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とりあえず一所懸命

鉄道の旅や季節の花、古い街並みなどを紹介するブログに変更しました。今までの映画や障害児教育にも触れられたらと思います。

「昭和ノスタルジーの旅」1~豊後高田~

2013-06-24 15:48:40 | 写真日記

大分市で行われる研究会に参加するために、土曜日の早朝から出かけました。

北九州空港まで高速に乗り、国道10号線を大分に南下しました。

研究会は午後1時から行われることになっていましたが、大分には少し早く着くことができました。

どこで、時間をつぶすか考えていたのですが、道路を走っていると「昭和の町豊後高田」といい看板が目につきました。

映画「三丁目の夕日」がブームになっている頃、ずいぶん話題になっていたことを思い出しました。

「昭和ロマン蔵」というところにまず向かいました。昭和ロマン館の前にはボンネットバスが置いていあります。

入場料を払うと、「なんとなんと!」という昭和の30年~昭和40年代のグッズをたくさん目にすることができます。

まずは駄菓子屋です。大量の駄菓子がたくさんあります。

大衆食堂の看板からが有料施設です。

ガラガラと引き戸を開けて中に入ると、もう中年親父の宝の山です。

まず最初に目に入ってくるのがミゼットです。

前輪が一輪なので小回りが効くところがいいところです。

ミゼットではないけど、オート三輪というオートバイのハンドルがついていたものも、町を走っていました。

昔の駄菓子のショーケースの中も宝物があふれれています。

バカボン親子も出迎えてくれます。

次はグリコのオマケです。初期の木のおまけからプラスチックまでこれでもかというくらいの数があります。

プロマイドも飾ってあります。昔のスターたちが並んでいる中で目を引いたのが浅田美代子です。

今でこそ、さんまのからくりテレビのボケ役やお母さん役で活躍していますが、

やっぱりアイドルです。吉田拓郎が迷ったのもわかります。

ブリキのおもちゃも所狭しと並んでいます。

どこかで見たことあるというものが多かったです。

 

次は絵本コーナーです。

しかもアニメスターの絵本です。私は持っていませんでしたが、友だちの中にはソノシート付きでもっている子がいました。

卓上蓄音機で無理矢理聞かされたことを覚えています。

  

  

雑誌もいろんなものがありました。

中でも少年画報という響きが懐かしかったです。

表紙もコント55号です。

ひょっこりひょうたん島のドンガバチョも元気でした。藤村有広さんの声が蘇ってきそうです。

三丁目の夕日の世界も再現されていました。

   

私が一番最初に手にした一眼レフも飾ってありました。

昔懐かしい車も勢揃いです。

 

町も昭和一色ですが、町の紹介は次の機会にします。

 

 

 

 

 

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筑豊の旅(田川エリア)2

2013-05-19 12:13:12 | 写真日記

石炭・歴史博物館を後にして、次は、1895年(明治28年)に竣工された鉄道の橋、「内田三連橋梁」を見に行きます。

平成筑豊鉄道にある煉瓦作りの橋です。

この平成筑豊鉄道は、JR九州から伊田線、糸田線、田川線を継承している第3セクターです。

枕木オーナーやつり革オーナー制など工夫をして地域に根付いている線だと聞いています。

沿線の学校に通っている学生や、病院に通院する高齢者など、いわゆる交通弱者にとっては重要な交通機関になっているそうです。

ジーゼルカーに乗って行くべきですが、時間を考えると車で移動することになります。

石炭博物館でもらった『筑豊の旅』というパンフレットの地図を見ると内田駅と勾金(まがりかね)駅の間に書いてあります。

でも、見当たりません。仕方ないので道路の脇で野菜を箱売りしている大胆なお店で道を聞くことにしました。

何かを買わなくては聞きにくいということで、たくさんあるグリーンアスパラガスはいくらか?と聞くと

「今日はお祭りだからそれは全部売れた」と答えます。「えー!」と思いながら箱いっぱいの空豆はいくらか訪ねると800円と答えます。

確かに激安だとわかるのですが、箱いっぱい空豆を買ってどうしよう…と思いましたが、背に腹は代えられぬ…

聞くと、内田駅-赤駅の間でもう少しいったらあることを教えてくれました。

ついでに「たいしたことはないよ」わざわざ見に来る気が知れないという感じで対応してくれました。

しばらく走るとやっと看板が見えました。

 

