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 季節はずれのインテルメッツォ(続)

音楽、文学、絵画、スポーツ、シェパード等々についての雑記帖。

ぜにさわにて

2008年10月14日 | Weblog
以前、nifty を使っていたころ、ぜにさわコーヒー店について書いたことがある。

仕事が終わり夕食まで少し時間があるときに、ちょいと行って買い足しがてら話をするのが楽しい。

客はいったい何人くらいいるのか、よく知らないけれど、つぶれない程度にはいるのだろう。いつも誰かが話し込んでいて、まあ何杯もテイストさせてくれるのだから当然居座ることになるが、近場の人が多いというのではなさそうだ。車で2時間とかいう会話が耳に飛び込んできたりする。

世間話も耳に入るが、それは適当に聞き流す。ぜにさわさんがコーヒーのことを話し始めると目つき、声色が変わる。そこが面白い。

彼の話し振りから察すると、どうも日本には、コーヒー界というべきものまで存在するらしい。音楽界とかはなんとなく理解できていたが。つまり僕はそういうものとずいぶん隔たったところに住んでいるな、と実感することによってね。

それがコーヒー界ですよ。想像がつきますか?日本は広いね。いや、狭いのかな。この調子では紅茶界もありそうだし、フランス料理界は絶対ありそうだ。らっきょう界とかくさやの干物界なんていうのもあったりしてね。

そのコーヒー界での教えをことごとく疑っていかざるを得なかったと、ぜにさわさんは言う。

世界各地のコーヒー農場から送られてくるパンフレットには「バニラっぽさ」「オレンジの香り」「チョコレートっぽさ」という表現が数多くあるのに、日本の「コーヒー界」で教えられている焙煎に従うと絶対にそんな表現が出るはずがない香りになる、とぜにさわさんは言う。パンフレットを見せてもらうとなるほど、そのような文言が並んでいる。

日本での焙煎は、高温で爆ぜさせて(簡単に言えばポップコーンみたいにね)かさを大きくしていくが、これは豆の繊維を断ち切って壊すことになるし、焦げがついてコーヒー豆の本来の香りが、ぜんぶ消し去られてしまう。何だか僕が分かっているように書いているが、これはぜにさわさんの意見だよ。

そこで彼はまったく独力で焙煎を研究し始めた。自分の鼻だけが頼りで、そのうちに「コーヒー界」の教えとは正反対の焙煎をすれば、パンフレットにあるようなバニラっぽさ等を引き出すことが出来ると気づいたという。

彼の口からはレモンのような、なんていう言葉がポンポン飛び出してくる。この間なぞは、味噌汁のような、なんてただ聞いたら気持ち悪いように感じる言葉まで飛び出した。でも、この時のコーヒーは実に複雑で、お気に入りに追加したほどである。そして言われてみればたしかに味噌汁と相通じる味がほのかにするのだった。

感覚のある一点にピントを合わせる。この場合はすでに知っている味噌汁の味。これを探し求めるようにしていく。そうすると感じ取ることができやすい、という点はピアノの練習をしていて、漫然と聴くのではなく具体的に自分が聴きたい点にピントを合わせようと努めていくとはっきり聴き取れることと似ている。同じことだと言った方がよい。

焙煎に関して「コーヒー界」の教えに反していると非難も受けるらしいが、僕のような素人が幾人もいて、ぜにさわの味を支持するのだ。

「コーヒー界」では酸味をたてるな、と教わるらしい。ぜにさわさんは酸味がある豆はそれを引き立てるという。僕は以前、酸味のあるコーヒーが大嫌いだった。それが180度変わった。おもしろいことである。

価格がすべてです、とぜにさわさんは言う。たしかにそうで、高いものほど余韻がある。僕自身は低価格のものを選び抜いているぞ。その点の目は確かである。間違えたことがない。全体にアフリカ産が好みである。ミネラル分が多いのだそうだ。

勝ち組

2008年09月23日 | Weblog
タイトルには一応最近よく目にする言葉を使ってみた。でも、書くことはそれとあまり関係しないかもしれない。

僕の小さかったころは、まあ色んな遊びがあった。ピアノを職業にしようとは夢にも思わなかったが、今にして思うと、子供の遊びは動作の宝庫だ。ピアノの技術をより良くしようと努めていると、ふいに子供のときの遊びにおける動作と同じ要素を発見することがある。最近の子供は不器用だといわれれば、そんな気もする。

そこで大人は最近の子供は外で遊ばないのが問題だ、と昔の遊びをいろいろ紹介して、楽しさを体験させようと試行錯誤している。

めんこ、ビー玉、おはじき、ベーゴマ数え上げていくときりがない。地方地方で偏在する遊びもあった。

僕の育ったところは、近くにグラモフォンだったか、レコード製作工場?があって、ドーナツ盤製作の際に余る中心部が大量に廃棄されていた。敷地の中であるが、悪がき達がどうやってか嗅ぎつけて、金網の破れから入り込んで、それをごっそり持ち帰ってゲームを考案した。入り込み方を知っているところを見ると、僕も悪がきの一人だったのかもしれない。

