パラドクスの小匣

南原四郎、こと潮田文のブログです。

さすがニーチェ

2010-05-27 15:03:21 | Weblog
 『ニーチェ哲学の基礎』(ジョージ・スタック著)という本をぱらぱらと拾い読みをしていたら、面白いことが書かれていた。

 ニーチェは周知の通り、もともとギリシャ古典を専門とする文献学者だが、その彼が言うには、アレクサンダー大王が創始したことで有名なアレクサンドリア文明が、人類の存続をかけた、まさにるかそるかの一大分岐点だったのだそうだ。

 なぜかというと、この頃、人類は自らを破壊することのできる力を蓄えるに至ったのだが、この頃に現れたソクラテスが、もしそれを放恣に使うがままにしていたら、自らを滅ぼすになるであろう「人間の知力」というものを、人間自身が存続しうるように使う術を教えた。

 それは、具体的に言うと、例えばアルタミラの洞窟の絵に見られるような、人間に固有の「芸術的能力」(自然を模倣する能力)が、「宗教」と「科学」に向かって発展し得るものであることを、ソクラテスは人々に教えた。

 なるほど、さすがニーチェ、考えることのスケールがちがう。

 実際に古代文明はアレキサンドリア文明を最後に壊滅するが、ソクラテスとともにはじまった「知の蓄積」に向かう運動が存続したおかげで、その後にやってきた中世の暗黒を乗り越え、今日に至った。

 もし、それがなかったら、アレキサンドリア文明の完成へと向かった「すべての力」は、「野蛮な利己主義」に誘導されて、世界殲滅戦争になだれ込んだだろうと。(実際、新約聖書はそれをヨハネの黙示録として予言…実は期待していた節があるのだが)

 もっとも、それを乗り越えることができたのも、実際には一部の賢人による導きによるもので、人間自身はあまり賢くなっているわけではなく、ことあるごとに原始的な行動様式に戻ろうとするものだとニーチェは警告する。

 パニック映画によくある場面だ。

 このままでは全員あぶないという危機に陥った集団で、「お前らみたいな臆病で弱い奴らの犠牲になるのはまっぴらだ。オレはオレで一人で生き延びるぜ」と荒海に飛び込んでサメに食べられちゃうというパターン。

 こういうのはわかりやすくていいのだが、実際には、例えば地球温暖化問題とか、核問題とか、知らず知らずに「原始的な行動様式」に戻ることで問題を解決しようとしがちだ。

 釈迦とかキリストといった人は、古代文明が自ら滅亡してゆく有様をじっと見つめ、もはや人類は新しく生まれ変わらねば生き延びることができないということを、実感していたのかもしれない。

 う~ん、さすがニーチェだ。

 スケールがでかい。