 

この内田三連橋梁は、元田川線の赤駅-内田駅間にかかる長さ13メートルの小さな橋です。

1895年(明治28年)に竣工されたそうです。

特徴として、内田川の下流(橋梁西)側は煉瓦積み、上流(橋梁東)側は切石積みとなっています。

案内板には、煉瓦積みのほうは将来の複線化の際の橋梁増設を考慮して煉瓦を交互に突き出させた「げた歯構造」と呼ばれる積み方をしたそうです。

縞模様および市松模様に見えます。

国の登録有形文化財に登録されています。

農作業をしている人の車だろうと思いますが、橋梁の中に駐車しています。

地元の人にとってはこういう受け取りなんだろうなと思い、先ほどのお店のおばさんの対応も理解できました。

近代文化遺産つながりは、やっぱり炭鉱がらみになるので鉄道つながりになります。

今度は石坂トンネルです。同じく1985年(明治28年)竣工の九州最古の現役鉄道トンネルです。

源じいの森駅をめざします。

なんと奇妙なネーミングです。温泉の看板を目印に進んでいきます。

源じいの森の"源じい"らしき人の横に、ゲンジボタルが立っています。ゲンジボタルの里という意味での源じいなのかもしれません。

 

トンネルが見えますが、立ち入り禁止です。

大雨で道が崩れていることもありますが、あくまでも現役の鉄道トンネルです。

簡単に立ち入らせてはくれないことはわかっています。

キャンプ場の管理の人が「私たちは認めたくない。責任が負えない」ことをわかって行くなら…ということでわずかな時間で写真を撮りました。

  

帰り際には赤い鉄橋が印象的だったので車を駐めてパチリです。

 

続いて、九州日立マクセル赤煉瓦記念館です。

1904年ごろ建設され、総赤レンガの構造で、半円形の窓や装飾など西洋文化を多く取り入れたモダンな造りになっています。

三菱方城炭鉱の建物群が、九州日立マクセル内に残されています。

まさに工場の敷地内にあるので、恐る恐る車を進めました。

受付があるので一言と思いましたが、誰も出てきません。少しの時間なら…ということで撮影しました。

もとは、炭坑内に空気を送る作業をしていた坑務工作室だったそうです。

平成9年に国の登録有形文化財に登録され、「赤煉瓦記念館」として一般公開されているそうです。

現在の建物は、かつての建物をモチーフにして展示室、会議室に作り替えているようです。

見学はできるようですが、平日のみで予約が必要のようです。

  

最後に小倉南ICに帰る道すがらにあるJR採銅所駅に立ち寄りました。

採銅所は香春町北部の山間部にある地名で、地名はこの駅の周辺で銅を採掘していたことに由来するとさます。

近くには、採銅所小学校もあります。

駅舎は1915年(大正14年)の建物をベースに改修工事をしたものです。

内部の天井にはおしゃれな装飾が施してあります。

周囲は地元の人たちの手による花が植えられており、地域に愛されている駅舎という感じが伝わってきます。

 

 

 

  

これにて、筑豊の旅(田川エリア)を終了させていただきます。

 

 

 

 

 

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筑豊の旅(田川エリア)1

2013-05-18 21:20:20 | 写真日記

先週も九州に出かけたのですが、今週も出かけてしまいました。

前から気になっていた北九州近辺の近代化産業遺産群を学びに出かけました。

門司港のレトロの街の風景も好きですが、炭鉱の風景を知らないといけないと思いました。

軍艦島に行った時も国の政策や企業の論理に、振り回されていく人々の生活にいろんなことを考えさせられましたが、

三池炭鉱の跡地も見ておかないといけないと思いました。

インターネットで調べると、あまり残っていないとのことですが、田川市に石炭・歴史博物館があると知って、取り敢えず向かうことにしました。

 

