季節はずれのインテルメッツォ(続)

音楽、文学、絵画、スポーツ、シェパード等々についての雑記帖。

アイドル化

2014年02月03日 | スポーツ
久しぶりにサッカーの話題を。

以前日本代表がブルガリアの代表に負けた試合後、選手の一人が(吉田麻也という)ブーイングが起こっても不思議ではない試合なのに拍手をされることに対して違和感を口にした。

僕はいつもそんな観客に違和感を覚えるから(もっと言ってしまえば音楽界だってそうなのだ)この選手の気持ちが分かったように思った。

ところがネットでの反応は、もちろんいろいろあるけれど、吉田選手を難じる論調も多かった。自分たちはアイドルではないのだから、という吉田に対して、何でも外国と比べるな、日本には日本の文化がある、そんな批判を返す。

そこが分からない。吉田選手に限らない、少数の心ある関係者やファンは、日本の応援するスタイルを、選手を甘やかすばかりで、これでは強くなれないと苦言を呈してきた。僕はその通りだと思う。

ファンの数だって強いから増えるのだろう?弱くて負けてばかりいて御覧よ、あっという間に閑古鳥が鳴くから。僕は閑古鳥が鳴いていた頃もよく知っている。若い人は知識でしか知るまいが、それはそれは弱かった。

ワールドカップ?予選を何処かでやっているんだよね。せめてオリンピック出場くらいはしてくれよ、プロは出ないのだから。そんな感じ。当時はプロは出場できなかったのである。

オリンピック最終予選で最終試合に引分け以上で決定というところまで行ったこともある。今から25,6年昔だろうか。僕は期待に胸膨らませて国立競技場に行った。スタンドはガラガラで、試合も危惧した通り負けた。引き分けを狙ったとしか思えない、実に消極的な試合だった。そんな時代に戻るのはごめんだ。

たかがスポーツだと達観している人もいるけれど、それはまったく別の話だからこの際措いておく。少なくとも関心を持って観る人にとっては単なるゲームというより「大切」なのだろう。勝てばなぜだか分からないけれど嬉しく感じる。

単純な話ではないか。

それよりも気に掛かるのは、このようなファンに対する苦言まで(負けた時には)口にする選手たちが、普段は芸能人扱いされることに喜んでいるかのように僕には見えることだ。これはスポーツ好きには美しくない。

上記の吉田選手にしたところで、僕が一番気になるのは、いつも何かしら受ける一発芸をしないと、とアンテナを張っている様子が伺えることだ。

彼が手痛い敗戦後、せっかくまともな?ことを言ったのだ、すかさず、そうとも、あなたも普段から気をつけよう、くらいいう人が出てもらいたかった。



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報道の質の悪さ

2014年02月01日 | その他
これまでにも音楽ジャーナリズム、スポーツジャーナリズム、犯罪ジャーナリズム?等を通して、我が国の報道が如何に質が低いかを書いてきた。

そこへ来てSTAP細胞のニュースである。

実はスポーツジャーナリズムについて書きかけていたが、この大発見についてのお祭り騒ぎが余りに酷いのでそれを先に書こうと思った。

どこを見ても割烹着だ、ラクロスだ、果ては作文まで紹介して、ついには研究者自身が報道の自粛を要請する有様らしい。

作文まで持ち出す、この感覚は我々のおセンチな「感動秘話」の定番であろう。序でに言えば、何やらの事件の犯人の時にも必ず現れるね、この手の報道が。

そんな粗末な「報道」ですら「知る権利」だの「国民感情」だのに寄りかかって、自分たちが凡ゆることを骨抜きにして貶めているとは露思わないらしい。

僕が読めるのはドイツ語とかなり怪しげな英語だけであるが、どこを見ても研究者の名前はあるが、必要以上の紹介は無く、センセーショナルな発見であると同時に沈着な反応を示す学者のコメントが主である。

もちろん日本では日本人が発見した、という事情はある。しかしマスコミはそれに便乗して視聴率アップや部数アップに奔走するのは実に見苦しく愚かではないか。

知る権利もへったくれもない。

駆け足で書いて、意に満たぬ所も多いが、まず投稿してしまおう。
コメント (1)
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