以前、nifty を使っていたころ、ぜにさわコーヒー店について書いたことがある。
仕事が終わり夕食まで少し時間があるときに、ちょいと行って買い足しがてら話をするのが楽しい。
客はいったい何人くらいいるのか、よく知らないけれど、つぶれない程度にはいるのだろう。いつも誰かが話し込んでいて、まあ何杯もテイストさせてくれるのだから当然居座ることになるが、近場の人が多いというのではなさそうだ。車で2時間とかいう会話が耳に飛び込んできたりする。
世間話も耳に入るが、それは適当に聞き流す。ぜにさわさんがコーヒーのことを話し始めると目つき、声色が変わる。そこが面白い。
彼の話し振りから察すると、どうも日本には、コーヒー界というべきものまで存在するらしい。音楽界とかはなんとなく理解できていたが。つまり僕はそういうものとずいぶん隔たったところに住んでいるな、と実感することによってね。
それがコーヒー界ですよ。想像がつきますか?日本は広いね。いや、狭いのかな。この調子では紅茶界もありそうだし、フランス料理界は絶対ありそうだ。らっきょう界とかくさやの干物界なんていうのもあったりしてね。
そのコーヒー界での教えをことごとく疑っていかざるを得なかったと、ぜにさわさんは言う。
世界各地のコーヒー農場から送られてくるパンフレットには「バニラっぽさ」「オレンジの香り」「チョコレートっぽさ」という表現が数多くあるのに、日本の「コーヒー界」で教えられている焙煎に従うと絶対にそんな表現が出るはずがない香りになる、とぜにさわさんは言う。パンフレットを見せてもらうとなるほど、そのような文言が並んでいる。
日本での焙煎は、高温で爆ぜさせて(簡単に言えばポップコーンみたいにね)かさを大きくしていくが、これは豆の繊維を断ち切って壊すことになるし、焦げがついてコーヒー豆の本来の香りが、ぜんぶ消し去られてしまう。何だか僕が分かっているように書いているが、これはぜにさわさんの意見だよ。
そこで彼はまったく独力で焙煎を研究し始めた。自分の鼻だけが頼りで、そのうちに「コーヒー界」の教えとは正反対の焙煎をすれば、パンフレットにあるようなバニラっぽさ等を引き出すことが出来ると気づいたという。
彼の口からはレモンのような、なんていう言葉がポンポン飛び出してくる。この間なぞは、味噌汁のような、なんてただ聞いたら気持ち悪いように感じる言葉まで飛び出した。でも、この時のコーヒーは実に複雑で、お気に入りに追加したほどである。そして言われてみればたしかに味噌汁と相通じる味がほのかにするのだった。
感覚のある一点にピントを合わせる。この場合はすでに知っている味噌汁の味。これを探し求めるようにしていく。そうすると感じ取ることができやすい、という点はピアノの練習をしていて、漫然と聴くのではなく具体的に自分が聴きたい点にピントを合わせようと努めていくとはっきり聴き取れることと似ている。同じことだと言った方がよい。
焙煎に関して「コーヒー界」の教えに反していると非難も受けるらしいが、僕のような素人が幾人もいて、ぜにさわの味を支持するのだ。
「コーヒー界」では酸味をたてるな、と教わるらしい。ぜにさわさんは酸味がある豆はそれを引き立てるという。僕は以前、酸味のあるコーヒーが大嫌いだった。それが180度変わった。おもしろいことである。
価格がすべてです、とぜにさわさんは言う。たしかにそうで、高いものほど余韻がある。僕自身は低価格のものを選び抜いているぞ。その点の目は確かである。間違えたことがない。全体にアフリカ産が好みである。ミネラル分が多いのだそうだ。
仕事が終わり夕食まで少し時間があるときに、ちょいと行って買い足しがてら話をするのが楽しい。
客はいったい何人くらいいるのか、よく知らないけれど、つぶれない程度にはいるのだろう。いつも誰かが話し込んでいて、まあ何杯もテイストさせてくれるのだから当然居座ることになるが、近場の人が多いというのではなさそうだ。車で2時間とかいう会話が耳に飛び込んできたりする。
世間話も耳に入るが、それは適当に聞き流す。ぜにさわさんがコーヒーのことを話し始めると目つき、声色が変わる。そこが面白い。
彼の話し振りから察すると、どうも日本には、コーヒー界というべきものまで存在するらしい。音楽界とかはなんとなく理解できていたが。つまり僕はそういうものとずいぶん隔たったところに住んでいるな、と実感することによってね。
それがコーヒー界ですよ。想像がつきますか?日本は広いね。いや、狭いのかな。この調子では紅茶界もありそうだし、フランス料理界は絶対ありそうだ。らっきょう界とかくさやの干物界なんていうのもあったりしてね。
そのコーヒー界での教えをことごとく疑っていかざるを得なかったと、ぜにさわさんは言う。
世界各地のコーヒー農場から送られてくるパンフレットには「バニラっぽさ」「オレンジの香り」「チョコレートっぽさ」という表現が数多くあるのに、日本の「コーヒー界」で教えられている焙煎に従うと絶対にそんな表現が出るはずがない香りになる、とぜにさわさんは言う。パンフレットを見せてもらうとなるほど、そのような文言が並んでいる。
日本での焙煎は、高温で爆ぜさせて(簡単に言えばポップコーンみたいにね)かさを大きくしていくが、これは豆の繊維を断ち切って壊すことになるし、焦げがついてコーヒー豆の本来の香りが、ぜんぶ消し去られてしまう。何だか僕が分かっているように書いているが、これはぜにさわさんの意見だよ。
そこで彼はまったく独力で焙煎を研究し始めた。自分の鼻だけが頼りで、そのうちに「コーヒー界」の教えとは正反対の焙煎をすれば、パンフレットにあるようなバニラっぽさ等を引き出すことが出来ると気づいたという。
彼の口からはレモンのような、なんていう言葉がポンポン飛び出してくる。この間なぞは、味噌汁のような、なんてただ聞いたら気持ち悪いように感じる言葉まで飛び出した。でも、この時のコーヒーは実に複雑で、お気に入りに追加したほどである。そして言われてみればたしかに味噌汁と相通じる味がほのかにするのだった。
感覚のある一点にピントを合わせる。この場合はすでに知っている味噌汁の味。これを探し求めるようにしていく。そうすると感じ取ることができやすい、という点はピアノの練習をしていて、漫然と聴くのではなく具体的に自分が聴きたい点にピントを合わせようと努めていくとはっきり聴き取れることと似ている。同じことだと言った方がよい。
焙煎に関して「コーヒー界」の教えに反していると非難も受けるらしいが、僕のような素人が幾人もいて、ぜにさわの味を支持するのだ。
「コーヒー界」では酸味をたてるな、と教わるらしい。ぜにさわさんは酸味がある豆はそれを引き立てるという。僕は以前、酸味のあるコーヒーが大嫌いだった。それが180度変わった。おもしろいことである。
価格がすべてです、とぜにさわさんは言う。たしかにそうで、高いものほど余韻がある。僕自身は低価格のものを選び抜いているぞ。その点の目は確かである。間違えたことがない。全体にアフリカ産が好みである。ミネラル分が多いのだそうだ。