小倉南ICで降りて、田川に向かいます。

田川はこの日、「風治八幡宮川渡り神幸祭」があるとのことで、道路が渋滞しているとラジオで言っているので心配しましたが、意外とすんなりと到着しました。

いきなり炭坑節の石碑がありました。

 

 

「月が出た、出た。月が出た。ヨイヨイ。三池炭鉱の上に出た。あんまり煙突が高いので、さぞやお月さん煙たかろ。サノヨイヨイ」です。

石炭のなりたちや、石炭がどのようにして採掘されたか、また、炭坑で働く人々や生活のようすを、

具体的なジオラマを用いて、炭鉱の歴史がわかるように展示されています。

また、筑豊炭田の歴史がわかる動画も映しています。

炭鉱事故を映して、その後の葬儀の様子を映した動画は少しショッキングな中身でした。

今まで見てきた映画の一場面を思い出しました。

筑豊を舞台にした映画や小説はたくさんあります。

三井田川混声合唱団のコーナーもありました。

1950年代に炭鉱関係者で合唱団を作り、全国コンクールの常連にするまで指導してきた田中凡平さんの偉業を称えていました。

ともすれば、すさんだ方向に走りがちな労働者の文化の灯火を保ち続けたことはすごいことだと思います。

歌声運動も労働運動と相まって進んでいったことを思い出します。

「がんばろう」の歌も迫力がありましたね。

 

 

炭鉱住宅の復元施設もあり、時代ごとの炭鉱労働者の暮らしぶりがわかります。

  

石炭ソフトクリームも売っています。

山口県の宇部市も石炭をモチーフに竹炭を練り込んで黒い食品のキャンペーンをしています。

 

博物館を出ようとしたら、大きな音が聞こえてきました。

どうやら祭りの鉾が練り歩いているようです。

町々の鉾が集まって川を渡るようです。

  

 

 

 

 

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「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」の旅4

2013-05-16 23:07:53 | 写真日記

豆田町の路地を歩きながら面白そうな建物を撮影していきます。

壁が面白かったり、屋根が面白かったり自分の目にとまったものをどんどん撮影していきます。

 

路地の間には咸宜園で有名な広瀬淡窓の記念館もあります。

広瀬淡窓は日田の町で、民館教育に力を注いで相手を選ばずに教育をしたことで有名です。

多いときには門下生が5000人を数えたといいます。

幕末に活躍した大村益次郎も門下生の一人です。

 

 

古い建物に会うとうれしくなります。

古い建物や町並みはぜひ保存してほしいものです。

それでは自分でこういう古い家に住むかと問われたら、即答はできません。

たぶん住まないでしょう。

そういう勝手な物言いをしながらもやっぱりこういう町並みは好きです。

 

 

 

歩いて行くと、川にぶつかりました。

川には面白い高札がかかていました。

川のそばには造り酒屋が付きものです。

古い町並みの川沿いには造り酒屋の煙突が似合います。

 

試飲もありましたが、今日は残念と言うことであきらめました。

酒蔵は、2階に資料館があるので上がってみました。

相当暗かったのですが、ISOを限りなく上げて撮影しました。

 

帰り際に川沿いに興味深い橋を見つけました。

以前耶馬溪橋(オランダ橋)を撮影しましたが、少し小ぶりなもののなかなかの形です。

でも、昨年7月の豪雨で相当あれていました。原状復帰は難しいかもしれません。

 

 

 

 

 

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「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」の旅3

