音大の試験において連弾や二台ピアノ(大学では二台ピアノの方が多いと思われる)だと、オリジナルに限るという注意があったりする。
例えばブラームスのハイドンの主題による変奏曲はオリジナルとみなされる。ピアノ五重奏を二台ピアノにしたものもそう。
ではこれもブラームスの手になる交響曲4番の連弾は?これはオリジナルとみなされるだろうか?これになると連弾での演奏を生業にしている人たちはともかく、殆ど弾かれることはないだろう。オリジナルと見なされるのか、会議でも開かれるような気がする。
同様にメンデルスゾーンの「フィンガルの洞穴」の作曲者による連弾版もある。
こうした例は珍しいわけではない。仮に作曲家本人による編曲はオリジナルと見做すならば、これらは当然オリジナルである。
逆の場合だってある。「展覧会の絵」は一体何人の作曲家がオーケストラに編曲したことか。そしてムソルグスキー・ラヴェルといった記載で立派に通用している。
こうして見てみるとオリジナルに限るという縛りが、何とも珍妙なのだと思わざるを得ない。
昔から人気があったり立派な曲は、他の作曲家から編曲されてきた。ブラームスだってドヴォルザークの編曲をしている。幾らでも例はある。
オリジナルでも駄作はある。ベートーヴェンにもある。ドビュッシーの駄作に至っては気分が悪くなるほどだ。そうした曲を鹿爪らしく弾いたり聴いたりする方がよっぽど問題だろう。
例えばブラームスのハイドンの主題による変奏曲はオリジナルとみなされる。ピアノ五重奏を二台ピアノにしたものもそう。
ではこれもブラームスの手になる交響曲4番の連弾は?これはオリジナルとみなされるだろうか?これになると連弾での演奏を生業にしている人たちはともかく、殆ど弾かれることはないだろう。オリジナルと見なされるのか、会議でも開かれるような気がする。
同様にメンデルスゾーンの「フィンガルの洞穴」の作曲者による連弾版もある。
こうした例は珍しいわけではない。仮に作曲家本人による編曲はオリジナルと見做すならば、これらは当然オリジナルである。
逆の場合だってある。「展覧会の絵」は一体何人の作曲家がオーケストラに編曲したことか。そしてムソルグスキー・ラヴェルといった記載で立派に通用している。
こうして見てみるとオリジナルに限るという縛りが、何とも珍妙なのだと思わざるを得ない。
昔から人気があったり立派な曲は、他の作曲家から編曲されてきた。ブラームスだってドヴォルザークの編曲をしている。幾らでも例はある。
オリジナルでも駄作はある。ベートーヴェンにもある。ドビュッシーの駄作に至っては気分が悪くなるほどだ。そうした曲を鹿爪らしく弾いたり聴いたりする方がよっぽど問題だろう。
僕は今習っている先生から、「演奏では自分で考えた事しか使えない、だから解決の仕方を自分で考えるように」とよく言われます。
でも、それがはじめからできるのなら誰かに習う意味ってあるのだろうかと思ってしまいます。
記事と直接関係のない質問で申し訳ないのですが、今自分の演奏に行き詰まっている事もあって質問しました。ご意見をお聞かせください。
僕は君の先生がどんなレッスンをなさるか知りませんから、あくまで一般的な言い方ですが。
そうした意見はしばしば耳にします。でもそれは、なんだか難しく高級そうに聞こえますけれど、僕には良く理解できません。
誰だって自分が感じて自分が考えたことしか出来ないのは言うまでもありません。
でも、そうした当たり前なことを強調する人は、やれテンポだの、強弱だの歌い回しだの、そうしたことしか念頭にないのではないかと僕は思っています。あるいはやれ時代背景だ、様式だと。
君が教わる意味がないのでは?と疑問に思う、それもどういったことを習えると思っているか、によって僕が言わなければならないことは違ってもきます。
言えるのは、原理原則を説く暇があったら、教えなければ分からない、教えなければならないことは山ほどあるので、そうしたいと僕は思うということ。
君が行き詰まりを感じているということは、テンポや強弱の問題ではないですね。そうだったら何かしら具体的なアドバイスが与えられる筈だと考えますが。
伝わるかわかりませんが、よく分からなかったら何度でも質問してください。
僕の今の先生について、ご想像の通りなので驚いています。
僕が行き詰まりを感じているのは、自分の演奏から、その音楽に相応しい音色が出てこない、ということです。同じ指摘を今の先生からもされます。
何となく自覚はあります。イメージや気持ちの問題だけではなく、音色をつくるための技術が存在する事も知りましたが、今の先生からは「その技術については教えられるものではないので、自分で考えるように」と言われます。
僕は今そこを一番学びたいのですが、もしそれが人から教われる事柄ではないのなら、これ以上誰かに習う意味が僕にとってあるのかなと思ってしまった次第です。
技術の事だけは(上手くかどうかはともかく)教えられる筈ですし、教えなければならないことです。それを教えることが出来ない、とは僕には理解ができません。
そこを避けて構成とか様式とか言われると、言われた方は大変難しい高尚なアドバイスを貰ったような気がするかも知れませんが、僕は信じませんね。構成とか様式とかが無いと言っているのではないですよ。そんな言葉にするのが難しいことを軽々しく言ってはいけないのでは、と僕は思っています。
質問してみて、自分がこれからどう学んでいきたいかはっきりしてきました。立派な言葉に惑わされずに、今の自分に必要な事を見据えてやっていきたいと思います。
個人的な質問にお答え下さって、本当にありがとうございました。