季節はずれのインテルメッツォ(続)

音楽、文学、絵画、スポーツ、シェパード等々についての雑記帖。

マニュアルどおり

2010年05月08日 | その他
少し前にレンタルビデオ店に行った。滅多に行かないので探す手間を省きたくて、若い女の店員に僕の探しているものがどこにあるか訊ねた。

とても親切な感じの子が探してくれた。店員もどこにあるか把握はしていないようで、結構手間取った。「あれ、どこにあるんだろう、すみません」「いや、それにしてもこれだけ多いとなかなか見つからないものですね」そんな会話をしているうちにようやく見つかった。

面白かったのはその後。

探してもらったDVDを手に僕はレジへ行った。探してくれた女の子がそのまま応対したのだが、何と丁寧にお辞儀をして「いらっしゃいませ」と改まった口調で言うではないか。

さっきまで一緒に棚を見上げて話まで交わしたではないか。カーニバルでの乱痴気騒ぎの次の日、昨日のことは昨日のことと素知らぬ顔をするのは分かるよ。そんな経験ないけれどね。

無論これはマニュアル通りの応対をしたわけである。

先ほども似たことがあった。外食中に隣に座った客と店員のやりとりが耳に入ってしまったのだが。

「十穀○○と○○をください」「畏まりました、ご注文を繰り返させていただきます。十穀○○と○○をお一つずつですね」「そうです」

ここまではどこでも耳にしそう。

店員は丁寧な笑顔を見せながら「十穀○○ですが、現在すべて売り切れております。ふつうのご飯になりますがよろしいでしょうか」と付け加えた。

それを言うなら早く言えよ、とあやうく突っ込みを入れたくなった。

店員の顔は僕の正面にあり、おかしくて仕方がなかった。おじさんおばさんたちからすると何と気が利かぬ子だ、ということだが、僕もそう思わないわけではないが、今の若い人たちの可哀想なほどの律儀さを思わないわけにはいかない。

マニュアル通りに動く世代というのは通説となったが、そういうおじさんおばさんだってほとんどマニュアル通りに思考し(それを思考と呼ぶに値するかは別として)行動している。

若い人はここに紹介した例のように「気が利かない」からよく目立つだけのことじゃあないか。

世間智ばかりついたマニュアル通りはむしろ質が悪いともいえる。教育の現場でのマニュアル、医療現場でのマニュアルと挙げればきりがない。

お年寄りには赤ちゃんに対するような言葉遣いをするでしょう。あれだって立派なマニュアルだよなあ。こっちはまもなく「おじいちゃん」と呼ばれて不思議ではない年になった。それでも看護士から「どうしたの、おじいちゃん。頭がいたいの?」なんて言われたら頭痛どころか吐き気がするわい。
「俺にはしげまつという名前があるんだ!」と抗議するかもしれない。

そう呼ばれたほうが嬉しがる人もきっといる。その時はその時さ。

コメント (1)
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