当時の小学校の机は2人掛けだった。その端に真ん中に穴の開いた円盤を置いて、掌でポンと叩き、机の反対側にとばす。勢いがつき過ぎたら落ちてしまう。そうしたら負けで、できるだけ反対の端に近くに行ったものが勝ち、という単純そのもののゲームだった。

この遊びなどは、僕の育った地域限定の遊びだろうね。

さて、かつての子供である大人たちが、現在の子供たちにこういった遊びを教えて、どんな反応があるのだろうか。まったく見向きもしない、ということはあるまいが、それが再びかつてのように盛んになることもあるまい。

だって考えてごらんなさい、メンコなんて、ボール紙の一片を、地面に打ちつけて、相手のボール紙が裏返ったら勝ちだ。ビー玉だって、いくつか遊び方はあったが、基本的には相手の玉にぶつければ勝ちだ。こんな単純なものがそう面白いはずがないじゃないか。

では僕たちはどうしてあんなに夢中になっていたか。単純な理由による。賭けていたからだ。強い奴は、みかん箱にいくつもメンコを持っていた。ベーゴマを米袋に詰め込んでいる奴もいた。

僕は強くなかったから、メンコは特に弱かったから、ずいぶん巻き上げられていた。何が違うのか、当時は研究しようとも思わず、ただ悔しいばかりであったが、強い奴はいつも強かったところを見ると、コツがあったのだろう。

小遣いが多かったわけではないのに、毎日のように巻き上げられていたのには、実は深い深いわけがあったのだ。

強い奴は、ふんだくるだけふんだくると、相手がスッカラカンになり、ゲームを続けようにも相手がいない。そこで僕にも「あげるよ」と一束差し出すのだ。この瞬間は嬉しかったなあ。ものすごく得をした気分で。一束と言ってもメンコだよ、札束ではないぞ。

書きながらふと思ったのであるが、この快感が忘れられずに汚職に走った奴も多いのではなかろうか。いっぺん収賄側の少年期を調べてみたらよい。贈賄側も、子供ながらに、一束攻勢は丸め込むのに効果あり、と学んだのだったりしてね。どうだい、学説なんてこうやって簡単にでっち上げられるのかもしれない。

まじめに言っておけば、勝った奴は、自分ひとりで勝ち続けても世の中は回らないのだと知ったのだ。勝ち組だけが勝ちまくるのはどうもまずい、とね。負けた方は、引き際を知る大切さを学んだといえるかな。

いつから子供の遊びから賭け事の要素が消えたのだろう。僕はそれが残念でならない。負け続けの僕がいうのだ。今となっては、人為的に復活させるのは無理だろう。そうすると、年寄りが言うような、昔の遊びは元気があった、テレビゲームとは違って、という「昔は良かった」式に復活させるのはまあ、風物記念館以上の働きをするはずがない。

子供の社会は、大人が思うような無垢なものではない。同時にそんなに愚かなものでもない。子供のうちから賭け事なんかとんでもない、という健全な建て前が、「健全な」子供社会を奪い取ってしまった。

感覚

2008年08月07日 | Weblog
人間の感覚なぞ、当てにならないものですよ。僕は所謂途中帰国というものをしなかったから、9年強ぶりにふたたび日本の土を踏んだ。成田から実家(そこで22年ばかり過ごした)までタクシーを使ったのだが、なかなかたどり着けなくて往生した。僕は日本語をすっかり忘れていたのだ。というわけではない。一度そんな気障なことを言ってみたいね。そうだったら格好がつくねえ。

実家は川崎市にあるのだが、多摩川を渡るとまもなく、右手に大きな総合病院が見え、すぐに、駅から伸びてきている細い道路が来る。そこを目安に数百メートル先の交差点を右折すればよかった。

総合病院が建て替わっていたのが、しかも90°向きが変わっていたのが大誤算だった。それでも20年以上通った、駅からの細い道を見逃すはずは無かった。

僕の目はそれを認めようとしたが、気がついたら駅を2つばかり先まで来てしまっているではないか。あとで気がついたのだが、最寄り駅からの細い道は、ドイツの広い道にすっかり馴染んでしまった僕の目には、道ではなく、街中の溝にしか映らなかったのだ。もっと正確に言えば隙間かな。

あれには驚いたなあ、まさか自分の家を探し当てられないとはね。そうそう、序でに書いておけば、ようやく家の方向へ入る道を見つけたのもつかの間、今度は消防署の火の見やぐらを目標にしたのに、火の見やぐらなぞ、ものの役に立たない時代になって取り壊されていて、ここでも右往左往した。

