パラドクスの小匣

南原四郎、こと潮田文のブログです。

エレベーター遭難記(付・ガガ丸遭遇記)

2011-09-27 22:17:36 | Weblog
 エレベーターに閉じ込められてしまった。

 場所は、知人のY卓、いや、Y宅。

 二十歳半ばで事故のため車椅子生活者となり、そのためかどうか知らないが、お父さんが4階建てのビルをつくり、以来その一室で暮らしている。

 3階の、そのY宅を辞したのが夜九時過ぎ。

 近所のコンビニでデジカメのプリントをしたいので、手伝ってくれというので、二人で一緒にエレベーターに乗ったのだが、2階近辺で突然止まってしまった。

 もともと住宅用の小さなエレベーターで、車椅子と私だけでいっぱいいっぱいになる。

 身体をひねるスペースもない状態で、「緊急時にはこのボタンを押してください」とあるボタンを押し、エレベーター管理会社に連絡、3、40分でエンジニアが駆けつけてくれたが、どうしても必要なエレベーターの機械室の鍵を管理してるYのお母さんが入浴中で、電話をしてもつながらなかった。

 これなんかも、立派な「想定外」の事態だ。

 エンジニアがエレベーターの天井の上に降り立つと、エレベーターが揺れたり、ドアを開いたら腰のあたりにフロアがあったり、往年の名画「死刑台のエレベーター」を思い出したりした。

 いい映画だったなあ、本当に。

 さて、そんなこんなで一時間あまりで、我々は「救出」されたのだったが、Yは、もうプリントなんかあきらめたかと思ったら「行く」という。

 普通の人だったらいい。

 でもYは車椅子なのだ。

 コンビニで用を済ませて戻ってきたら、また故障で動かないなんてことになったら、普通だったら非常階段を使えばいいが、車椅子ではどうしようもない。

 だからプリントはまた別の日にと思っていたら、「行く」というのだ。

 エンジニアに、自分は、このビルの住人ではなく、用事が終わったら帰るのだが、エレベーターは確実に直っているか?と尋ねると「たぶん、大丈夫」とニコニコ笑いながら言う。

 「たぶん、だってよ」とYの横顔を見ると、どうしても今日中に行く気分満々の顔をしている。

 しょうがないので、車椅子を押して5分ばかりのところにあるコンビニへ行った。

 そもそもデジカメなんか使ったことがなく、Yも撮るだけ撮ったあとは、写真屋でプリントしてもらっていたそうだが、その写真屋がつぶれ、コンビニでやるしかなくなったが、コンビニの機械を使ったことはないのだそうだ。

 自分の写真ならともかく、他人の写真なんで熱意がないことおびたたしいまま、コンビニでぶらぶらしていると、突然、大相撲秋場所で大活躍した「ガガ丸」がやってきた。(Yのビルは両国にあるのだ。)

 エレベーターが故障したのはちょうど日曜日、つまり相撲が終わったばかりで、今場所好調のガガ丸は、さぞや「喜色満面」……と思いきや、思いっきりブスッとした顔でジュースかなにかを買っていた。

 空色の浴衣を着て、背はそんなに高くなく、199キロの体重もそんなにあるように見えなかった。

 今場所好調を反映して、体全体が締まっていたのかもしれない。

 コンビニのプリント操作に手間どり、店員に聞いたりなんかしたので、予想外に時間がかかったが、「そろそろ電車がなくなるので、オレは帰るぞ」とYに告げ、西川口に戻り、テレビを見ると、ガガ丸は敢闘賞だった!

 それも、三日続けての黒星の後、千秋楽で勝利し、喜びのあまり勝ち名乗りを受けるのを忘れるほどの喜びよう。

 なんだったんだ、さっき見たあの「仏頂面」は?

 まあ、これもなんかの縁だし、これからガガ丸のファンになるかな。

 しかし、それにしても、夜九時過ぎにエレベーターに閉じ込められたときには、午前零時過ぎとはいえ、その日のうちに帰って大相撲ダイジェストを見れるなんて思ってもみなかった。

 昔、三島由紀夫が東大全共闘との討論会で「行動」の利点を「時間がかからないこと」と言っていたことを思い出した。

 逆に言うと「ああでもない、こうでもない」と「考える」ことは、とても時間がかかることなのだ。

 でも「作家」って、そういう「時間がかかること」をする人でしょ……と思うのだが、三島は「そんな仕事にはあきた」と言っていた。

 しかし、実際には最後(と思っていた)の作品を書き上げ、することがなくなったと思ったのかもしれない。

 でも、それはそう「思った」のであって、「思った」こと自体、すなわち「作品を書くこと」は、未然の出来事として「未来」に属するのであって……うーん、最近、ウィトゲンシュタインの「青色本」を読書中で、頭が混乱中です。

 まとまったら、また。