パラドクスの小匣

南原四郎、こと潮田文のブログです。

埼京線なんて、嫌いだ

2009-06-05 15:02:58 | Weblog
 大宮のM氏と久しぶりに会う。

 新宿駅の新南口の改札口で待ち合わせたのだが、いない。

 南口と間違えたのかと思い、そちらを探してみたが、南口の改札口は複数が漠然と展開していれ、探しても無駄と思い、元の新南口に戻ったが、その途中、サザンテラス口とかなんとか言う、小さな改札口が「新南口」としてあることに気がつき、そっちに寄ってみようかと思ったが、まさかあんなちっちゃなところで待っているわけがないと思って,立ち寄ることをやめて、いわゆる「新南口」近辺をさまよった。

 しかし、依然現れないので,いったん事務所に戻り、そこからM氏の携帯に電話することにした。

 私は携帯を持っていれば、その場で連絡できるのだが、あいにく,全然使わないので数ヶ月前に契約解除してしまったのだった。

 それで、事務所から改めて電話をすると,な、なんと、サザンテラス口で1時間近く待っているという!

 駅員にでも、新南口は他にあるか?と聞いてくれれば,普通,新宿の新南口というと、高島屋よりの大きな改札口をさすことは、すぐにわかったと思うのだが、まあ、今更押し問答をしてもしょうがない。

 ともかく、1時間以上かかって、なんとかかんとかM氏と落ちあい、新宿末広の隣の「どんじゃか」でどんじゃか名物の「ジュージュー焼き」を久しぶりで食べる。

 M氏は、ハンバーグとビール。

 韓国人らしきウェイトレスが、「ライスはつけますか?」と聞くと,M氏、ライスなんかとんでもない!といった感じで手を振った。

 なるほどねえ。「どんじゃか」に入る前、焼き肉屋に入りたそうな素振りだった。

 相変わらずの飲んべえである。

 「水滸伝」を読むと、飲んべえは皆「肉をくらいながら、酒を飲む」。

 肉は酒のつまみという以上の、何かなんだろう。

 そこで、うまそうにビールを飲みながらハンバーグをつついているM氏に、「酒好きな人は、酒が美味しいから酒を飲むのですか? それとも酔っぱらうために飲むのですか? 私は飲んべえじゃないので,それがわからない」と以前から抱いている疑問をぶつけてみた。

 するとM氏曰く、「ビールなんかは純粋に美味しいから飲みます」

 という。つまり、苦い清涼飲料水という感じなのだろう。

 なるほど。

 「でも、酔っぱらいたいために飲むときもあります。そういうときはウィスキーとか焼酎のような強いのを飲む。」

 ほーほー,なるほどね。

 単純なことだったのだ。

 その後、ビールを一本空にしたM氏は、ウーロンハイを注文した。

 話は再び南口の件に。

 「ぼくも、サザンテラス口というのがあるのは知っていたけど、あんな臨時改札口のような小さいところで待っているとは、まさか思ってなかったんですよ。」

 「私は、新南口で降りるのは今回がはじめてだったんですよ。だから、前の人の流れについていったら、サザンテラス口に出てしまったんです。」

 たしかに、サザンテラス口で降りる人は少ないが,他の路線に向かうために、サザンテラス口の脇を抜けて行く人は、新南口で降りる人より多い。

 「はじめてだったら、しょうがないかもしれませんね。でも、Mさん、赤羽に住んでいるんでしょ? 埼京線は使わないんですか?」

 「埼京線,嫌いなんですよ」

 出た!

 相変わらずMさん、無神経だ。

 私、その埼京線を毎日使っているんですど。

 別に、毎日使っているから埼京線に愛着があるなんてことはないが、たとえば物心ついてからずっと使っている小田急線を「あれ、嫌いでね」とか言われたら、正直、もし私が子供だったらすごく傷つく。

 大人でも,ちょっと「むっ」とするだろう。

 実際,ちょっと「むっ」としたが、その後、Mさんが今住んでいるアパートの大家から、つい前日手紙が届いて,建物が老朽化し、建て替えることにしたので今年いっぱいで出てくれという手紙が届いたという話になった。

 いかにも、オレって運が悪いという私に訴えるような顔をしているが、とんでもない。なんたるラッキーチャンス!ではないか。

 「そりゃあ、チャンスですよ。今のアパートの家賃から考えて,引っ越し費用として,少なくとも30万円、いや50万円はもらえますよ」

 と言いながら、Mさんを見ると、Mさんは、口を開け、眼を斜め上方に泳がせている。

 要するに「呆然」とした表情でなにも答えない。

 やばい、この表情になると、Mさんは、人の話を聞くモードに入っていない。

 「実は,大家からは去年の暮れ頃に直接建て替えるから出てくれ、って言われたんですよ。でもそのとき、私は急にいわれても無理だと答えたんですが,それで、今回、年内いっぱいに出てくれと言ってきたと思うのです。」

