季節はずれのインテルメッツォ(続)

音楽、文学、絵画、スポーツ、シェパード等々についての雑記帖。

プライド

2010年07月20日 | その他
web上には様々な質問できるサイトがある。さきほど何かの拍子にドイツ語学習に関して質問しているのを見つけた。

質問はドイツ語を独学でマスターする方法があれば教えてくれろというもの。

興味が湧いて回答を覗いたら質問をたしなめるものがあって、以下はそれからの引用。


このカテゴリー、特に語学は、語学を勉強してきたこと、苦労していること、楽しんでいることにプライドを持っています。
安易な質問は、控えた方が無難です。質問内容には気を付けた方が良いです。


以上。

この国の人はなぜこんなに真面目になってしまうのか分からないね。僕は本当に分からないよ。何だろうな、この厳しさは。

独学でなるべく苦労せずにマスター、結構じゃないか。できるものなら誰だってやってみたいだろうに。

苦労していることを楽しむのは大いに理解できる。人間はおかしな動物で、簡単にできるよりも困難を伴うことが達成されたときを好む。しかしどこからプライドという言葉が出てくるのか?苦労もまた楽しいというのはわたくしごとではないか。自分は苦労をした。だから他人に楽をさせてなるものか。こういうのをけちな根性というのさ。

僕ならためらわずにこう言うね、細かいこと、たとえば語尾変化など(これのおかげでドイツ語が難しいという伝説が出来上がる)を一切無視して突き進め、と。

本当はドイツ語に限ったことではないと思う。ちょいと間違えたって通じるものだ。そのうち近似値的に正しく?なるだろう。僕らの実在が(量子論的には)確率にすぎないというのだから語尾変化の正解の確率がちょいと低いくらいで騒ぐんじゃないよ。

こんな方法でやり抜くのに難題はひとつある。ふさわしいテキストが多分ないことだ。テキストというものは通常間違いを犯さずに進めることを前提にしているからなあ。

各国の言語をいい加減に学習するテキストがあれば、僕もイタリア語、ロシア語、フランス語、スペイン語、犬語あたりを学びたい気持ちがある。

上記の厳しい回答に見られるように、残念ながら語学教師がまず、困難を努力によって克服したというプライドを持ちすぎる。学習する人はつまりこうしたプライド高き教師予備軍なのである。

楽な方法があったら、もしもあればですよ、意地悪せずに教えなさいよ。無いなら無いで、残念ながら無いんですよ、と声を掛ければいいじゃないか。
安易な質問は避けたほうが無難だって?何を諭しているのだ?言葉なんて所詮ぺんぺん草だろう。気取ってはいけない。

僕もかつてイタリア語あたりを学習してみようかと思ったが、日本人的真面目さゆえ、最初の一歩を適当にあしらいつつ進むことが難しかった。間違えながら進む度胸とでもいうか。より簡単に独習する方法はきっとあると僕は思っている。
コメント (3)
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