2013-05-15 21:36:04 | 写真日記

日田市まで足を伸ばしました。気まぐれであちこち行けるのも車で行くことの利点です。

日田は、古くから栄えた町として、小京都とも呼ばれている町です。

古い町並みがたくさん残っていることでも有名です。

川の風景も実にいいのですが、今回は町並み探索にしました。

日田市の北部に位置する豆田町を探索することにしました。

南北に大きな通りがあり、その通りを結んでいる路地に面白い店や建物がたくさんあります。

最初に目についたのは歯医者さんです。現役のようです。

二階の窓枠が何とも古風な感じを醸し出しています。

 

町で見かけると片っ端からカメラを向けます。

次はラーメン屋さんです。でも、日田はご当地焼きそばも有名なので暖簾にラーメンと焼きそばの文字があります。

 

何でもないたこ焼き屋さんですが、店の前のたこのオブジェが好きです。

中津つながりで唐揚げも堂々肩を並べています。

 

歩いていると、古い建物を見つけ写真を撮っていると、おばさまから声をかけられました。

「国指定重要文化財の草野家住宅をご覧になりませんか?」

せっかく来たのだし、行ってみる価値はあるだろうと500円を払って家の中に入りました。

家の中は撮影禁止とまでは理解できたのですが、庭園も撮影禁止と言われて「それはどうなの?」と思いました。

京都のお寺さんでさえ、掛け軸等は撮影禁止であっても庭園は撮影禁止とは言いません。

ちょっと言ってみたのですが、「決まりですから」の一言で、むっとしてしまいました。

5月人形や調度品はありましたが、さほど心は動きませんでした。

甲冑が豊臣秀長のものだと聞いて、ちょっと興味を持ったくらいです。

 

 

この街は、古い建物を活用して、いろんな観光資源に活用しているようです。

いろんな商品を開発して、観光客に向けてアピールしています。

そこまではいいのですが、「~はどうですか?」と積極的な呼び込みをしてくるのは、いささか気分がよくありません。

建物フェチの私としては、建物をじっくり見ていたいのですが、そこへ現実的な呼び込みをかけられると…。

 

下駄が有名で、下駄屋さんはあちこちにありました。醤油味噌も多かったように思います。

 

 

もう少し写真があるので、豆田町の続編を次回にしたいと思います。

 

 

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「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」の旅②

2013-05-13 22:10:09 | 写真日記

赤壁の寺を後にして、南部小学校に向かいました。

この小学校の一部に旧中津城の石垣が残っているのです。

大手門の跡地に小学校ができているそうです。

運動場に面しているところには立派な門が残っていました。

 

小学校から、中津城に向かいました。

中津城に向かう途中町中に黒田官兵衛の幟が立てられています。

来年の大河ドラマの主人公が黒田官兵衛でV6の岡田准一が主役をするそうです。

岡田准一には興味はないのですが、奥方役が中谷美紀だそうでこれは、見逃せないかもしれません。

城に着く前に小さな庭園があり、中ではカフェをやっているので庭園を見るのはタダということで入ってみることにしました。

  

庭にはタツナミソウが咲いていました。

中津城はなかなか形の良い城です。

お堀から見る姿もなかなか美しいものです。

  

このお城は黒田官兵衛が築いた後、細川氏がさらに築いたことで有名です。

石垣が微妙に違います。

川のそばに築いたこともあり、細川氏の時に底上げしたようです。

右側が黒田官兵衛時代のもので左側が細川時代のものです。

何の意味があるのかわからないまま「ふ~んそうか~」とうなるのが歴史好きの醍醐味です。

歩いているとそろそろお昼近くなりました。唐揚げを買って、車を駐めた福沢諭吉の旧居まで戻ることにしました。

どこで買うかまではリサーチしていなかったので身近な店で済ませました。

骨なし唐揚げと手羽先を注文して、それから揚げるのです。

だから、熱々の状態で口にしました。おいしかったです。さすが中津の唐揚げです。

食事をして中津を後にして、取り敢えず青洞門を目指しました。

この地方は昨年7月の集中豪雨でひどい被害を受けたところです。

僧禅海の像が迎えてくれます。

僧禅海が30年かけて掘り進めた隧道です。

周囲は険しい山々が囲んでいます。

  