 という。つまり、今年いっぱいという時間を稼ぐことができたのは,自分が「急には無理だ」と抵抗したからで,それは「私のお手柄」なのだ、と言いたいのだ。

 「大家さんの通告書には、六ヶ月後には明け渡してくれと書いてあるだけで、金のことはなにも書いてない。でもそれは、金のことを書くとやぶ蛇になるので,店子から言われるまでは黙っているつもりなんですよ。要するに、敷金を返して,さあ、これでおしまいです、って言いたいんです。絶対にそんなの受け取って満足しちゃいけませんよ。大家の勝手な都合でン十万円払わされることになるのだから,それは絶対に大家に請求しなければだめですよ。」

 と口を酸っぱくして言ったのだが、Mさんは、「あーあー」と空返事で,最後に「まあ相談してみますよ」とだけ答え、夜の新宿に消えていったのだった。

 ところで、なんでMさんに会ったかというと、立場逆転、実はMさんにお金を借りたのだった。

 まあ,ほんの少しではあるのだが、「情は人のためならず」ってのはこのことである。

 

冷静に…

2009-06-03 19:51:10 | Weblog
 免許取得後間もなく、交差点事故で看護婦を3人はねて死なせてしまった件で、その看護婦の知人が、加害者が未成年だからといって罪を軽くしないでほしいと言ったそうだが、これはどういうことだろう。

 尼崎だったかJR脱線事故で百数十人の死者を出したとき、被害者の従兄弟だかが、JR攻撃の先頭に立っていたことを思い出した。

 はっきり言って、無責任に騒いでいるようにしか思えない。

 それはともかく、いっぺんに3人も死んでしまったことは大きなことだが、報道記事を見る限り、これはもう、「運が悪かった」としか言いようがないケースだ。

 その看護婦の知人とやらが、明日、その加害者になってしまうかもしれない。

 そういうケースだ。

 飲酒運転だって、つきつめて考えれば、そういうことになる。

 私は酒を飲めないし、免許を持ってないし,その前に車を持ってないので、飲酒運転で事故を起こす可能性はゼロだが、はっきり言って、酒を飲んだら必ず事故を起こすというものではない。

 飲酒運転は殺人に等しいという。

 そんなわけはない。

 飲酒運転をしたら、それは「人を殺しても構わない」と思って運転しているのだ、などとは法律家ならさすがに言えないはずだ。

 それは、まさに「言葉のあや」にすぎない。

 酒酔い運転で乗用車に追突して赤ん坊を死なせてしまった男性に懲役20年の判決が出て、傍聴席が静まり返ったと報道されていたが、世論は「厳罰を」と主張しているが、いざとなると、やはり「息を呑む」。

 「殺人に等しい」というのは、「言葉のあや」で、感情論にすぎないことを自ら思い知る。

 書いたように,私は下戸なんで、「飲んべえ」の心理はまったくわからないのだが、大宮のMさんに余ったビール券を差し上げた時のMさんの喜びようを見て思うに、飲酒運転の根絶なんて無理だ。

 飲んべえで車を運転する人だったら,酒を飲んで運転をしたことのない人はおそらくいないだろう。

 飲んべえと言っても程度があるが、仮にMさんを基準に考えるなら、もしMさんが金持ちで車を持っていたら、確実にそう言えると思う。

 たまたまだろうが、長期の禁固刑がくだされた飲酒運転事故の犠牲者は赤ん坊か幼児だ。

 で,新聞記事なんかには、燃える車内から「あちゅいよー」と泣き叫ぶ声がしたとか書いてある。

 可哀想だとは思うが,はっきり言って「運が悪い」としか言いようがないのだ、こればかりは。

 もちろん、だから酒飲み運転はしょうがないのだ、というわけではない。

 立っていられないほどの酩酊状態で子供を3人死なせたダンプの運転手が禁錮23年というのは,妥当だと思うけれど、あくまでもこれは、刑法上は異例というか、本来邪道である、「見せしめ刑」だということを念頭においておくべきだと思うのだ。

 さもないと、すべてが「復讐感情」で覆われてしまう。

 ところが、今の日本では、為政者が、この民衆の復讐感情を利用して暴走している。

 あのねのねの原田が、知人で銃砲許可証を持っている人から猟銃を手渡され、「ほう,重いもんですなー」とラジオ番組で発言したことで、6秒間の「銃砲不法所持」とみなされ送検されたそうだ。

 アホすぎる,警察。

 殺人犯人を捕まえるよりも,たとえ、6秒間でも「銃砲不法所持」を見逃さない方が大事だとでも思ってるのか。

 コントで「はい、あんた不法所持、6秒!」とかやったら、なかなか面白いだろうと思うが、やったら、「不謹慎!」とかでねじ込んできかねない。

 戦前の「思想警察」が復活したような気がする。

 ヤバすぎる警察。