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 季節はずれのインテルメッツォ(続)

音楽、文学、絵画、スポーツ、シェパード等々についての雑記帖。

季節はずれ

2008年02月13日 | その他

季節はずれのインテルメッツォという表題について。

時節からはずれた、という点では、所謂クラシック音楽がそもそもそうであろうし、その音楽界の中でも、僕は時節からはずれていると認識している。

それ以上の意味はない。はずれていることを嘆いているのではさらさらない。

インテルメッツォは間奏曲ということで、これまた拝借した意味はない。ちょっとした駄文くらいの気持ちで付けた。音楽用語でいうならばバガテルというところだろう。でも季節はずれのバガテルでは語呂が悪いでしょう。季節はずれのバカデルみたいだし。

ニーチェに「季節はずれの考察」という作品があるが、これとも別に関係がない。まったくないと言ったら嘘になるな。ちょっと意識したな。ニーチェの作品は「反時代的考察」というのが一般だ。その中には「バイロイトにおけるリヒャルト・ワーグナー」という論文がある。これに限ったことではない、音楽家はワーグナーを知っていればニーチェを分かりやすい。分からないところはとばして読めばよい。

僕は密かに思うのだが(ちっとも密かではないな)それが「分かる」ことへの王道ではないだろうか。邪道だという人がいれば邪道でもよいさ。その時には今度はおおっぴらに「分からないところはとばして読む。それが分かることへの邪道だ」というまでのこと。

そうそう、また脱線した。で、「反時代的インテルメッツォ」ではこれもピンとこないでしょう。そこで季節はずれの、とした次第。ニーチェの場合は「反時代・・」の方が本文のテンションの高さ、内容からして合っている。

要するに僕がいかにも季節はずれだと自認しているのだ。しかし同時に時節に合うことばかり考える奴は時に中すことはあるまい、との自負の念も込められている。別に君子でも大人(たいじん)でもないけれど。

念のために付け加えておけば、これは孔子の「君子の中庸は時に中す」と言っていることを指す。

若いころ、父親が「中庸の徳」だと説教するのを、ふざけるな、中庸の徳とはそんな生やさしいものではない、と反撥した。今でもそう思う。これは僕がピアノという楽器を通じて強烈に思い知ったことでもある。これについては、近いうちに書く。

父親が自説を主張する根拠というのは(その理解から彼がどのような感情を世の中に対し持ったかは別の問題だ、彼は彼なりに深く思いをいたすところがあったのだろう)唯一、自分のころは僕の時代より論語を習ったという事実に拠ってである。たくさん習ってそれが深い認識になるなら、パーティーなんぞでより多くの人とぺちゃくちゃ喋った奴が人間について、より深く洞察するのだということになるではないか。

こういった思いこみは年長者が年少者に対しうっかり持ってしまいやすいだろう。思い当たる人もいるに違いない。

先日もある老人ホームで79歳の男が76歳の男を怪我させた(歳はちょっと怪しいが、およそこのくらいの開きだ)事件があった。「この若造が」と叫んで襲ったそうである。大笑いした。こんな事件は吉田兼好(秀和ではないよ)だったら徒然草に取り上げたかもしれないと、楽しかった。いや、被害にあった方にはもちろん心からお気の毒と思う。

脱線しっぱなしで何が何だか分からないが、このままにしておく。


副科ピアノの試験

2008年02月12日 | 音楽
先日、大学の実技試験があった。そこで面白く感じたことを印象が薄まらないうちに書き留めておこう。

副科の学生の試験にも立ち会った。全員が声楽専攻の学生という部屋を分担したのだが。2年生はピアノのソロ曲を、3年生は何の楽器でも歌でも良い、伴奏をするという課題である。

副科ということの僕の考えは、おそらく他のピアノ科の先生と(あるいは音大全般と)きわめて大きく異なっているのであるが、それはこれからもこのブログでおいおい明らかになっていくだろうから、さておく。

点数を出すことは出来かねるが、第一どうでもよいことだ。印象ははっきり言って構わないだろう、言っておきたいのである。ソロを弾く学生の演奏は正直に言って無味乾燥で、詰まらなかった。諸君は声楽科だろう、それだけは分かるような演奏をして欲しい、というのが実感。

