馬の話題で盛り上がりながら、奈良・和歌山の水害まで多岐に渡った話でうるさいこと。

たばこも遠慮なく吸っていて、やっぱり京都だなと思いました。

地方にはこういう喫茶店文化は皆無ですね。

 

 

南禅寺より、さきに永観堂に向かうことにしました。

入園料を払うと「一番ですよ」と言われました。

靴を脱いで堂内に入ると、その広いこと。驚きました。以前行った時の印象はまったくありません。

 

建物も庭も大変、趣のあるつくりになっています。

 

ここの本尊は「振り返り観音」です。正面を向かずに振り向いている姿が特徴です。

広い建物や敷地を一人で歩いているといろんなことを考えます。

やっぱり「一番!」が良かったのかもしれません。

永観堂から、南禅寺に向かう道すがら「湯豆腐」の専門店が目につきます。

 

表にメニューが出ています。

湯豆腐セットが4000円くらいします。通の人にはわかるんだろうけど、私には湯豆腐に4000円は出せません。

道すがら老僧に出会いました。何ともいい感じなので後ろ姿を撮影させてもらいました。

南禅寺は次回にまわします。

 

 

 

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島の小さな小学校(開導小学校)

2011-08-16 22:35:01 | 写真日記

山口県の東南に浮かぶ金魚の形をした島があります。

島と言っても橋でつながっている島です。

瀬戸内海では淡路島、小豆島に次いで3番目に大きな島です。

かつては4つの町があり、島だけで郡を名乗っていましたが、現在は合併して、周防大島町になっています。

人口は19,700人(2011年)だそうです。

自分が生まれた島ということもあり、自宅からも近いし、海がきれいで、自然もいいのでけっこうドライブに出かけます。

島の風景は本土側を中心に道路が整備されています。

島の反対側も海水浴場や、温泉までは道路が整備されていますが、まだまだ手つかずの所も残っていて、昔ながらの漁村の風景も色濃く残っています。

今回、自分で新発見したのは、すでに廃校にはなっていたのですが、不思議な小学校です。

門の所には東和町立開導小学校と書いてありました。

開校は何と明治6年(1873年)だそうです。廃校になったのは平成12年(2000年)だそうです。

19世紀に開校されて、20世紀最後の年に廃校になった小学校です。

 

カラーで撮影するときれいな感じですが、モノクロで撮影すると当時の風景がそのまま残っているような気がします。

 

道路に近いあたりの木造の校舎は手が入っていて、何か昔懐かしい校舎という感じがしました。

ついでにもう少し足を踏み入れると、別の校舎がありました。

もしかしたらそちらの校舎の方が新しいのかもしれませんが、荒れ果てていて何か別の意味で迫力を感じてしまいました。

やっぱり人が暮らさなくなった建物はその頃の人の生活を連想してしまって、あまり気持ちの良いものではありません。

 

 

 

 

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横浜に行って来ました。

2011-08-15 12:07:05 | 写真日記

最近ブログを全く更新していません。

何がどうということもないのですが、「ただなんとなく…」というところです。

8月6日~7日に横浜に行って来たので少し報告しようと思います。

寄宿舎の学習交流集会が横浜であったので出かけてきました。

飛行機があまり好きではないので、今回は新幹線で向かいました。

夏休みの新幹線はあまりいいものではありませんでした。

小さい子を連れた里帰りの若いお母さんがとても多いように感じました。

パブリックな場所での親子の関係はあまり見たくないものです。

退屈で騒いでしまう子に対しての親たちの取っている様々な行動が気になってしかたありません。

本を読んで過ごしたかったのですが、ヘッドホンで耳をふさいで、できるだけ眠る方向をめざすことにしました。

横浜は全くといっていいほど土地勘がありません。

新横浜でのぞみを下車して横浜線に乗って関内をめざします。

ところが、この横浜線、関内の一つ手前が終点です。

何とか関内駅に着くと駅周辺から何とも不思議なファッションに包まれた若者がたくさんいます。

「さすが横浜は違うね」ファッションにあふれた街なんだと感動していました。

駅を降りると右手に横浜球場が見えます。

この若者たちのめざす会場はこの横浜球場だったようで、ここでレゲーのコンサートがあったようです。

道理でそういうジャマイカ風のファッションが多かったんだと言うことがわかりました。

会場は横浜市開港記念館という大変文化的なレトロな建物です。

山口から出てくると開場ぎりぎりしか着けないのですが、開場近くまで行ったところで、携帯が鳴りました。

山口から一緒に出てきているO先生からです。「今どこですか?もう始まりますよ」と責めるような口調。

いっぺんにムッとしてしまいました。

 

全体会では、東日本大震災被災地からの報告を聞きました。

全体講演は絵本作家のこんのひとみさんの歌とお話を聞きました。

ウェットなお話で涙を流して聞き入っている人たちが大勢いる中で、このての話が少し苦手な私がいました。

 

  

知っ得講座では、発達障害の理解と支援の講座に出ました。

本人調査からみた感覚障害や調整障害についての話だっただけに非常に興味深く聞くことが出来ました。

夜はいつものことですが、交流会が開かれます。

場所は中華街のど真ん中のホテルです。

ホテルに入って荷物だけ置いて中華街に向かいました。

 

 

 

いつもながらにぎやかです。この日は土曜日ということもありとてもにぎやかだったように思います。

  

 

 

いつもの交流会では食べるものがなくなってしまい、酒ばかり飲んでいることが多いのですが、

中華街での交流会は料理がこれでもかというほど出てきました。

ホテルに帰ってぐっすり眠って、次の日はまた分科会までの散策です。

分科会が9時半開始なので、あまり遠くには行けません。

今回は赤煉瓦倉庫をめざしました。

 