今僕は都心から1時間ほどの町に住んでいるが、いつの間にか「渋谷に近い」と感じるようになっている。人の順応能力の高さに感心する。

そういえば、たま(初代のシェパード)は初めのうち、日本の家屋の狭さになれず、僕の家の狭さというべきかな、振り向くと必ず頭を壁だの柱だのにぶつけていた。それでもしばらく経ったらすり抜けていくようになった。

広い、狭い、という言葉も、どこの国でも概念としては等しく使えるけれど、実際の感じ方はずいぶん違うものだ。200坪の家に住んでいるといったら、日本だったら大変な豪邸だと言いたいね。

猫の額のような庭を眺めながら住んでいる僕は、せめて人間がノミのように小さかったら、僕の家もとんでもなく広大な屋敷だろうに、と思う。僕だけが小さいのはいやだよ、悪い奴にひねられてしまうから。

でも、トルストイの作中の一人物ともなると、神様が人間をこんなにちっぽけに創ったのはなぜだ、と悲嘆する。他の人影ひとつなくて寂しい、というわけだ。そんな嘆きもあるのだな。

そういえば、エルベ川まで散歩に行き(車で10分くらいだったかな)360度ぜんぶ空、その上いつも雲が低く垂れ込めている様を目にすると、空は広いのだとため息が出たな。わずかに見えるのは、向こう岸の堤防からちょこんと頭を出している教会の尖塔だけでね。日本のように必ず山影が視界に入る国で育ったものには、どういえばよいか、突き放されたような感じで、たまに南へ旅行する機会に恵まれると、馴染み深い、つまり視界に山の姿が入るようになり、ホッとしたものだ。

ドイツロマン派の画家フリードリッヒの絵を僕は好きになれない。あまりに観念的で甘ったるく感じるのであるが、彼の描く空をよくよく見ると、丹念に実際にある空を写し取っている。それは僕が見た北ドイツの空そのものでもある。エルベ川のことを書いたら急に思い出した。

帰国したのは3月だったかなあ。次の日横浜の税関にピアノのことで行く用事があり、家内と出かけた。暑く感じてふたりとも半そで姿だった。電車の中でふと気づいたら、半そでを着ているのは他に誰もいない。きっとハイテンションな夫婦だ、と思われただろう。




自然

2008年08月05日 | Weblog
大自然という大げさな言い方は一応措いて。

僕は人一倍自然が好きだ。さて今これを読んだ人は何を思うか。私もそうだ、緑の中にいると心休まる、という人もいるだろう。海を思い浮かべる人も当然いるだろう。

なかには気難しい人がいて、なんの根拠があって人一倍好きだと断言できるのか、と不愉快そうに考えるだろう。

僕はただ「自然保護」という言葉が嫌いなのだ。そしてそれに関連する運動をしている人に一種の違和感を持つのだ。前の記事で自然派女史を苦手としている、と書いたのと同じことなのだ。

自然を人一倍愛するといいながら「自然保護」は好きではないというのは、ずいぶん筋の通らぬ話ではないか、と思う人も多いだろう。

僕が抵抗感を持つのは「保護」という言葉に対してである。自然を保護しよう、保護しようと叫ぶうちに、なにかしら、人間がか弱い自然を守ろうといった、無意識の働きが生じないだろうか。

守られなければならないのは、主として緑であろう。でも、僕は今、庭の雑草に手を焼いている。あっというまに伸びる。出かけるときに気づいて数本抜くのだが、次の日にははるかに勢い良く成長している。このたくましさには本当に感心する。

雑草はそうでしょう、でも森林単位で考えてごらんなさい、毎年どれだけの緑が失われているか。その通りだが、放っておけばよい。人類がいなくなれば、死に果てたような地面からも、雑草はあっというまに生い茂り、やがて樹木も育つ。自然は人間よりもはるかに強い。

そもそも、自然といえば山、川、海と連想が働くのは僕たちが住む土地の特徴を反映しているだけだろう。しかしサハラ砂漠だって自然だし、火星の荒涼とした風景だって自然なのだ。もっとも火星は行ったことないけれどね。おっと、サハラ砂漠もなかった。

むかし日本のある水産加工会社がアラブで缶詰を売ろうとしたが、まったく売れなかったそうだ。味覚テストではよい結果が出るにもかかわらず。なぜか。それは缶詰にお日様のマークが入っていたからだそうだ。

照りつける太陽に苦しめられている人々にとっては、太陽は呪うべきものなので、かの地では月が恵みをもたらすシンボルなのだ。それも三日月が。熱い地方にある国々の国旗に三日月が多いのはそうした事情だそうだ。わが国もこう暑い日が続き、しかも年々気温が高くなっていくのだったら、日の丸はたまらん、という気持ちになったりしてね。