それが伴奏になると、とくに歌の伴奏になると実に気持ちの乗った音で、自在に(技術的問題は当然ながらある)弾くのだ。自在というより自発的にという方がより適切かな。

僕にはこの、誰でも気付く変化がたいへん興味深く思えた。伴奏は暗譜ではないからというひともあろう。たぶん、それが大きな理由のひとつだと思う。しかしそういう人にはもう一歩すすめて質問してみたいな。なぜ副科ピアノで暗譜をする必要があるかを。

昔クナッパーツブッシュはどうして暗譜で指揮しないのかと訊ねられ「楽譜が読めるからだ」と答えたそうだ。そういうことが逸話になるほど暗譜というのは難しい。

そんな困難なことまで副科の学生に課して、はたして試験では何を聴こうというのかな。いや、たぶん昔からそういう習わしだから、ということで、そんなに深い意味があるのではないと思うけれど。でも、のびのびとした演奏を聴いている方が精神衛生上も良いと思いませんか。

僕自身は副科ピアノをレッスンすることが非常に楽しいのである。ピアノ以外の楽器や歌について直接話を聞けるのはなんといっても楽しい。それが音楽全般について僕が思うことに触れる時だってある。

また、逆に違う楽器の学生に技術上のヒントを与えうるかもしれない。少なくともピアノを通じて各人が自分の楽器への理解を深めることは可能だろう。ピアノが音域が広く、ポリフォニーの演奏が可能だからといった表面上のことではない。

ここで詳しく書いたところで何の理解にも繋がらないからその詳細は省いておこう。

僕は、ピアノの試験ならば暗譜と決めてかかる、その気持ちが副科の学生の演奏をつまらなくし、ひいては何のための副科ピアノなのかが曖昧なまま何十年もが経過したのではないかと思うけれど。もちろんこのことは、ピアノ専攻の学生に対する副科声楽、副科指揮などにも当てはまる。

そしてそれはそのまま、日本中のピアノ演奏の何だかパターン化された上手さ及びまずさにつながっていると思うのだ。(暗譜がではないですよ、その底に流れるルーティン、自らが問いかけることを欠いた精神のこと)

テコ

2008年02月10日 | 音楽
いつだったか、新しく来た生徒を教えているときだった。その生徒がどうにも窮屈そうな弾き方をする。窮屈そうな弾き方そのものは、来る人来る人がそうだから驚かない。だが、その生徒の窮屈さは、何というか、鍵盤の手前にぶら下がっているとでも言おうか。

いぶかしく思った僕は「なぜそんなに鍵盤の手前を弾くんだい?」うつむいて答えない。ははんと来て「前の先生からそうしなさいと習ったわけだね」と重ねて訊ねると果たしてそうであった。

後になって全国の(急に話が大きくなるでしょう)主だったメソッドに通じている人から聞いたところによると、この教えはきちんと市民権を得ているらしい。放浪者である僕とは素性が違うのだ。

その説くところによれば、鍵盤は手前になるにしたがい小さな力で押すことが可能である、ということだ。そりゃそうだ、いいぞ、いいぞ。続けてくれ。僕はエールを送る。がしかし続きはない。これっきり。

デカルトはすべては不確定である、確実なのは今こうして考えている自分がいるということ、この唯一の確実な第一命題から、一歩一歩考察をすすめようと試みた。「方法叙説」はその結実だ。ついでに言っておきたい。一読したら分かるが、これはタイトルで尻込みしそうな本にもかかわらず、内容はじつに平易である。デカルトの思想、だとか難しいことは分からなくても、なるほど、考える道筋とはこういうものか、と誰でもが理解できる。タイトルをこんな難しく訳した人に呪いあれ。

で、そのメソッドは第一命題から先は何もない。みなさん努力しましょう、くらいかな。いいなあ、楽で。

梃子の原理さえ知っていれば、手前の方がより小さなエネルギーで(力でと書こうと思ったが、エネルギーと書くとなお一層学術的な外観を呈する。ような気もする。メソッドに対抗するにはこんな努力も必要かもしれない)ハンマーを突き上げることくらい分かる。

しかし白鍵をいくら頑張って手前で弾いても黒鍵はどうするのだ。手があらゆる鍵盤上を移動していくのならば、むしろ白鍵と黒鍵間の移動を少しでも自然にしようと、白鍵を弾く位置をあるときにはかなり奥にしてやれば解決することだってある。実際に手にとって教えてみれば、たったこれだけのことで解決する、少なくとも多少は楽になることが、思う以上に多いのが分かる。

