季節はずれのインテルメッツォ(続)

音楽、文学、絵画、スポーツ、シェパード等々についての雑記帖。

ブルックナーの容貌

2009年09月22日 | 音楽
アントン・ブルックナーの若いときの写真である。

これをはじめて見た時、僕は名状しがたい感銘を受けた。

ブルックナーの曲しか知らない人は、この姿からどのような印象を受けるのだろうか。あるいは彼のことを知らない人にはどんな男に見えるだろうか。

ついでにブルックナーの弟子筋にあたる人の写真も1枚だけ載せておこうか。と書いて、複数枚の写真を入れる知識がまだないことに気がついた。いろんな人のブログを覗くでしょう、うまいこと写真を散りばめて、文字の位置を考慮して、読む前にもう、うーむと唸ってしまう。こんな芸当をしてみたいものだ。僕だって、ある程度の洒落っ気は持っているから、なにやら黒い文字ばかりの本ブログが見栄えがしないなあと思うのだ。(でもある日、僕のページを訪ねた人が、花の写真とか、天使の絵とか、僕が微笑む写真が色んなところに散りばめられているのを見たらひっくり返るだろうな)

写真が載せられないから拙く文で説明するけれど、弟子筋に当たる人たちは皆、押し出しがきいて立派なのである。いかにも知識人然として、指を顎に添えた写真とか、いかめしい顔に片眼鏡とか、写真を撮られるにもきちんとした対応を知っている。

人間の風貌はその人を語る。昔は40歳になったら顔に責任を持て、と言った。いくら本人が責任を持とうと思っても、あるいは反対に、そんなこと知らないよ、と突っぱねても、あらゆることが顔には出てくるから、そのことについて議論なぞする必要はない。

とにかく外貌にすべて出る。本当は声にも出る。顔以上に出るともいえる。

さてブルックナーのこの顔は、というか姿ぜんたいは、間抜けな田舎の青年が精一杯まともな都会人を気取っている以外の何ものでもない。はっきり言ってしまえばお馬鹿さんの顔だ。
ポケットに手を突っ込んで体裁をつけようとした姿、不安げな顔、どの角度から見ても音楽史上の天才のひとりとはにわかに信じがたい。

そもそもブルックナーに天才という呼び方は何か違和感がある。偉人といえばまだ分かるけれど。

現代音楽界には天才音楽家から女神、プリンス、帝王、貴公子、神様、おかみさんまでいて、もう百花繚乱といったありさまだが、ブルックナーには天才というレッテルすら似合わない。どうだ、現代人は偉いだろう。

そういえばヘンデルを「音楽の母」というけれど(これはもちろんバッハを「音楽の父」というからであるが)最近では音楽するママというのを押し出している人もいるらしい。

さて、若い時代の不安から抜け出て老境に入ってからのブルックナーは、それなりの名声を得る。だが、それで堂々たる姿になった、というわけでもない。

亡くなる直前くらいの写真がある。粗末な家の前で何人かの人に取り囲まれているのだが、白いシャツに吊りズボンをヨレヨレに着込んで、チロルの農夫がはじめて都会に出てきた姿だと説明されたら誰しもが信じてしまう。見たい人は複数の写真の載せかたを(やさしく丁寧に)教えてください。

第3番交響曲のアダージォの終結部で、急に弦楽器がトレモロに変わって長い息のフレーズが天空に弧を描くような箇所がある。

僕はここを聴くとニーチェの「ツァラトゥストラはかく語りき」の一節を思い出してしまう。

きちんと紹介しようと思ったのに、どこだったか分からなくなって(本はあるよ)急に思い立ったときの常でどうしても見つからない。不正確な記憶によって紹介する。

私は沈み行く太陽を羨ましく思う。
今、太陽はすべてを与え、黄金の光を撒き散らせて沈んでいく。
そのときは、もっとも貧しい漁師でさえ、黄金の櫂で漕ぐ。

ブルックナーとニーチェは共にワーグナーの影響の下にあって、しかもエピゴーネンにならずにすんだ大きな人物だ。しかし見かけ上はなんと違った人だろう。

愛する神のために書いたブルックナーと、神は死んだというニーチェ。でも作品を通じて、どこか深いところで繋がっているのを僕は感じる。


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