ルイガノ旅日記

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日本写真史を作った101人「私の1枚」~フジフィルム・フォトコレクション展

2020年07月12日 | 北九州
リバーウォーク5階の北九州市立美術館分館で開催中のフジフィルム・フォトコレクション「日本写真史をつくった101人」を観に行ってきました。
リバーウォークを構成する建物は、一見それぞれが独立しているかのように見えますが、商業施設部分に関しては各フロアが繋がっています。5階でエレベータを降りると、ミスティックコートの吹き抜けに面した空間からルーフガーデンを見通すことができます。


ルーフガーデンから見える小倉城。これも好きなアングルのひとつです。


この場所から右に目をやると、円錐を切り取ったようなミスティックコートの吹き抜けがそびえています。


アガパンサスが涼しげに咲いていました。



ルーフガーデンを通り抜けると、市立美術館分館の入口があります。入口で体温をチェックし、手を消毒してから入館しました。


フジフィルム・フォトコレクション展は、国内外で高く評価される日本人写真家101人の代表作を1点ずつ、年代別(+ネイチャーフォト部門)に区分して展示しています。写真撮影不可なので、リーフレットまたは展覧会の看板に掲載された写真を見ていきたいと思います。


木村伊兵衛「秋田おばこ」(1953年)
木村伊兵衛は1901年東京出身。日本の最も優れた写真家として、土門拳と双璧をなす木村伊兵衛ですが、ウィキペディアに興味深いエピソードが紹介してありました。「女優の高峰秀子が著書で『いつも洒落ていて、お茶を飲み話しながらいつの間にか撮り終えている木村伊兵衛と、人を被写体としてしか扱わず、ある撮影の時に京橋から新橋まで3往復もさせ、とことん突き詰めて撮るのだが、それでも何故か憎めない土門拳』と評している」そうです。
写真のモデルは柴田洋子さん。どことなく芯の強さを感じさせつつも、清楚で物静かな印象の秋田美人ですが、長年来の友人によると、「バレエをしたり、結構はきはきした人」で、結婚後はずっとロサンゼルスに住んでおられたそうです。


桑原史成「"生ける人形"とも言われた少女」<水俣>より(1966年)
1936年島根県津和野町出身の桑原史成は、日本を代表するフォトジャーナリストの一人です。大学及び専門学校を卒業した1960年、23歳の桑原は水俣病によって「生きることの自由を奪われ、廃人にされた患者、生活権を奪われ窮状の漁民の生活の記録」に焦点を絞って撮影に臨みました。展示されているのは、桑原のデビュー作であり、代表作ともなった「水俣」に収録された一枚で、もの言わぬ少女のまっすぐな瞳、長く美しいまつげに胸を打たれました。多くの被害者やその家族にとって写してほしくないという気持ちが強いなか、お互いの信頼関係がなければ決して撮影できなかった写真だと思います。


緑川洋一「瀬戸内海・島と灯台」1962年頃
緑川洋一は、1915年岡山県出身で本業は歯科医。故郷の眼前に広がる瀬戸内海の写真を撮り続けて、アマチュア写真家ながら内外から高い評価を受けました。
夕日を浴びて、複雑で微妙なグラデーションを見せる海を背景に浮かぶ島や舟、灯台のシルエット。「色彩の魔術師」とか「光の魔術師」と呼ばれたというのも頷ける作品です。撮影日和になると「臨時休診」の札を掲げ、歯科医院を休んで撮影に出かけることもしばしばあったそうです。


前田真三「麦秋鮮烈」1977年
前田真三は1922年東京都出身の写真家。上高地、奥三河、富良野(美瑛・上富良野)などの風景写真・山岳写真を数多く撮影しました。
この写真は、麦畑が広がる北海道美瑛の丘。暗く黒い夕立雲が垂れ込める中、落日間際の太陽が雲間から麦畑を照らし出した一瞬をとらえたもので、タイトルのとおり「鮮烈な」印象を与える作品です。


星野道夫「夕暮れの河を渡るカリブー」1988年頃
星野道夫は1952年千葉県出身。19歳のある日、星野道夫は古書店で手にした海外の写真集「ALASKA」に掲載されたエスキモーの村「シシュマレフ」の写真に魅せられます。矢も楯もたまらずその村の村長あてに出した手紙に、なんと半年後その返事が届きました。これを頼りにアラスカに渡った星野道夫は、夢にまで見たシシュマレフ村でひと夏を過ごします。このときの経験が、後の星野道夫が誕生する契機となりました。
星野道夫の1枚は、第15回木村伊兵衛賞を受賞した写真集『アラスカ―極北・生命の地図』の表紙を飾った写真です。
星野道夫は43歳で非業の死を遂げるまで、極北の自然とそこで生きる野生動物、人々の暮らしを撮り続け、私たちにメッセージを送り続けました。写真集だけではなく彼が残した多くの著作には、深い洞察力や瑞々しい感性、生きるものに対する限りない愛情が、惜しみなく注ぎ込まれているように感じます。写真家・探検家であるだけではなく、詩人だと私は思っています。