  

次は日田市豆田町を紹介します。

 

 

 

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「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」の旅①

2013-05-12 19:13:30 | 写真日記

連休中をおとなしく過ごしたなので、少し遠出をしてみようかと思い、九州方面に出かけることにしました。

憲法問題が揶揄されているので、久しぶりに思想的な旅もいいかと思い、福沢諭吉と、広瀬淡窓をめぐる旅を企画しました。

朝早くおむすびとインスタント味噌汁とお湯を持って出かけました。昼食は、中津の揚げたて唐揚げを購入しておかずにする予定です。

車で、北九州空港まで高速道路に乗り、それから国道10号線を南下していきます。

大分県との県境に「豊前おこしかけ」という道の駅があります。

大分方面に登山(九重山方面)に行くときはいつもここに立ち寄ります。

店の前に大きなテントがあり、その下で新鮮な野菜や果物等々が並んでいます。

この日もいろんな店が出ていました。

スイカやメロン、マンゴーなどと豪華なものが並んでいましたが、そういうものは買わず、しんじゃが、新玉、空豆(子どもの教材)柑橘系(安い)を買いました。

 

まずは、最初の目的地福沢諭吉旧居をめざします。最近はナビがあるので間違いなく目的地につけるからいいですね。

福沢諭吉旧居だけだったらそれだけなのですが、記念館があり、いろんな資料がおいてあるので勉強になります。

児童向けにも偉人の漫画もおいてあり、なかなかいいなと思いました。

 

福沢諭吉は、議会制民主主主義を重んじたイギリス憲法を目指して、大隈重信らとともに活動していましたが、

君主制のカラーが強いプロシア憲法を推し進める一派に追いやられ、公職を追放されます。(明治14年の政変)

そこで、新聞にも手を出したり、私学教育にも力を入れます。

それが慶応大学の始まりです。

その時、一緒に追放された大隈重信が早稲田大学を創設するのだからなかなか面白いですね。

京都では新島襄が同志社を設立するのも偶然ではないと思います。

権力に対しては学問の力で立ち向かっていくという気概があったのだと思います。

教育のもっている力に気が引き締まる思いでした。

学生の時に福沢諭吉の著作は岩波文庫で「学問のすゝめ」や「文明論之概略」「西洋事情」を読んだ時のことを少し思い出しました。

女性の地位の向上にも努めてきたひとだったことを改めて確認しました。

町にも福沢諭吉のことばが貼っていました。

 

寺町をずっと歩いて城下町を一周することにしました。

歩いていると閻魔堂の案内があったので行ってみました。

暗闇の中に閻魔様が座っていましたが、横に何とも個性的な人がセットになっているのは初めて見ました。

 

さらに歩いて行くと河童の墓があるというのでこれも見に行かなくてはと進みます。

だんだん物見遊山の旅に近づいていました。

今度は赤壁の壁のお寺です。真っ赤な壁が目を引きます。

 

なんで赤いのか、案内を見るととんでもない謂われが書いてありました。

黒田官兵衛が前領主の宇都宮氏を謀略をもちいて中津城内で暗殺した際、その従臣たちがこの寺を拠点として奮戦し、

最後を遂げ、その時の血が何度塗り替えても染み出てくることから、ついに赤色に塗り替えたという由来です。

何という悲しい由来でしょうか。

 

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犬山城下

2013-04-29 23:35:11 | 写真日記

今年の夏ぐらいあちこち出かけたことはないかもしれません。

しかもほとんどが週末だけの大忙しの旅です。

そう言えば気楽な観光のように思われるかも知れませんが、目的は会議だったり研究会だったりする旅です。

その一瞬の合間を縫ってあちこち旅をしました。

1回目は先日報告した7月下旬の脱原発国会包囲網の旅です。

今回は、障害児学校の寄宿舎学習交流集会が名古屋であったので、ちょっと足を伸ばして国宝犬山城へ出かけました。

犬山城へ来たのは本当に30数年ぶりです。学生の時に一度来たことがあります。

研究会のあった金山から名鉄に揺られて犬山に向かいました。

犬山遊園という駅で降りて川沿いを犬山城へ歩きます。

 

