季節はずれのインテルメッツォ(続)

音楽、文学、絵画、スポーツ、シェパード等々についての雑記帖。

神奈川県立音楽堂で

2014年02月06日 | 音楽
まだまだ先のことだが、8月22日に県立音楽堂が空いているのを生徒が知らせてくれた。

長いこと、ここで生徒に弾かせてあげたい、そして他の生徒の音も聴いて貰いたいと念じていたので早速借りることにした。

以前このホールについて書いた折にも触れたが、ここを使おうという音楽家が相変わらずいない。

ネットで県立音楽堂 響きなどで検索すると、僕のブログが上の方に出てくる有様である。それどころか否定的な意見まで散見する。

それは事務手続きに行ってくれた生徒が事務所から聞いた話とも合致する。ぜひこのホールで弾きたいと話したところ、そんな人は殆どいないので、と喜んだという。

これを書くに当たってちょっと調べたら、このホールの残響は1.4秒で、昨今の主だったホールの残響が2秒くらいなのに比べて短いのである。

そうなのだ、昨今の紀尾井ホール、みなとみらいホール、浜離宮ホール等、ステータスを大上段に振りかざしたようなホールは残響の長さで誤魔化しているのだ。

最近化粧ひとつで別人になるような写真を紹介するサイトや記事を見かけるが、マァあれに近いかな。

もちろん残響時間は長くても良い。僕は今まで残響時間は?と分離して聴いたことがなかったが、ウィーンの楽友会ホールは長いだろう。

残響時間と音響は密接な関係にあるけれど、それだけではない何かが絡んでくる。それが何なのか僕には分からない。本当に難しい。上記の人気ホールは弾きての虚栄心にしっとりとしたヴェールをかけてくれるかもしれないが、真実味のある肉声を伝えてはくれない。

下手は下手に響かなければならない。僕が本物の2流3流の方が1流もどきよりもはるかにはるかに増しだというのはそういうことでもある。

前の記事で園田高弘さんに突っかかった時、生半可な演奏家にきつい言い方をしたのも同じことだ。

全員が絶妙なメイクで化けようとしている。あたしゃ騙されないさ。

誰もが感動をしようと待ち構えている。それらしい話はいくらでも転がっている。現代のベートーヴェンにだってコロリと騙されるはずだ。笑うのも怒るのも結構だ、同時に自分の耳を疑えば。
コメント (4)
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