季節はずれのインテルメッツォ(続)

音楽、文学、絵画、スポーツ、シェパード等々についての雑記帖。

健康法

2014年03月13日 | 音楽
ピアノ、手の型、などで検索するとまぁ沢山の指南ページがある。そこで気になることをひとつ。

多くの記載が無理な弾き方は手を壊すから避けるように強調している。それは大変喜ばしい。

しかし推奨されている「正しい」弾き方では手は壊さなくても「音」は出ない。

声楽で喉を壊さないことは大変大切だ。そのためには普通の声で歌うことです、とアドバイスされたようなものだ。

アスリートに身体をケアするためには常にほどほどな運動にしなさいと指示するようなものだ。

今まで(日本で)言われてきたことも、現在主流の?弾き方も、音楽そのものから、あるいは耳から出発していない点では同じ穴の狢なのである。

と、書いてあるものを読むとなんだか難しいことを僕が主張しているように見えるが、いたってシンプルなことだろう。

速く走りたいから速く走ろうとする。自分より速い奴がいたらもっと速く走ろうとする。ここでは「速さ」という単純明快な指針がある。

演奏の場合の指針はと言えば美しさだと言っても良いだろうが、これは単純明快とは言い難い。そこが違うだけだ。

単純明快な目的があると言っても、それを成就するのは単純明快どころか恐ろしく難しいではないか。

耳に訴えかける音や声は本来誰にでも「理解」できるもののはずだ。気の無い返事、不機嫌な声、下心ありそうな声、実感のこもった声、どれも何故かはわからないが感知する。

楽器や歌声も、すぐに判る。ピアノだけが気持を込めたがゆえに手を傷めたり、手を痛めずに楽に弾くがゆえにスカスカなペンペン草になったりする。

ある邦人ピアニストが「スポーティーでありたい」と言った。ところがその演奏は、成る程楽に弾けるのだが、なんともジジむさいのである。ちゃんちゃんこで弾いたらさぞかし似合うと思う。

ピアノ関係のサイトを閲覧していると気が滅入ってくる。なまじの知識を持ったばかりにね。

一例を挙げて終わりにしよう。

昔は鍵盤が軽かったから、指先だけで弾くことが推奨された。

ここまでは本当。でもそれはいつのことか?多分リュリとかラモーとかまで遡るだろう。僕はてんで詳しくない。

で、指先だけで弾くのをパソコンのキーボードを例に出し、手を固定して打つでしょう、と解説する。固定しないとミスタッチしてしまうと。

半端な理解というのはこんな感じだ。キーボードの幅と鍵盤の幅がまるで違うのはどうする?仮にパソコンのキーボードが両手を拡げた位の幅だったら?

ちょっと突っ込みを入れたらガラガラ崩れるではないか。