人間は緑が無ければ生きていけない。子供でも知っている。だから保護しなければ、ということなのだが、保護という言葉を使っている限り、危機感を高めようという訴えは心に届くことはあるまい、と思っている。

自然は、ここで大自然はと言いなおしてもよい、俺の知ったことではない、とせせら笑っているのだ。ため息しか出てこない。やがては地球も太陽に飲み込まれていくのだそうだ。大自然というのは、けっして人に優しくはないのだ。

脱都会も結構だ。僕もそういう感情を持つ一人だ。緑をこよなく愛す、と言ってもよい。庭を雑草だらけにするくらい緑を好む。だが、他人から庭の雑草は大自然ではない、と説教される筋合いは無い。途方もない宇宙という自然からみれば、アマゾンのジャングルだって大自然ではない、とイヤミのひとつも言いたくなる。

ぼんやりと雑草を眺めやりながら、人も犬も猫もいなくなっても地上をこうして草や蔦が覆い始めるのだ、と感慨にふける。なんともろいことか。

都会の「人工的な」緑を愛でることを馬鹿にしないほうがよさそうである。そうだ、雑草を抜くのはやめておこう。




大自然

2008年08月03日 | Weblog
何だかんだ言っても車の世話になっているなあ。複雑な思いである。というのも、僕は運転が好きではないからだ。

車が好きではないけれど運転する以上、故障もする。自慢ではないが、運転以上に故障が嫌いだ。だからJAFに入っている。全国に同好の士はいっぱいいるだろう。これも同嫌の士というべきか。

さて、JAFの会員になると、定期的にJAF Mate という冊子が送られてくる。熱心に読んでいるわけではないが、役に立つこともあり、現に僕が持っているたった3着のセーターのうち2着はこの冊子の通販で購入したのである。

ここ数ヶ月、タレントで栃木県あたりに住んで農作業をしながらエコロジーの啓蒙活動のようなことをしている女性が、ゲストと対談しているコーナーがある。僕は芸能界に疎いので名前を覚えられない。名前と顔がまったく一致しない。健康保険は芸能人健康保険というのに加入していて、売れっ子タレントたちに支えられているにもかかわらず、感謝の心が足りないのであろうか、覚えない。

この女性がどうも苦手でね、正しい道を説かれているようで。これは余談。

2,3ヶ月前、これまた自然体験の大切さを子供たちに教えているというタレントの男性と対談していた。この人もよい人の顔をしている。顔は見覚えがあるが、名前は分からない。

二人は意気投合していた。まあ、この手の冊子で対談に呼んで、大激論に発展するはずもないからね。あったらおもしろいのだけれど。小林秀雄さんと江藤淳さんが対談中に、三島由紀夫の自決について意見が分かれて、とても面白い。編集してもあの調子なのだから、実際はすごかったのではないか、と空想を掻き立てられる。でも、JAF Mate でそんなことが起こるはずがない。決まりごとのように対談は進む。NHKのようだ。

男性タレントが「僕は都会の人が言う自然て自然ではないと思う。人工的な緑だ」と言い、女史も力強くその発言を肯定しているのをみて、僕は奇異な感じがした。

当たり前のことだ。都会から緑が失われ、まとまってある場所といえば、整備された大きな公園だけだということは、住んでいる人が誰でも知っていることだ。その上、大きな公園といっても実際にはアメリカやイギリスの公園と比べると、みすぼらしいほど狭い。それを大自然と感じる人がいるはずがない。

しかし、都会に住む人が、猫の額ほどの庭の草花を愛でる心を自然というのではないだろうか。タレントの二人にしても、もしも売れっ子になっていなかったら、都会で暮らしながら、あるときは「大自然」の中で自然食を満喫するという幸福には恵まれなかっただろう。その時には、自分の周りには自然がない、と嘆くだろうか。庭の雑草に雨粒が付いているのだって、美しいさ。

と書いて、最近マンションの一角を、それも1メートルばかりの隙間を柵で囲って樹を、3本植えて「保存緑地」と札が立っているのをよく見かけるのを思い出した。あれは僕の言っていることとは何の関係もないぞ。あんなけちな光景は笑うを通り越してあきれる。開いた口が塞がらない、というがあれは開いた口がはずれる。こういうのはイカサマというのだ。黙っていればこれも自然だ、と僕からお墨付きがもらえるのにね。遠慮がちにしておけばよいのに、いけずうずうしく主張したばかりにイカサマ呼ばわりされる。

