黄色人種
2008年11月02日 | 本
鈴木孝夫さんという言語社会学者がいる。以前ほんのちょっと触れたことがあるが、その時は確か言語学者と紹介した。今回はきちんと調べて書いたから、言語社会学者が正解です。
たくさんの語学に通じ、というと、外国語コンプレックスの強い人は、わあすごい、とため息混じりに感嘆するかもしれない。
何を隠そう、書く申す僕もガチガチの外国語コンプレックスの持ち主だ。鈴木さんてすごいなあ。冷やかしているのではないです、本当にそういう才能のある人がいるのですね。
しかし僕は音楽という世界共通の言語を手中に収めている。と急に居丈高になるのが音楽家のずうずうしいところだ。そういう人になりたければ音楽家になるに限る。
この人の著作は結構たくさん読んだ。英語に関してのものが多かった。英語教師には耳が痛いだろうと思われる内容がたくさんある。耳が痛いのは教師というより文部官僚だろうか。
言われてみればそのとおり、というものばかりである。ジャパニーズイングリッシュで構わないとか、学校の所在地を教材に取り上げるべきだ、なぜなら見当がつき易く(見当をつけるのは語学で大変重要である)また、外国で話題として大切なのは自分の(つまり僕でいえば日本であり、東京、神奈川である)諸事情であるからだ、とかそのとおりです、と答えるしかない。同時に実行に移すには(学校では)なんだかんだと反対ばかり起こりそうなことだ。
目の付け所が面白い。
例えば虹は七色と僕たちは決めているけれど、諸外国ではどうなのだろう?とか。まったく考えたことも無かったが、5色とか4色とかの国もずいぶんあるらしい。2色という国まであるというから驚く。
2色と聞くと、ずいぶん乱暴な国だとつい思ってしまうが、そんなに無謀なものでもないようだ。暖色系と寒色系に別けているらしい。なるほど、7色だって厳密なわけではないものな。きちんと理が通っている。
太陽は何色か?と問われれば何と答えますか。日本人は通常赤だと答えるのではないか。子供たちの絵をみれば、たしかにお日様は赤で塗っている。それがヨーロッパでは黄色なのだという。そんなことを意識して暮らしていなかったから、いまさら言われても思い出すことすらできない。惜しいことをした、とつい思うのはよほどの貧乏性であろうか。
あるいはりんご。赤いりんごにくちびる寄せて、だったか、そんな歌詞があったっけ。だれも違和感を持つまい。それが欧米では緑色のりんごがスタンダードな色だという。緑のりんごにくちびるは寄せないよなあ。ただし、いや、赤だろうと首をひねるヨーロッパ人もいるそうだが。
外国人の知り合いがいる人はひとつ試してみたらいかが。
鈴木さんが色の言い回しに関心を持つ理由はいろいろ挙げていて、それには著書を読むのが一番なのはいうまでもないのだが。
鈴木さんがある時アメリカでレンタカーでの迎えを依頼したところ、オレンジ色の車で行くとのことだった。ところが待てど暮らせどオレンジの車は現れない。そのうちに何やら人待ち顔の男が茶色い車から辺りをうかがっていることに気づいた。
これが依頼した車かもしれないと声をかけてみると果たしてそうだった。「失礼、オレンジ色の車だとうかがっていたもので」と謝ると「(この車は)オレンジ色だよ」と無愛想に答えたという。鈴木さんは永年の謎が解けて嬉しかったと書いている。
こうした例はオレンジ色ばかりではない。同様に、日本の茶封筒や、ベージュの封筒も黄色という言葉で表わすという。
今度は僕が嬉しくなる番だ。昔から黄色人種といったって黄色の肌の人間にお目にかかったことはなく、日本でも黄疸患者は顔が黄色くなる、という以外、黄色の肌なんて見たことがないのに、と不思議だったのだ。ベージュっぽい封筒までが黄色の範疇に入るのならば、アジアの人肌はなるほど黄色といっても差し支えない。黄色人種という謂れの謎がようやく解けた。
