夜寝るときに耳栓をする。色んな種類があるらしいからネットで検索して驚いた。
オーケストラの楽員達が耳栓をするのが当たり前らしい記事を沢山見つけたのである。
以前、オーケストラの楽器間に遮音壁を設ける試みがあることを紹介したけれど、そのようなハイテクな研究を待つまでもなく、楽員は各自ゲリラ戦を敢行しているのであった。
なるほど耳を壊すのは死活問題である。自衛に走るのはもっともだと思う。しかしその現実とともに、そんな大音量が必要なのか、それはそもそも美しいのかを自問すらしないように見えるのは僕には理解しかねる。「○○社で耳型を取ったらすごく良いよ」こんなセリフが聞こえてきそうだ。
こんなことでアンサンブルとかハーモニーとか、鹿爪らしい顔をして言うんじゃないよ。指揮者は停電時の交差点のお廻りよろしく「はい、次あんた、ほい、そこ注意、3小節間皆さんで」てな具合にするしか手がないだろう。そして評論家は「伝統のアンサンブル」とやらを称賛し、楽員の注意深さを讃え、聴衆はそれらの意見を少し遠慮がちに復唱するだろう。
いっそオーケストラでも歌でもピアノでも「うむ、今日の演奏は○デシベルだ、世界新に一歩及ばなかった」となっちまえ。すっきりする。
オーケストラの楽員達が耳栓をするのが当たり前らしい記事を沢山見つけたのである。
以前、オーケストラの楽器間に遮音壁を設ける試みがあることを紹介したけれど、そのようなハイテクな研究を待つまでもなく、楽員は各自ゲリラ戦を敢行しているのであった。
なるほど耳を壊すのは死活問題である。自衛に走るのはもっともだと思う。しかしその現実とともに、そんな大音量が必要なのか、それはそもそも美しいのかを自問すらしないように見えるのは僕には理解しかねる。「○○社で耳型を取ったらすごく良いよ」こんなセリフが聞こえてきそうだ。
こんなことでアンサンブルとかハーモニーとか、鹿爪らしい顔をして言うんじゃないよ。指揮者は停電時の交差点のお廻りよろしく「はい、次あんた、ほい、そこ注意、3小節間皆さんで」てな具合にするしか手がないだろう。そして評論家は「伝統のアンサンブル」とやらを称賛し、楽員の注意深さを讃え、聴衆はそれらの意見を少し遠慮がちに復唱するだろう。
いっそオーケストラでも歌でもピアノでも「うむ、今日の演奏は○デシベルだ、世界新に一歩及ばなかった」となっちまえ。すっきりする。