自然と書いて思い出したことがあるから、改めて書くことにする。










ヴルストハウゼ 川上

2008年07月28日 | Weblog
近所にドイツ風ハム・ソーセージの店がある。ドイツで修行してマイスター号を獲得した人だ。最近は、ドイツで修行を積むハム職人も珍しくないようだ。ドイツのソーセージはじつに旨い。スタンドで一口頬張るのが楽しい、と感じる。寒い時期に、殊にクリスマス前にあちこちに立ち食いの屋台が出て、グリューワインという温めた赤ぶどう酒にシナモンと砂糖を加えたものが出回る。それを飲みながら食べるソーセージが堪えられない。

しかし書いているうちに暑くなってきた。真夏の話題ではないね。と言いつつも、固いパンにはさんだだけのソーセージの味と香りがよみがえる。

近所のハム・ソーセージ屋さんを見つけたときは嬉しかった。すぐ近くにドイツの味を思い出させる店ができたのだから。値は張るけれど、何度か通った。

少し経ったころ、きっかけはもう忘れたが、肉の川上という店に行ったところ(こちらは車で15分歩いて45分くらい)ドイツ風のハム・ソーセージが置いてある。見ただけで旨そうだったから買い求めて驚いた。これはドイツ国内で売っても、旨い店としてやっていける、と思った。因みに、見て旨そうだと感じたのは僕一流のヤマ勘だが、まんざらでたらめでもないらしい。

それっきり、マイスターの店には行かなくなってしまった。情に流されそうになるのだが、舌は従ってくれなかった。いとも簡単に乗り換えてしまったわけだ。

肉の川上というから川上さんというのかと思いきや、ご主人は斎藤さんというのだ。以下斎藤さんと書くことにする。

この人を一目見たときから、直感的にこれはとても旨いだろうと予感したものだ。食に携わる人たちに対して僕がどう見るかだけ簡単に書いておく。

当然ながら、目が据わっていて頑固そうな面構えでなければいけない。同時に同じくらい重要なのは、どこか可愛くなければいけない。

時折そば職人が「そんな食い方をするのなら出て行ってもらおう」とか客を叱りつける場面を見聞きするでしょう。僕は嫌いだね。「馬鹿やろう、豪そうな口をたたくんじゃねえ」と僕だったら啖呵を切って出てくるね。たかが蕎麦、されど蕎麦なのだ。何でもそうさ。お高くとまった奴ほど気に障るものはない。

斎藤さんは信念に満ち、それでいて気さくで、僕が行くとわざわざ奥から出てきてくれて、食は大切な文化である、と何度も話してくれた。ドイツに関しても話が合った。

あるとき話題がドイツのマイスターを有する、最初に行ったハム・ソーセージ店のことになった。僕が、実はこちらにお邪魔する前は、と言ったのだったが。斎藤さんは「いかがでしたか?」と真剣に、かつ興味深そうに訊ねた。「ええ、悪くは決してないのです。でもなんと言おうかな、レシピに従おうという態度が味に出ているように感じる」僕がそう答えると、斎藤さんは、ゴールを決めたサッカー選手のように両手を握りしめて「その通り!」と力強い声で言った。

聞いてみると、さきの職人さんも、斎藤さんのところへ教わりに来たとのことであった。

斎藤さんはドイツをはじめヨーロッパで、ハム・ソーセージのコンクールで賞をたくさん取っている。この分野のコンクールは音楽よりもはるかに信頼できる。流行の味という曖昧なものがないせいもあるだろうが、まず食は生に不可欠なもので、どんな人も深い関心を(本気で)よせることにも拠るだろう。

今回のタイトルで検索してみればいくらでも出てくる。ご本人のインタビューもすぐ見つかる。

通販でも注文ができるから、興味を持った人は購入してみれば、僕が大げさに書いたのではないことがお分かりだろう。もしも、あまり気に入らなかったという人がいたら一報ください。責任を持って食べてあげます。

このお店は去年、箱根に引っ越してしまい、斎藤さんや奥さん、娘さんと雑談する楽しみは奪われてしまった。残念だが仕方ない。

テレビ番組

2008年07月22日 | Weblog
僕はメンデルスゾーンが大変に好きである。

今書こうと思っていることは、しかしメンデルスゾーンの音楽についてではない。昔ドイツのテレビで見た番組についてである。

とはいうものの、もう僕の記憶には、それがどのような内容だったか、はっきりと残ってはいない。そもそも、僕はこの番組を冒頭から見たのであったか。テレビをつけたら偶然写っていたのではなかったか。

これは、フィンガルの洞穴を訪ねたメンデルスゾーンの旅程をふたたび辿って行く、という趣向だった。その詳細はすっかり忘れているが、そこには幸いなことにタレントもレポーターもいなかった。それだけでもヨーロッパのテレビ番組が日本のそれとは質が違うと言ってしまって良いくらいだ。