たくさんの語学に通じ、というと、外国語コンプレックスの強い人は、わあすごい、とため息混じりに感嘆するかもしれない。
何を隠そう、書く申す僕もガチガチの外国語コンプレックスの持ち主だ。鈴木さんてすごいなあ。冷やかしているのではないです、本当にそういう才能のある人がいるのですね。
しかし僕は音楽という世界共通の言語を手中に収めている。と急に居丈高になるのが音楽家のずうずうしいところだ。そういう人になりたければ音楽家になるに限る。
この人の著作は結構たくさん読んだ。英語に関してのものが多かった。英語教師には耳が痛いだろうと思われる内容がたくさんある。耳が痛いのは教師というより文部官僚だろうか。
言われてみればそのとおり、というものばかりである。ジャパニーズイングリッシュで構わないとか、学校の所在地を教材に取り上げるべきだ、なぜなら見当がつき易く(見当をつけるのは語学で大変重要である)また、外国で話題として大切なのは自分の(つまり僕でいえば日本であり、東京、神奈川である)諸事情であるからだ、とかそのとおりです、と答えるしかない。同時に実行に移すには(学校では)なんだかんだと反対ばかり起こりそうなことだ。
目の付け所が面白い。
例えば虹は七色と僕たちは決めているけれど、諸外国ではどうなのだろう?とか。まったく考えたことも無かったが、5色とか4色とかの国もずいぶんあるらしい。2色という国まであるというから驚く。
2色と聞くと、ずいぶん乱暴な国だとつい思ってしまうが、そんなに無謀なものでもないようだ。暖色系と寒色系に別けているらしい。なるほど、7色だって厳密なわけではないものな。きちんと理が通っている。
太陽は何色か?と問われれば何と答えますか。日本人は通常赤だと答えるのではないか。子供たちの絵をみれば、たしかにお日様は赤で塗っている。それがヨーロッパでは黄色なのだという。そんなことを意識して暮らしていなかったから、いまさら言われても思い出すことすらできない。惜しいことをした、とつい思うのはよほどの貧乏性であろうか。
あるいはりんご。赤いりんごにくちびる寄せて、だったか、そんな歌詞があったっけ。だれも違和感を持つまい。それが欧米では緑色のりんごがスタンダードな色だという。緑のりんごにくちびるは寄せないよなあ。ただし、いや、赤だろうと首をひねるヨーロッパ人もいるそうだが。
外国人の知り合いがいる人はひとつ試してみたらいかが。
鈴木さんが色の言い回しに関心を持つ理由はいろいろ挙げていて、それには著書を読むのが一番なのはいうまでもないのだが。
鈴木さんがある時アメリカでレンタカーでの迎えを依頼したところ、オレンジ色の車で行くとのことだった。ところが待てど暮らせどオレンジの車は現れない。そのうちに何やら人待ち顔の男が茶色い車から辺りをうかがっていることに気づいた。
これが依頼した車かもしれないと声をかけてみると果たしてそうだった。「失礼、オレンジ色の車だとうかがっていたもので」と謝ると「(この車は)オレンジ色だよ」と無愛想に答えたという。鈴木さんは永年の謎が解けて嬉しかったと書いている。
こうした例はオレンジ色ばかりではない。同様に、日本の茶封筒や、ベージュの封筒も黄色という言葉で表わすという。
今度は僕が嬉しくなる番だ。昔から黄色人種といったって黄色の肌の人間にお目にかかったことはなく、日本でも黄疸患者は顔が黄色くなる、という以外、黄色の肌なんて見たことがないのに、と不思議だったのだ。ベージュっぽい封筒までが黄色の範疇に入るのならば、アジアの人肌はなるほど黄色といっても差し支えない。黄色人種という謂れの謎がようやく解けた。