人間の考えることが徹頭徹尾間違えることはまずない、と断じて良い。幾ばくかは正しいものだ。そこがやっかいなのだ。だからこそ、そこから先を懸命に観察し、感じ、考えなければならないのだ。

一定のエネルギーを与えるためには、支点からの距離が大きいほど小さな力ですむ。故にできるだけ白鍵の手前を弾く。ピアノはシーソーか。この教えに忠実に従う子供ほど弾けなくなるのは当然である。ついでにショパンの「黒鍵」は物理学をまったく無視した、非効率的な駄作だと言い切ったらいいだろう。そうしたら論旨の一貫性ゆえ、ほんのちょっぴり余計に点をあげても良い。でも笑い転げながらほんのちょっぴりだ。

古伊万里

2008年02月09日 | 骨董、器


古伊万里というものは雑器であるから、気楽に買える。値段の方からいえばそんなに気楽に買えるものではないけれど。どう言えばよいか。使い易いとでも言うかな。それほど特別な眼が要るわけではないし。

訳知り顔で書いているが、実は買ってくるのは家内である。馴染みの骨董屋がすぐ近所なので、買い物のついでに寄っているらしい。らしい、というのも僕はほとんど毎日自宅にいるのに、レッスン室にこもったまま何時間も過ごし、家内の生活パターンを窺うことができないからである。

僕は大体が不注意に暮らしている男で、生活空間にぴったりした器であれば、それが新しく購入されたものであることに気付かないことがよくある。食事をしながら「気が付かないの」と訊ねられる。よく見ると見たことのない器である。女房が代わっていても気付かぬかもしれぬ。

古伊万里は江戸中期までだ。初期伊万里は完品はほとんどない。そんな能書きはどうでもよい、古伊万里が使い易いというのは、たとえばサン・ルイ社のワイングラスや銀製のナイフ、フォークと実によく合うといったことだと思えばよい。

骨董の用語で感じが来る、というのがある。感じが来るのまではまあ、なんとか来る。その後にものが見えるという。ここまで行くのが難しいのだという。白州正子さんの文章によく出てくるから目にしたことのある人は多いかも知れない。いや、感じが来るのだって充分難しいです。

よく分からぬようで、しかし耳に置き換えると実によく分かる。

ふだん使う飯椀で気に入ったものは家内と息子が取ってしまった。何のことはない、こよみ手という文様の、すっきりした円錐に高台が付いただけのものだが、質素な武家で背筋を伸ばした男とその妻が食っていたのだと思いたい。そんな風情だ。

むぎわら手のお気に入りの椀があるのだが、やや大振りで、ダイエット中の身にはちょいと大きすぎる。そのうちに技術をマスターしたら写真を載せても良いと思っている。

僕もきちんとした椀で食いたいと不平を言ったら、重ね松という文様のふっくらした椀を買ってきた。重松だからと、駄洒落のような買い物である。これも悪いものではない。けれど、金満長者とまではいかないが、羽振りのよい町人が笑いながら食っているようで、僕は好かない。

僕らの前に幾人もの人が使っていたわけで、その人たちを空想するのは実に楽しい。

ところで我が家のウサギは一匹は真っ黒で、この子に赤絵の皿でえさをあげたらさぞ可愛いだろうと思い、適当なのを見つけてもらった。世界広しといえど伊万里の赤絵で食べているウサギは他にいまい。

この皿も何十年も経ったら誰かの手に渡るであろう。その人も僕同様、どんな人が使ったのだろうね、と過去に想いをはせるだろう。まさかウサギとは思うまい。ざまあみろ、だ。


第一ヴァイオリン主導型

2008年02月08日 | 音楽


第一ヴァイオリン主導型とは弦楽四重奏の演奏スタイルを評するとき、昔の四重奏団を指して言うことばである。たとえばブッシュ四重奏団とかカペー四重奏団とかを指す。

それに対して現代風のを何と呼んでいるのか、僕はよく知らない。いずれにせよ、現在は四人の奏者が対等な立場で演奏する、という理解でよい。

この手の解説は巷にあふれ、愛好家も(これもいやな言い方だ。僕も愛好家のひとりさ。愛好家とはお世辞にも言えないのがプロなら、僕はプロという名前をよろこんで返上しよう)音楽学生も常に眼にしているわけだ。