鮮明に覚えているのは、鉛色の海の上を、船が突き進んでいくだけの場面が続いていたこと。アングルは舳先が海水を切ってゆく様と、水脈とを交互に(といっても、決して頻繁にではなく)映し出す、ただそれだけである。

ナレーションは一言もなく、背景に「フィンガルの洞穴」序曲が流れていた。全曲、中断することなく流れていた。

音楽をバックグランドに流すこと自体は、なにも珍しいことではない。また、僕はそうした音楽の使い方を好ましく思っているわけではない。

しかし音楽のほうを主体に撮られた映像であっても、これは日本の放送でよく見られるけれど、演奏に、適当な美しそうな風景をあてがっただけで、僕はバックグランドより、はるかにいらいらする。名曲アルバムとかそういった類だ。

音楽と映像についての僕の否定的な見方にもかかわらず、僕が心を奪われたのは、映像が音楽の邪魔をしていない、じつに珍しい一場面だったからなのだと思う。

いや、そこではあの美しい曲が映像から直接出てきているようにすら感じられた。番組制作に携わったひとが「フィンガル」という作品に感動していることがよく伝わってきた、と言ったほうがよいかもしれない。

テレビが僕の生活の中に入ったのはかなり遅かったが、それでも何十年も経過している。この媒体の功罪をいろいろ言ってみても始まらないけれど、いずれにせよ、大変なインパクトの強さを持ってもいることは否定しようもない。

製作者は効果をより盛り上げようとあの手この手を尽くしている様子であるが、手を尽くしすぎて逆効果な場合が多い。

東ヨーロッパの共産国家が次々に崩壊し始めたころ、ポーランドで民衆が教会に通い始めたことを報じた映像は、実に印象深かった。薄暗く、霧が包み込んでいる、とある村の中に古びた教会が浮かび上がり、そこにつめかける押し黙った人の列だけが映し出された。ここでもバックグランドミュージックはなかった。小技に走ることが番組を盛り上げることだと、浅はかにも信奉している日本の番組だったら「沈める寺」でも流して白けさせたかもしれない。

でもこの映像は日本で見たはずだ。僕がいたころは、東欧の社会が崩壊するということは考えられもしなかったのだから。東ベルリンの喫茶店で、知人の東ドイツ人が政府を罵るのを聞いてもうっかり相槌を打つのもためらわれた。おとり捜査が日常だったからだ。

そうだ、日本で見たのに、あの映像にはバックミュージックはなかった。無音だった。人々が押し黙っている心がはっきり伝わる映像だった。それとも無音だったのは僕の記憶違いだろうか。あるいは僕の記憶どおり、配信されたものをただ流したものにすぎなかったのか。すべては遠い記憶になり、やがて忘れ去られる。

テレビの番組で心底感動することはほとんどないが、こうして幾つか印象に残ったものを挙げてみると、効果を狙ったものほど、テレビの力を表わせていないことが分かる。インパクトが強いだけに、いくらでもゆがめられるし、小技に頼りたくもなる。それが真実味を薄れさせる。

イギリスの自然番組などは落ち着きがあって、なんていうことはないのだが、気持ちがよい。風に吹かれて揺れる野の花が映し出される。聞こえてくるのはマイクにぶつかる風の音とミツバチのうなりだけ。そんな番組を思い出すと、自然にフィンガル紀行番組のことまで思い出す。


中田選手

2008年07月18日 | Weblog
サッカーの中田英寿選手について、デビュー当時から密着取材していた女性記者が書いた本を立ち読みした。

印象は変わらなかった。やっぱりそうだったのだ、と得心がいった。

この人はシャイな人懐こさをもった人なのだ。それは、彼が時折見せる笑顔で分かっていた。その上で、いわゆる日本人的なところが少ないのだ。

いわゆる、を付けないと日本人というのは分かりづらい人種なのだろうか。河上徹太郎さんの「日本のアウトサイダー」という本は非常に面白い。

アウトサイダーという語はインサイダーの対語としてある。河上さんは、中原中也、河上肇、内村鑑三らの評伝を通して(彼らをアウトサイダーに見立てて)日本のインサイダーを見抜こうと試みる。

そして、日本にはインサイダーと呼べるものがないのだという結論に至る。ちょうど土星の輪にあたるのがアウトサイダーならば、土星本体はすっぽりと抜け落ちて、周りを取り巻く輪に照らし出される空気とでも言おうか、それがインサイダーのような役目を果たしている、というのだ。

これは日本の特徴を非常に良く捉えていると思う。

左翼学者の論客丸山真男さんは、日本には保守がいない、と指摘する。これが日本の悲劇だと言うのだ。つまり、守るに足りるものがない、という意味だ。その点では、河上さんの論と同心円を描くと言ってよい。