赤煉瓦倉庫は早朝にもかかわらずたくさんの人たちがすでに集まっていました。

早朝カフェのお店はすでに行列ができていました。

 

今回気になったことが二つありました。

一つはやたらウクレレをもった人が多いということです。

もう一つはフィギュアの写真を撮っている二人組です。

 

何度も何度も後ろを通りながら、ついに好奇心を抑えられなくて声をかけてしまいました。

「雑誌か何かの撮影ですか?HPに掲載される写真ですか?」答はどちらも「No!」でした。

本当に趣味で撮影しているそうです。大桟橋をバックに撮影したりこのあたりでいつも撮影しているそうです。

私も数枚撮影させてもらいました。

  

もうひとつの不思議は、解決しました。

今回、この赤レンガ倉庫前のステージで「ウクレレピクニック」

ウクレレの一大イベントが開催されるようでした。

全国からウクレレの専門店がたくさんお店を出していました。

 

 

急ぎ足で、分科会が開催される会場に急ぎました。

開場は関内の北口方面です。

この街は南口と北口では少し表情が変わる街だという印象を持ちました。

分科会が午後4時まであって、その後全体会ということで大変忙しい日程をこなしました。

帰りの新幹線ではビールの酔いもあって爆睡でした。

 

 

 

 

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東日本大震災ボランティアに参加してきました その7

2011-05-07 22:34:50 | 写真日記

中央商店街の作業を終えてバスに乗り込みました。

午前中に帰る部隊と、午後まで作業を続ける部隊に分かれます。

私たち3人は午後からも参加します。

バスで待っているとヘドロと格闘した人たちが続々帰って来ます。

臭いと汚れが大変です。少しぐらい洗ったのでは落ちそうにありません。

申し訳ない気持ちになってしまいます。

午後は、支援センターに行き、野菜の搬送をした後、物資を被災者に配る仕事になります。

 

のんびり倶楽部氏は運転手になってしまいました。

渡波の被災者の地域に入ります。

バスで移動するのと、自家用車で移動するのは目線が違うのでまた思いが変わります。

 

住宅街の真ん中で少しだけ広い場所に着きました。ハンドマイクで案内をすると少しずつ人々が集まってきます。

 

 

 

  

周囲は本当に壊れかけた家やつぶされた車がたくさんあります。

 

次に場所を移して野菜を届けに行きます。

今度は渡波の駅前です。

 

 

 

駅のホームから見ると線路に車が突っ込んでいます。

 

物資のお届け隊を終了して、センターに帰る途中の光景も忘れられません。

目線が違うのでリアルに感じられます。

 

 

  

 

全てを終了して仙台に戻る時には安堵感と、疲労感でくたくた状態でした。

松島から仙台に戻る時に、リゾート列車が来ました。

乗車券400円にプラス座席指定券510円がいるのですが、どうしても乗りたくて乗ることにしました。

 

仙台に帰ると、楽天イーグルスの記念ボールが飾ってありました。

楽天球場第1戦で田中まーくんが勝ち投手になった時のボールです。

 

これで報告をすべて終了させていただきます。

最後まで読まれた方ありがとうございます。

コメント等入れていただけたら大変励みになります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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東日本大震災ボランティアに参加してきました その6

2011-05-07 21:49:06 | 写真日記

いよいよボランティア3日目になります。

今日は石巻市内の中央商店街に入ることになっています。

松島駅からバスに乗って石巻に入ります。

いつもと同じ光景を見ます。何度も何度もこの光景は目にしてきました。

バスは石巻の駅前近くの商店街に止まりました。

 

プラザ石巻にあるボランティアセンターに行きました。

今日はそこでの指示を仰ぎます。

指示が出るまで商店街を少し見回しました。

ピースボートの人たちが側溝のヘドロかきを懸命にやっていました。

地味な仕事ですが大変過酷な仕事だと思います。

 

 

 

  

バスから降りたのは31人です。6つのグループに分かれるように指示がありました。

それぞれのグループに活動内容が伝えられます。

合羽を着ていて、濡れてもいいグループはもっとも過酷な側溝のヘドロかきの仕事になりました。

私たちはそこまで準備していなかったので、商店の掃除ということになりました。

スコップ、土嚢袋、モップ、バケツ、雑巾、ワイパーなどをもって

案内の人に連れられてついたのはヤマザキショップの跡でした。

ヤマザキショップの前にある瓦礫を土嚢袋に入れるように指示が出されました。

店の前にある瓦礫はガラスやいろんなものが混ざっています。

スコップですくっては土嚢袋に詰めていきます。

 

 

いくら掘っても瓦礫が出てきます。すぐに土嚢はいっぱいになります。

埼玉高教組の女性と2名と一緒に取り組みました。

 

休憩の時に少し話を聞くことが出来ました。

コーディネーターだと思っていた男性はこの店の家族でした。

男性の話によるとこの店にはおばあさん一人が住んでいて、津波は1.8メートルに及んだそうです。

おばあさんは、水が引くまで4日間も店の2階に一人でいたそうです。

でも、この一帯はすべてそういう状態だったので近所でみんな声をかけあって過ごしていたそうです。

でも、夜はどんなに心細かったのではないかと思います。

 

下があらかた片付いたら今度は2階から家具を下ろしにかかります。

思い出の仙台ダンスを運びましたが、これが大変「重いでー」と冗談も言えず運びました。

作業が終了した時には、丁寧にお礼を言っていただき大変恐縮しました。

顔の見えるボランティアはいいものです。

予定した時刻より少し早く終わったので、ばすの乗車あたりの街の光景を見て歩きました。

 

 

 

 

 

 

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