ではこの人達が第一ヴァイオリン主導型という呼称を目にしたとき、漠然とどんな演奏を思い浮かべるか。僕も実際生徒たちに訊ねたけれど、「プロ」にも訊ねてみたけれど、思った通りの反応なのである。

第一ヴァイオリンが自分の解釈や技巧を全面に押し出して、あとの三人は従属的な演奏をする、という感じ。

昔のカルテットが第一ヴァイオリンの資質に負うところが大きかったのは本当だと思う。そして、そのために他の三人も従属的どころか、きわめて自発的な演奏をしたのだ。そう言ったら奇異に聞こえるだろうか。

ブッシュにせよ、カペーにせよ、音楽に対する態度は真摯そのものであった。その存在の大きさが他の三人をつなぎ止めていたのだ。ブッシュがあるフレーズを極度の集中力で弾いたら、他の三人も当然それに応える。なれ合いになる余地など無いのだ。僕が自発的というのはその意味だ。出来合いの自発性などが入り込めるものではない。

それ以後のカルテットに優れたものがなかったとは言うまい。ただ、論じられる際に第一ヴァイオリンがとりあげられることは次第に少なくなり、古い時代の演奏に対し第一ヴァイオリン主導型という呼称が定着していったのだと想像する。

前に述べたように、実際の演奏は、仮に第一ヴァイオリンの音楽性に基づいていても、皆がそれに触発されてより高度な演奏を目指したわけだから、演奏自体はそれは見事なものが多いのも当然なのである。

多くの人が漠然と思い描くような、主導するひとりと従属する三人、といった構成から高い水準の演奏が生じるはずがない。

反面、核を欠いた集まりでは、果てしない議論も、演奏という実際を前にしてはいずれ何らかの譲歩を強いられ、平均的な表情に落ち着きやすい、とも言えるのではないか。これはブッシュやカペーで果てしない議論がなかったというわけではない。

むしろこういった方がよいかもしれない。ブッシュ、あるいはカペーという名前の奏者に代表される、ある精神的な共同体というべき存在がブッシュカルテットであり、カペーカルテットであったと。

批評家諸氏は、文章をものにする人でありながら、実に安易に、相変わらず第一ヴァイオリン主導型と言い続ける。ことばを受け取る人たちは、ただ自分のイメージで受け取り、それに沿って聴いてしまう。いちばん避けなければいけないことではないか。

耳というものはそう自在に聴けるものではないのだ。

十年の遅れ

2008年02月06日 | 音楽
吉田秀和さんの全集が完結した折り、小説家の丸谷才一さんが新聞紙上に祝文を寄せていた。

吉田さんについていずれ少しずつ書いてみたいが、きょうは丸谷さんの文章中の一言から。

上記の文の中で丸谷さんは小林秀雄さんにふれ、文学の中に哲学などを持ち込み、日本の文学を十年は遅らせたと書いていた。

文学者はよくこういう言い回しをするけれど、僕はあまりピンとこない。丸谷さんといえば、とほうもない知識と教養で、エッセイを読むつど面白くて最後にはため息が出る。つまり、どうやったらこんな教養が身に付くのだ、というね。

そんな人が言うのだから十年遅れたのでしょう。しかし遅れたと言うからには「進んだ」状況が考えられる、というのが素人の素朴な思いのわけで、それがどういうことかが僕には分からない。

そんなところでもたもたしない人が文学の世界にはうようよしているのだろうな。

丸谷さんが小林さんを好かない理由は、何となく分かる。まず痩せた文体が駄目なのだろう。吉田さんにせよ、丸谷さんが好きな石川淳さんにせよ、教養が柔軟な、あるいは重厚な文体を形成している。

たしか丸谷さんは吉田さんの文章を断定を避け柔らかく広がりを持つ、といった風に評していた。それはその通りだと僕は思う。丸谷さんの文体もそうだが、吉田さんのはいっそう懐が深いように感じる。

たとえばゴヤの「マハ」についての小林さんの言葉を紹介したけれど、こういうのが丸谷さんにとっていけないのだろう。吉田さんなら、色調についてゆったりと語り、構図について考察していくのだろう。吉田さんの絵画論を読んでみるとそれは容易に想像がつく。