中田選手は、判で押したような、何の意味もなく繰り返されるインタビューに、次第に批判的な態度を募らせていった。メディアは、これ幸いとばかり、ジコチューなる形容を与え、その言葉の範疇で彼を理解しようとした。いや、理解しようとしたことを演じた、と言うほうが日本の低級なメディアには相応しいか。

日本代表監督だったトルシェも彼を見損なったひとりである。トルシェはそもそも、日本を理解しようとしなかった。そこから中田選手への誤解が生じたと僕は思っている。

記者団に対しトルシェはこう語ったそうである。「フランス代表のジダンは本当にサッカーが好きな男だ。諸君がもし公園で彼を見かけ、一緒にサッカーをしよう、と誘ったらすぐさま応じるだろう。諸君が中田を見つけて、同じ声をかけたならば、彼はすぐさまマネージメントに電話をして、いくらでならプレーしてよいかを訊ねるだろう」

誤解自体は、よくある話だ。それについて中田選手は「それを聞いたとき、悲しかった」と言っている。こういう情緒を表す言葉を、彼は時折使う。その時の、気持ち自体は押さえ込んだような表情を見れば、この人を誤解することはないだろうに。

監督がジーコに代わったとき、代表からは引退しようと固く決意していたそうだ。ジーコはそれでも彼を選出した。

中田選手は、ジーコと直接話しをするためだけに帰国したという。そして、トルシェの誤解(正確にいえば、トルシェの中田理解だ)に、傷つけられたことも話した。ジーコは中田選手について、トルシェとはまったく違った見方をしていると言い、自分のチームには絶対に君が必要だと説いたそうだ。

直接話を聞くために、わざわざ帰国したというのがこの人らしい。もしも何かをしたり考えたりするには、伝聞などでは気がすまない、という気持ちなのだろう。

僕が中田選手を弁護したりする必要はない。嫌いな人がいても当然だ。ただ、中田的な(ついでに言っておく。私的には、という言い方をする人が多くなったでしょう、あれは僕的にはいやだな)正直さを持った人が浮き上がってしまうのがこの国の弱いところだと思う。

丸谷才一 日本語のために

2008年07月14日 | Weblog
この本は丸谷才一さんの若いときの(たぶん)国語教科書批判が主になった本である。現在も国語教育の状況はさして変化もないと思われる。丸谷さんの意見は大変正しいと思われるから、何度かに分けて(連続しないと思う。こういったきちんとした文章を紹介するには、それなりの気力も必要で、暇なときに書き足している、本ブログの手に負えるものではない。でも、黙っているには惜しいから、せめて読んでくれるきっかけをと思うのである)それに触れてみよう。まずひとつ紹介しておく。

子供に詩を作らせるな。

国語の教科書はあまりに文学趣味に偏っているではないか。これが丸谷さんの意見の集約である。僕もそのとおりだと思っている。

その文学趣味の先端に、子供に詩を作らせるという単元があるのだ。僕が生半可なことを言うよりも、丸谷さんの文章の一部を書き抜いておく。

 牛が水を飲んでいる。
 大きな腹をバケツの中につっこんで、ごくごくごく、がぶがぶ、でっかいはらを
 波打たせて、ひと息に飲んでしまった。

 と書いたのを、次のように直すという実例をあげている。(丸谷さんは旧仮名)
 「書こうとすることがらを、いっそうきわだたせるためには、このように、改行 のしかたや句とう点の打ち方など、書き表し方のくふうをすることがたいせつで ある」

 牛が水を飲んでいる。
 大きな顔を
 バケツの中につっこんで、
 ごくごくごく、
 がぶがぶ、
 でっかいはらを波打たせて、
 ひと息に飲んでしまった。

 「牛」という「詩」がこれでよくなったつもりらしいが、果たしてそうなのか。
 わたしの見たところでは、改作前も改作後もどちらも詩ではないし単なる文章と しては(別にどうと言うことはない代物だけれども)、手を入れないうちのほう が数等すぐれている。詩でなんかちっともないスケッチをいい加減に改行して

  中略

 もちろん、作文の練習というのは大事だろう。これにはじゅうぶん時間をかけ  て、丁寧な指導を受けることが望ましい。字も覚えるし、言葉や言いまわしの意 味もはっきりするし、筋道を立てた表現のし方も身について、いいことづくめだ からである。

中略

 文章がきちんと書ける子供なら、優れた詩をたくさん読ませれば、ごく自然に、 詩の真似ごとのようなものを書くことはあり得る。それはそれで結構である。そ
 のなかには本ものの詩を書く子供もごくまれに出るかもしれない。まことに結構
 な話だ。しかし百万人に一人の天才を得るために、日本中のあらゆる子供に対  し、インチキきわまる詩の作り方を教えねばならぬ道理があろうか。

   後略

以上、僕が付け加えることはない。以後改まったという話は聞かない。僕がこうしたことに深い関心を寄せるのは、僕たちは何を措いても日本語でものを考えるのである以上、日本語がどういう教え方をされているのか気にかかるからである。