古い商店もあります。

熱い中、歩いて行くとだんだん犬山城が見えてきます。

一人で気楽に歩くにはいい気候ではありません。とにかく暑い。

 

犬山城の中に入ると狭い…急…といことで息が切れるほどです。

天守閣からの眺めはなかなかのものでした。

天守閣から降りて、今度は城下町を経て犬山の駅に向かうことにしました。

天守閣の下の広場では観光客サービスの趣向を凝らしていました。

子どもたちと忍者の記念写真です。

自動販売機にもいろいろ趣向が凝らしてあります。

よくも悪くも愛知県です。

 

 

犬山城の入場券にからくり人形の記念館の入場券もセットしてあったのでせっかくだから行くことにしました。

 

犬山城の城下町は古い通りにいろんなお店が並んでいます。

町はすっかり整備されています。

このての町は全国どこにでもあるけど、やっぱり好きです。

 

 

 

 

所々に観光客向けのサービスがあり、お年を召した方が相手をしています。

甲冑を着て記念写真のコーナーにはおじさんが座っています。

 

町を歩いていると時々胡散臭いものにも出会います。

愛知、岐阜には化石の発掘で有名な場所があります。

それにあやかっているかどうかわかりませんが、マンモスの骨を売っていました。

しかも特売品だそうです。

ゆるキャラのぬいぐるみも売っています。

もう一つパン屋さんらしいけど、本当はなんでしょう?と首をかしげてしまう店にも出会いました。

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無謀な取り組み

2013-04-13 22:15:01 | 写真日記

昨日は職場の歓迎会でした。

酒を飲むことは最近ほとんどなかったのですが、今回は飲んでみました。

職場にそのまま車を置いていたので、今日取りに行ってきました。

最寄りの駅は、櫛ヶ浜駅です。

そのままでも良かったのですが、もう少し歩いてみようと思って、光駅から歩いてみました。

これがとんでもない企画でした。

光駅から海岸に沿って歩いたのですが、恋ヶ浜の長いこと…長いこと…どこまで行っても続いています。

下松駅から職場までも結構あるので、やれやれでした。

車でそのまま帰るのもなんだし…朝家で見ていた山口のローカル番組「週刊ちぐまや家族」でやっていた周南市長穂の龍文寺に行ってみました。

  

花もいろいろ植えてあり、整備が行き届いたお寺さんだと思いました。

近くに池があり、蛙の鳴き声が響いていました。

 

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桜も見納めかな?カタクリが咲いてました。

2013-04-05 23:55:02 | 写真日記

今年の桜は長持ちがすると言っていましたが、さすがにもうちらほらと緑が見え始めましたね。

土曜日は嵐になるというので一気に花びらが散ってしまうのでしょうね。

今日は、午後にちょっと用事を済ませて思い切って鹿野に行ってみました。

桜は何とか保っている感じでした。

ただ、青空をバックに撮影できなかったので色の表現は難しいものがありました。

  

しだれ桜が道路にはみ出していますが、みんな枝をカットすることなく観賞用に保存しているようです。

 

望遠レンズを使って桜の花びらを中心にして撮影しました。

  

 

後ろの緑をぼかすことによって何とか花びらを浮かすことができたかなと思っています。

二所山田神社の境内には山野草が植えてあるのですが、小さなカタクリが咲いていました。

  

この花は好きで、以前は寂地山まで登って撮影に行っていました。

花弁が反っくり返るところが何とも可憐です。

他にもいろんな花が咲いていましたが、名前を調べて載せたいと思います。

 

 

 

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