僕は文学談義などというお門違いなことをしたいわけではない。丸谷さんの言う十年は遅れたことが本当だとしても、十年遅れたと書くことが出来るのは、日本語が失われていないからではないか、と思うのだ。日本語があるかぎり、丸谷さんは小林さんに依存することなく、自分の世界を展開できる。その幸福を思うのだ。

丸谷さんは十年遅らせたなどと文学者の常套的表現などせずに、小林さんのこれこれこういうところを私は理解できぬ、好まぬと立派な日本語で言えるではないか。十年遅らせたなんていう、思わせぶりな修辞を使わずに済むではないか。

僕たちの音楽は、そして丸谷さんも好きな音楽は、解釈、講釈に押しつぶされて音を失っているのだ。あるいは音を失った結果、解釈や講釈が限りなく入り込む余地が出来てしまった、というべきかもしれない。

音が失われた音楽は、あらゆる観念を容易に呑み込んでゆく。耳は観念的にもなりうる、と僕がつたない日本語で力説するところだ。

音を失ってしまった音楽とは、ほとんど言葉の遊びである。そうなったら音楽にとっては十年遅れた云々は寝言に等しい。すべてが取り返しつかないのである。文学の世界が羨ましいと書いたのはそういう意味だ。しかも、音が失われたことを、広く伝える手段を音楽自体は持たないのである。「失われていないではないか」の一言ですべては終わる。演奏の批評がむなしい理由だ。

丸谷さんは小澤征爾さんと水戸管弦楽団のモーツァルトを聴いて、日本の楽団からついに遊び心のある響きを聴いた、と書いていた。これなどは典型的な、できあがった観念に沿った耳である。もっと言い切ってしまえば、吉田秀和さんに「教わった」聴き方だと僕は思う。音が失われた、と聴く僕の耳は、遊び心なぞどこを探しても出てくるはずがない、と思うのだ。丸谷さんが遊び心という言葉を使うとき、おそらく18世紀をヨーロッパの頂点と観る史観を念頭に置いているのだろうが、そしてそれは僕にもよく納得できることであるのだが、そんな遊び心が現れるほど現代の音楽の世界は豊かだと、本気で考えるのだろうか。

聴き方を教わる、という事実は大岡昇平さんがしばしば「成城だより」の中で、自分の音楽の師匠は吉田秀和だ、と明言しているところからも分かる。つまり、聴き方を教わること自体が問題なのではない。しかし文学者達が文学者流に教えたり教わったりできたというのは、その人達の成長した時代には音が生きていて、その上を自在に観念が飛躍できたのだ、ということだけは知っておかなければならぬと僕は思う。

マハ

2008年02月05日 | 芸術
生徒がグラナドスの「嘆き、またはマハと夜鶯」を弾いてきて、僕ははじめてレッスンしたのだが、その直後に学校の卒業試験で同じ曲を聴いた。それで思い出したから書いておく。

このマハとはいうまでもなくゴヤのマハのことである。

以前NHKでマドリッドの美術館を特集していて、当然ゴヤもあった。番組冒頭に「裸のマハ」が丹念に映し出される。これはゴヤを代表する作品のひとつだから誰でもがそう構成するだろうな。

しかしナレーションがいけない。「生きる喜びに溢れる云々」と解説は言っていたが、どうも心に響かない。正確ではないと感じる。殊にあの局特有の嘘くさい口調でやられると、もういけない。僕は若いころ「ミカン山のような健康さ」を嫌悪していた。その時のいらついた感じが戻ってきてしまう。

少し説明しておこうか。蜜柑の木は濃い緑色の葉を持っているでしょう。それに実の黄色が大変映える。冬の陽射しを浴びた景色はなんとものどかだ。僕が若いころ、世の中ではいろんなことが起こったかも知れないが、おしなべて、それでも日本は発展を続ける、といった空気が充満していたように思うのだ。たとえ学生デモが多発しようと。

みかん山の陽射しを眺めていると、その空気が連想されて若い僕はいらだった。

僕にとって、これは充分に嫌悪するにふさわしい理由だった。今となってはその気持ちをただ振り返るだけであるが、勘は正しかった、という苦い思いもある。

そうそう、マハだった。

実によい絵だ。それ以上ことばが見つからない。馬鹿みたようなものさ。小林秀雄さんがこの絵について語っているのは、うーん、うまい。それを紹介だけしておこう。といっても相変わらずのうろ覚えだ。正確な表現を知りたいというひとは探して下さい。対談集かなにかにあります。

