パラドクスの小匣

南原四郎、こと潮田文のブログです。

「事実」を見よ!

2011-09-16 22:36:03 | Weblog
 生活保護受給者が近年激増していることについて、今(9月16日午後10時)、NHKでやっているが、働く能力がある人に生活保護を与えるのは、ダメという2chなみの過激な意見を吐く学習院の鈴木教授と、まず雇用が必要だと言う湯浅誠が意見を述べ、NHKは「働くことが人間の尊厳を与えるのだ」と、ぬかす。

 その前に、まず、事実を見よ、と私は言いたい。

 生活保護の国際比較はなかなか難しい問題だが、生活保護費用の対GDP比で言うと以下の通り。

 イギリスは4%、フランス、ドイツは2%、アメリカは4%、日本は、わずか0.2%。

 受給者数の対総人口比については、イギリス16%、フランス2%、ドイツ5%、アメリカ10%、そして日本は、これまた、わずか0.7%だ。

 生活保護の受給額こそ、日本はかなり高いが、これには交通費を含む公共料金、食費など、生活費が日本は高いという事情がある。

 今年の春だったか、アメリカのフロリダ州が、日本の新幹線をいったん導入決定したものの、その後、拒否したが、これは「運賃、高すぎ!」というのが理由だった。

 中国が新幹線をどんどん作ろうとしているが、それは、今後増えるであろう、金持ち層がお客になってくれるという見込みがあるからだ。

 かつて、高度成長を前に、新幹線を建設した日本がそうであったようにね。

 ちなみに、日本の生活保護費は月12万6千円。

 食費、交通費、公共料金の現状を考えれば、適当と言っていいだろう。

 逆に言うと、よく言われるが、年金支給額が6万6千円と生活保護の半額程度でしかないというのが問題だ。

 それで年金制度の国際比較なのだが、イギリスの場合、日本の国民年金に相当する、自営業者が負担する掛け金は、月1600円。

 安ッ!である。

 対する、日本は1万6000円!

 「高ッ!」だ。

 イギリスの場合、44年間すべて払うと、満額で月6万4000円もらえるのだそうで、これは日本とあまり変わりないが、掛け金が1600円だからねえ…。

 日本の場合は、40年間、欠けることなくすべて払えば満額受給(6万6千円)となるが、最低25年払わないと受給資格はまったくない。

 イギリスの場合、最低11年間払うと受給資格が生じる。(44年に達していないと、受給額は減らされる。ただし、まったく払っていない場合でも、救済制度はあったはず。確か、80歳以上だと無条件で老齢年金がもらえるとか、そんな感じだった。)

 いずれにせよ、イギリスにおける年金支給額の「実態」は、平均月額7万4千円で、満額支給の場合の支給額、6万4千円を上回っている。

 対する日本の平均支給額の「実態」は、満額支給の6万6千円を下回る5万4000円だそうだ。

 25年以上、毎月1万6千円とられて、5万4000円!

 ちなみに、健康保険がないと評判の悪いアメリカの医療制度だが、低所得者向けのメディケイドと高年齢者向けのメディケアを併せると国家予算の16%が医療費に割かれている。

 対する日本は、国家予算に占める医療費は、ゼロ!

 なんでゼロかというと、日本の健康保険は、発案者である厚生省自身が認めているのだが、被保険者の保険料でまかなう「頼母子講形式」なので、国家予算(税収入)には頼っていないわけだ。

 もちろん「そんなこんなの結果」、ヨーロッパ、そしてアメリカは未曾有の財政危機に陥っているわけで、財務当局としては、なんとしてでもこれらの「事実」を日本国民に知らせたくないと思っているにちがいない。

 もし、日本国民が知ってしまったら、日本国民は「欧米並みにしてくれ」と言いだしかねない。

 民主党政権の樹立は、そうなる可能性をうかがわせるものであり、もし本当にそうなったら、まさに「破綻」が現実になるというわけだ。

 逆に言うと、日本は、今書いたような、「そんなこんなの結果」、実際は財務当局が言うような「破綻の危機」なんかではないのだが、でも、手強い小沢が政権を掌握すると、どうなるかわからない。

 そんな折しも、遅い来った未曾有の大津波!

 これぞ、カミカゼと欣喜雀躍した財務省の小役人ども。

 「一つになれ日本」、「絆が大事」と、現体制守護(実際は、特別会計制度の守護)の大キャンペーンを展開、NHKも「御説ご尤も」とばかり、口裏をあわせているわけだ。

 民放?

 民放は、な~んにも考えていない。

チャンチャンチャンチャン、チャカチャカチャカチャンチャ~ン

2011-09-16 01:09:43 | Weblog
 暑い。

 運動会の練習中に熱中症で倒れる小中学生が続出らしいが、校長らしき人物がテレビで「本番では熱中症対策に配慮して…」とか言っていたが、天気予報で「本番」当日に猛暑が予想されるようなら、延期すればいいではないか。

 そもそも、夏休みが終わって新学期が再開されて間もない、今、「残暑」が厳しいことは想定済みのはず。

 「想定外の暑さで…」とは言わせない。

 何が何でも、決めたスケジュールは厳密に実施する、という官僚的思考は、もういい加減やめたらどうか。

 「運動会」自体は、悪くないと思う。

 いや、大好きだった、小学校の2年生までは。

 それが、突如、3年になってから運動会のあり方が変わってしまった。

 2年生までは、親がお弁当を作ってくれて、それを、狭い校庭だったが、みんなで食べたのだった。

 のり巻きとか、おにぎり等を。

 それが、3年生か、4年生になったとき、「中止」になり、家族たちはいったん家に食事に帰り、子供たちは教室でいつもの通りの給食を食べたのだった。

 また、あわせて、一等賞、二等賞等の賞品授与式もなくなってしまった。

 私は運動神経があまりよいとは言えず、3等に入ることもなかったので、「賞品授与」の栄に預かることもなかったのだが、3年生以後、参加賞として鉛筆を一本、全部終わってから教室でもらったように思う。

 ともかく、そういうわけで、小学校後半期の運動会は、全然面白くも何ともなかった。

 「興奮」がなくなってしまったのだ。

 中学生になると、環境も変わり、体格的にも大きくなるので、それなりの「興奮」を味わった。

 いや、「再現」したというべきか。

 ボルトが失格した先月の世界陸上なんか、まさに、「運動会」以外の何ものでもない。

 特に、最後に行われる「400メートルリレー」は、見ていると、運動会に決まって流れるクラシック音楽が私の頭の中で流れてしまう。

 「チャンチャンチャンチャン、チャカチャカチャカチャンチャ~ン」

 それにつけても、と私は思うのだ。

 今、東京が再びオリンピックに立候補している。

 たぶん、震災後という同情票を集めて、開催決定になると思うのだが、そうなると「決めたスケジュールは厳密に実施する官僚的思考」が猛威を振るうことになるのだろう。

 そう思うと、ニッポン(東京)は、オリンピックを開催する場として選ばれて欲しくないとすら思ってしまう。

 少なくとも、日本が今のまま、「頑張れニッポン」を合い言葉にオリンピックを開催しようとする限り。

 この辺の理屈のつながりは、今少し、はっきりしないんだけれど、少なくとも、「なでしこジャパン」について、あるいは「侍ジャパン」について、私はごく自然な気持ちで、「勝ってほしい」とは思うけれど、それは東北の災難とは関係ない。

 それにしても、「元気を与えたい」と言い、言われたほうは、「元気をもらいました」と言い、これで「会話」が成り立っているのが不思議である。