子供たちの様子を見ると、達意の文章を書くどころか、はっきりした意見を持つことすら「禁止」されているように見える。

しかも教科書の文学趣味も、上記のようにいい加減なものだから、情緒めいたものにべったりと寄りかかり、それでいて情に薄いものばかりが増える。子供たちの文集を見て、その類型的な表現に接すると、新聞雑誌をはじめとするメディアが類型的なものの見方しかできないのも無理はない、と思えてくる。



落合さんの打撃理論

2008年07月04日 | Weblog
家族の買い物に付き合う。運転できるのが僕一人なので、暇なときは荷物を運ぶためだ。買い物を待つ間、書店で立ち読みするのが結構楽しい。

そんなときに見つけたのが現中日監督の落合さんのバッティング理論書である。落合さんなんていうと、早とちりの人は僕が面識あるのかと思うかもしれないが、そんなことはない。

落合選手というにはもうずいぶん前に引退したし、落合監督のバッティング理論というのも、監督として書かれた本ではないから、なんだかしっくりこない。それだけの理由である。

日本語はそういった点が難しい。でも裏を返せば面白い。ニュアンスに富んでいるともいえる。

ドストエフスキーのドイツ語訳を読んだことがあるが、今ひとつピンとこない。理由の筆頭は、言うまでもない、僕の語学力の不足だ。しかし、ロシア文学者の間では、ロシアの小説は日本語には適している、というのが定説だと聞いたことがある。細かいニュアンスを伝えるには、フランス語やドイツ語はうまくいかないということだった。

フランス語やドイツ語がニュアンスに乏しいということではない。間違えないように。あくまで、ロシアの小説を翻訳する場合の話である。ヨーロッパ系の言葉は、よく知らないけれど、曖昧な感じ、もやもやした得体の知れない感じを出すのは得意ではないような気がする。

ちょいと脱線したが、落合選手は非常に面白いキャラクターだった。僕がドイツから帰国したころが全盛期で、スポーツニュースやニュース番組のゲストでよく見かけた。

彼の打席での構えは、見たところ、力を抜いて、フラーッと立っているようで、バットがユラユラしているようでもあり、神主打法と呼ばれていた。

メディアは、面白おかしく、マイペースだの、才能だけでプレーする男だの、そんなことばかり報じていたような気がする。

さて、上記の本だが、これはこの人が非常に頭がよい人だということを示している。理路整然と打撃理論を説いている本は他にいくらでもあろう。僕が興味を持ったのは、常識になっているものを再吟味しようとする落合さんの意識の動きだ。

それはある時は常識の再確認になり、他の場合は常識の否定になる。

バッティングの基本はセンター返しといって、ピッチャーの投げた球をそのままその方向へ打ち返すことにある。落合さんはその理由を理路整然と解説する。だが、ここではそれには触れない。僕は野球選手ではないし、読む人も多分選手ではないと思うから。もし、読んでくださっているあなたがプロ野球選手だったら、一報願います。サインをねだりますから。

その上で、彼は球場の形が、センター方面へ長い理由は、この方面へが一番打球が飛ぶからではないか、と推論する。

こんなことはどうでも良いことだと一笑に付すこともできる。でも、小さな「なぜ」を育てない人に、立派な結果が伴うことはないだろう。音楽でも、常識になっていることをいったん問い直してみれば、なぜか分からぬことを、自分が言われたからという理由だけで、受け売りしている場合は多いのだ。多すぎると言ったほうがより実情に近いかもしれない。

常識に疑問を呈するほうの例をひとつだけ挙げておく。

打撃練習の中にトスバッティングというのがある。バッターのすぐそばにしゃがんだコーチや選手が、セカンドの守備位置あたりの角度からゆるい球をトスする。バッターはそれをセンター方向に打ち返す。見た人は、ああ、あれかとすぐ分かるだろう。

これは、何年にも亘って行われてきた基本練習のひとつだ。

これは止めたほうがよい、と落合さんは言う。上述のように、ピッチャー返し’センター方向へ打つこと)がバッティングの基本だが、トスバッティングでは、セカンドの守備位置の角度からきたボールを、センター方向に打つわけだ。すると、その時の体の使い方は、ピッチャーのボールをショートやサード方向に引っ張って打つ感じになり、基本を否定するものになりかねない。

なるほどと思う。もう何年ものあいだトスバッティングをしながら幾多の大打者が出たわけであるから、この練習方法を否定するのはなかなか難しいかもしれない。

だが、少なくとも落合さんはその練習なしで、不世出の大打者になった。これだけはいえると思う。あらゆることを疑って、自分自身の頭で考える人だからこそ、あれだけの成績を残したのだ。