マハはいいな。着衣と裸とあるが、裸の方が良い。あんなエロティックな絵は見たことないな。ありゃ、着物を脱げって言うのかい、脱げば良いんだろ、そんな女の表情だよ。

以上、付け加える必要はない。実に正確だ。それを婉曲に、教条主義的に言って、みなさまのNHKという包装紙(放送紙ではない)でくるむと、冒頭に紹介したナレーションにもなるのかな。

グラナドスの曲は、青白い影でしかない。

無料ブログ

2008年02月03日 | その他

このブログを訪れた友人たちが「宣伝料は入るのか」「笑ってしまった」と騒ぐ。実は僕は最初に記事が反映されているのを確認した後は、書いては投稿するのを繰り返していただけで、なんのことやら分からなかった。

ブログを書こうと思い立ったとき手許にあったのが「無料でできる・・・」といった種類の手引き書で、その通りにクリックだの記入だのしていったら、ご覧のような代物ができあがった次第である。

友人が笑ったというのは僕の記事に対してではなく、記事の下に自動的に現れる宣伝に対してである。

自分の文章が雑誌に載ったりすると、限りなく嫌悪感が湧く。そこまでない場合でも、すくなくともこっぱずかしい感情と戦わなければならない。

ネットでも同じだ。学生のころまでは誰かが撮ったスナップなぞがいつのまにかたまっていったが、そういうとき自分が写った写真を見るのは実に嫌なものだ。そんな感じかな。書きたいことをずらずら書いてみないと「運動神経」もつかないから書いてみるのだが、自分の書いたものが画面に現れては気力も失せるから、なるべく見たくなかった。でも仕方なくちょいとページを開いてみた。そしてうなってしまった。

「よい耳」に「諦めないで。難聴」とか「あばら屋」には「お金欲しいですか」とかが、多分キーワードの自動解析で付くシステムらしい。そんなこと手引き書に書いてはなかったような気がする。あったかもしれない。要するに必要な項目を適当に選択してとばし読みしていたわけだ。保険の約款ではなくて幸いだった。

でも僕は知らないうちに、高利貸しだの音楽教室だの補聴器メーカーの宣伝に一役買っていたのだ。驚いた。でも大笑いしたのも事実である。

昔の人は田舎から都会へ出て、都会人の抜け目なさに驚き、生き馬の眼を抜くようだと表現した。今の僕はちょうどそういった田舎者の心境だ。

まあ、考えてみれば無料なのにはわけがある。わけがあるのは分かっていたが、それがこんなこととは思わなかった。現代は小賢しい知恵にあふれてもいるのだな。

引っ越してじゃまな宣伝を消したいが、方法が分からないし、面倒くさいかもしれない。今のところ、タイトルからどんな宣伝が想起されるのかを楽しみにした方が良いかもしれない。

と書いてはたと困った。それを楽しむには自分でページを開く必要がある。それは困る。どなたか面白そうなのがあったら教えて下さい。

ホール考

2008年02月02日 | 音楽


演奏会に殆ど行かなくなって久しいので大ホールの実情は詳しくないのだが、東京ではやはりサントリーホールが使われているのだろう。最初にはっきり言っておく方がよいと思う。このホールは失敗作である。音楽評論家を名乗る人は大勢いるのにそれを言う人は少ない。演奏家も表だっては言わないのか、耳に入ってくることはあまりない。

何が駄目なのかを言葉で表すのは難しいのだが。

とにもかくにも、音の焦点がなくなる。この一点に尽きる。余韻はあるが、響きはない。こういう会場は響きを本当に持っている奏者には不利だが、持っていない奏者には有利かも知れない、一種のカラオケ効果のために。

実例を挙げておく。音楽を言葉で表す愚は承知の上で。

モーリス・アンドレはまれに見るトランペット奏者であった。吉田秀和さんがトランペットの音は○○の形をしているだったか、非常にうまい表現をしていた。うまい表現だと思ったことだけ覚えていて、○○を忘れてしまったばかりか、全部忘れてしまっている!肝腎の表現をすっかり忘れるなんて、お粗末の極みだが仕方ない。とにかくアンドレの音は果実のように、手を伸ばせば触れることができるのでは、と感じるものだった。

