パラドクスの小匣

南原四郎、こと潮田文のブログです。

「救貧ではなく、防貧を」から「妨貧ではなく、救貧を」へ

2010-08-04 18:41:23 | Weblog
 国会中継を見ていたら、菅総理がこう言っていた。

 「我が国はかつては年齢が上がると賃金も上がりました。しかし、今は必ずしもそうではなくなった。例えば年収400万円の人は、ずっと400万円のままかもしれない。そうすると、子供が大学に進むくらいの年齢になっても学費を払えないかもしれない。ですので、本当は大学の学費も無料化すべきなのですが、とりあえず高校までを完全に無料化しよう、そう考えたわけです。」

 一見まともな発言に見えるが、これは、年功序列型の賃金体系が一番合理的なのだが、それがうまくいかなくなったので、その埋め合わせの一環として学費無償化を考えた、ということなのだ。

 つまり、自分たちの考えたシステムを最良とする、役人の立場に配慮した、というか、そういう役人に言いくるめられているのだ。

 前にも書いたけれど、日本の社会保障政策の根本は、「貧乏人を救う」のではなく、「貧乏人を出さない」ことにある。

 貧乏人がいなければ、貧乏人を救う必要もない。

 というのは、極端だが、日本社会が完全に中流化すれば、貧乏人は「そのほんの一部」ということになって、対処も簡単だ。

 これが、「一億総中流社会」であり、このスローガンはマスコミがつくったのではなく、役人が、あるべき社会の姿としてつくったのだ。

 そしてそれは、一時期実現した。

 そう役人は信じているので、今でも、「是正」でオーケーと考えているのだ。

 欧米では生活保護を受けている世帯は、全世帯の10数パーセント以上あるのが普通らしいのだが、そう言うと日本の役人は、そんな社会にしたいのですかと言うだろう。

 日本の生活保護率が全世帯の1、2パーセントであること(正確には忘れたが、極端に低い)は、日本は相対的にいい社会であることを示しているのだ。

 「ね、おわかりですか、菅総理。日本はいい社会なのです。これを崩しては絶対になりません。そのためには、財政再建が絶対に必要なのです」と言われて、「なるほど!」と納得したわけだ。菅総理は。

 「救貧ではなく、防貧を」、という役人の知られざるスローガンを撤回させ、「妨貧ではなく、救貧を」でなければならないのだ。

 だいたい、「救貧」は一発変換できるが、「妨貧」は、一発変換できない。

 貧乏人のいない社会なんて、役人の空想に過ぎないのだ。