季節はずれのインテルメッツォ(続)

音楽、文学、絵画、スポーツ、シェパード等々についての雑記帖。

国歌独唱

2010年05月27日 | スポーツ
サッカーの国際試合では、試合前両方の国の国歌が演奏される。演奏といっても今日では録音によるのであるが。

日本で開催されるときには通常音楽のいろいろなジャンルの人がゲストとして招かれ独唱する習わしである。

試合前に国歌を独唱するのがどのくらい一般的なことなのか僕は知らない。しかし世界的に習慣化された形式ではないのではないか。

以前からこの君が代独唱には好感を感じなかった。すべての歌手が自分の「持っている」スタイルで歌うものだから、世にも珍妙なものになっていた。

演歌歌手は情緒たっぷり音程をずり上げながら、オペラ歌手はヴィブラートを効かせすぎて音程がわからず、ロック歌手は自分の激しいスタイルを崩してなるものかと頑張る。

ずっと昔、がらがらの国立競技場に当日券で行ったころにもこのセレモニーはあったのだったか。すっかり記憶から抜け落ちている。

どうにも田舎臭いと感じる。仮に独唱するにしても、ひとつ自分のふだんの歌唱スタイルを脱して、ごく素直に歌ったらカッコいいと思うんだけどね。

マイケル・ジャクソンがあのスタイルのままアメリカ国歌を歌うところを想像してご覧なさい。ものすごく滑稽でしょうが。今の試合前の君が代だって僕には同じに聴こえる。

もしもこの様式が日本特有のものであったならば、その依って来る由来を知りたく思う。僕は、何度も言ってきたことだが、盛り上げるための演出から生じたことではないかと見当をつけている。

ここへ来てしかし、ちょいとした「異変」が起きている。
人気歌手に代わって少年少女合唱が歌うのである。

勘ぐれば、低年齢のファン層を掴みたいサッカー協会と教育委員会の思惑が一致したのではないか。

僕は考え込んでしまう。そこまでして国歌斉唱の場を盛り上げたいのだろうか。むしろその時間だけぽっかりと空虚に空いてしまったように感じるのを如何ともしがたい。

ホテルでこれを書いていたら、スポーツニュースでヨーロッパの国際試合を報告していた。やはり独唱なしで、録音による金管合奏である。さっぱりしていて気持ちがよい。
コメント (1)
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