このほかにも印象に残る作品が多数展示されていましたので、写真はありませんが紹介したいと思います。
林忠彦「太宰治」(1946年)
山口県出身の林忠彦は、木村伊兵衛、土門拳、渡辺義雄などと並ぶ昭和を代表する写真家の一人。銀座の老舗バー ルパンで撮られたこの写真は、既に酔いのまわった太宰治から「おい、織田作(織田作之助)ばっかり撮ってないで、俺も撮れよ。」と言われて撮ったものだそうです。私たちがよく目にする太宰の、固く冷徹で古くさい写真では見ることができない、寛いで楽し気な、茶目っ気すら感じさせる1枚です。この2年後、太宰は劇的な入水自殺を遂げ、自らの人生に幕を引きました。
(写真は、「【林忠彦賞】の林忠彦が使用したカメラや作品・作風からプロフィールまで知り尽くす」で観ることができます)

奈良原一高「アメリカ・インディアン村の二つのゴミ缶」<消滅した時間>より(1972年)
1931年福岡県出身の奈良原一高は、日本のみならずヨーロッパやアメリカなど広く海外にも活動範囲を広げ、1972年にはModern Photography誌の「世界の32人の偉大な写真家」にも選ばれました。異次元の世界に踏み込んだようなこの写真は、撮影のためのセットではなく、街頭にあったゴミ缶を撮ったものだそうです。どこか現実離れした感覚に襲われる魅力的な写真でした。
(写真は、「写真家・奈良原一高の作品展『消滅した時間』が東京・赤坂で開催 - 戦後を描く約40点」で観ることができます)

長倉洋海「一人、山上で本を読む戦士マスード アフガニスタン」1983年
長倉洋海は1952年北海道釧路市生まれ。フォトジャーナリストとして世界の紛争地を渡り歩く中で、1983年からは、「パンジシールの獅子」と呼ばれ、ソ連やタリバンとの戦いを続けた司令官マスードと行動を共にし、マスードが亡くなるまで17年間にわたり友人として交流を続けました。マスードは生涯戦闘に明け暮れながらも、常に穏やかで誰にでも優しく接し、本や詩を読むことが大好きな敬虔なイスラム教徒だったそうです。つかの間の休息、山の斜面の草むらに寝転がって一心に本を読むマスード。その穏やかな人柄が伝わってくる一枚でした。
(写真は、「フォトジャーナリスト 長倉洋海の眼 地を這い、未来へ駆ける」で観ることができます)


北九州市立美術館分館の「フジフィルム・フォトコレクション~日本写真史をつくった101人『私の1枚』」は、会期が延長となり、7月26日まで開催されています。興味のある方はお出かけになってみてはいかがでしょうか。先日紹介したゼンリンミュージアムも同じリバーウォーク北九州ですので、一か所で美術館・博物館めぐりが楽しめますよ。またリバーウォークでは、ぜひ5階のルーフガーデンにも足を運んでみてください。ここから眺める小倉城もいい風情です。

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水俣 (tango)
2020-07-13 16:30:00
水俣:みなまた
とても興味ある地域です
中学1年生の時、今ほどみなまたのことについて
知られていないとき、社会科の試験に風土病と書き
(みなまた)とひらがなを書いて答案を出しました?
先生は知らず、わけがわからず質問されました。。。
それから後日、問題になりました!
ブログを見せていただくと写真の奥深さを知ります
良い写真を見られて心が豊かになられたことと思います!絵画より失敗が許されないので難しいと思う私です・・勝手な私の意見です(^^♪
構図は絵画と一緒でも難しいことがたくさんあるようですね?
返信する
re:水俣 (Duke)
2020-07-13 17:46:50
tangoさん、こんにちは (^-^)ゞ
私が小学生の頃、ずいぶん問題になっていました。
昨今、話題になることも少なくなりましたが、今も苦しんでいらっしゃる方がおられるそうですね。
まだ知れ渡っていない時期に「みなまた」と回答したtangoさん、若い頃から勉強家だったんですね ^_−☆

絵や写真の良し悪しは分かりませんが、何故か印象に残ったり、心惹かれたりするものってありますよね。
絵との違いの一つは、よりジャーナリズムと結びつきやすいので、撮る側の意図が明確に現れるような気がします。
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Unknown (K RAUM)
2020-07-13 22:59:57
2009年夏に博多で2泊しました。その時に国立博物館を訪れ、木を大胆に使った設計に驚きました。今またリバーウォークの建物の大胆な設計に見とれてしまいました。
評価の高い写真家の作品は実に美しいですね。水俣の少女の瞳の美しさに釘付けになりました。
「麦秋鮮烈」は絵画のような感じがしました。
九州というと博多付近中心の観光を考えてしまいましたが、北九州について教えていただき、九州行が実現で来たら是非リバーウォークにいきたくなりました。
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Unknown (Duke)
2020-07-14 03:20:09
K RAUMさん、おはようございます (^-^)ゞ
博多では九州国立博物館にも立ち寄られたんですね。
九博の建物は、外観・内装ともに魅力的ですよね。
私も行くたびに写真を撮りたくなります。
リバーウォークも斬新な設計ですね。
すぐ近くに小倉城があり、こちらも市民の散策スポットになっています。
水俣の少女、ハッとさせられる写真ですよね。
「麦秋鮮烈」も、仰るとおり一枚の絵を見ているようでした。(実物はもっときれいです)
機会があれば、北九州にも是非お立ち寄りください~♪
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