彼以後も様々のキャッチフレーズとともに何人もの奏者が現れたがアンドレのような人はいない。

帰国直後、耳はヨーロッパの音に飢えていた。その時アンドレが来日し、僕は喜び勇んでサントリーホールに聴きに行った。

この時ほど落胆したことはなかった。帰国したことを後悔したほどである。アンドレは決して悪くなかった。誰が聴いても立派な演奏ぶりだったのだ。

でも手を伸ばせば触ることができそうな、表面張力で丸く形成されているかのような、形のある音は耳にすることが出来なかった。この魅力こそがアンドレを他の奏者と区別する一番大きな要因だったにもかかわらず。その代わり、何となく上質そうな「サウンド」が空間に漂った。

その後、チェリビダッケとミュンヘン・フィルを聴きに行ったときも同じであった。この時はその2.3日前に同じチェリビダッケとミュンヘン・フィルを松戸の聖徳学園のホールで聴いたばかりだったから余計にその違いが実感できた。

聖徳学園のホールはお世辞にもよい響きとはいえない。そこで演奏会を聴いたのは後にも先にもこの時限りだったから、もう記憶は薄れているが、貧弱な、残響のないホールだったと思う。

その代わり、ミュンヘン・フィルの音が(というよりチェリビダッケの耳が)消える瞬間まで息苦しいような密度を保っているのが、なぞるように聴き取れた。

僕がチェリビダッケをどう評価しているかということとは違う問題である。しかし演奏者が音楽のどこに耳を傾けているか、が分からずに評価もしようがないではないか。

情けない話であるが、残響がただあるよりは、むしろ痩せたホールの方が演奏者の意図は、意図だけは分かるのである。この続きを近いうちに書くつもりだ。

僕としてはサントリーホールの音楽会はご免こうむる。ビアホールにでもするとよいと思う。

マリア・グリンベルク

2008年02月01日 | 音楽
これも最近ひとから教えてもらったピアニストだ。シューマンの交響的練習曲のCD。僕は驚いてしまった。

異様なまでに長い息、深い深い響き、実に美しい演奏だ。演奏しているのはグリンベルグというロシアの女性である。ドストエフスキーの「白痴」にアナスターシャというヒロインがいるが、彼女を連想してしまう。深く、同時に気高くさへある悩み。迸る情熱。

リヒテルより少し上の世代らしい。西側にはあまり聞こえてこなかった人のひとりである。

この曲はテーマからして難しい。和音は強くてはいけないが、といって貧弱なのはもっといけない。グリンベルグの演奏はここでもう最上の演奏だと分かる。クレッシェンドの後のフェルマータ、こういう音型がピアノという楽器の一番難しいところだろう。音が暫時消えてゆく運命にある楽器から、長い響きを産み出さなければならないのだから。

ここでのグリンベルグの音は驚嘆に値する。いったいピアノという楽器と身体のどこにこんな音が隠れているのだ、といった驚きだ。

この調子で全曲の解説をするつもりではないのでご安心ください。関心のある方は是非聴いてごらんになることをお薦めする。

びっくりしてしまった僕は、他の曲の演奏も何が何でも聴きたいと思った。来る人みんなに吹聴していたら、メンデルスゾーンのファンタジーやベートーヴェンのアッパシオナータの録音を持っているという人があらわれた。

さっそく借りて聴いたのだが、どうも同一人物とは思えない。シューマンであれほどの懐深い、それでいて淀みない演奏をした人なのに、メンデルスゾーンやベートーヴェンでは何というかな、上等の自転車が錆びたように、どことなくぎくしゃくするのだ。

すみずみまでひどい演奏ならそこら辺にいくらでもころがっている。そういうのとも違う。また、どんな名演奏家でも作曲家による適、不適はあるものだ。そういう例もまた余るほど知っている。それとも違うのだ。なにか音楽自体をもてあましたような感じ。そんな経験はあまりないので僕はすっかり面食らってしまった。

解説によれば、シューマンの交響的練習曲は彼女の思い入れがとくに強かったそうである。解説者というものはそういった情報通みたようなところがあって好かない。思い入れが特に強ければ素晴らしくなるのだったら誰でもできそうだ、と横やりを入れたくなる。そんなことでこの落差が出来ているはずもない。何なのだろうか。