パラドクスの小匣

南原四郎、こと潮田文のブログです。

喧嘩両成敗?

2009-06-13 19:41:49 | Weblog
 埼京線で目の前に座っている若い男性が、文庫本を読んでいる。

 どこかで見覚えのある表紙だったので、失礼して、ちょっと眼を凝らしてみたら、『ドグラマグラ』だった。

 私は、『ドグラマグラ』は途中で挫折したが、まあ、はっきり言って、「読むだけ無駄」というたぐいの本ではないのかな。

 途中で挫折した身でこんなことを言うのはなんなんだが、同じ読むなら、久生十蘭の『魔都』の方が、「読む価値あり」だと思う。

 少なくとも、舞台が今をときめく「アカサカサカス」近辺だし。

 そういえば、一週間ほど前、同じ埼京線で、赤ら顔でがっしりとした体格のいかにもアメリカのワーキングクラスといった雰囲気の白人男性が「日刊スポーツ」をひろげ、顔を突っ込むようにして読んでいた。

 2年くらい前には、京浜東北線の中で、若い黒人男性が新潮社の「日本近代小説全集」の正宗白鳥集かなにかを読んでいるところを見たことがある。

 いろいろだ。

 
 鳩山邦夫が辞任というか、更迭された。

 これで鳩山は男を上げたような格好だ。

 しかし、2万円で買った簡保の宿を6000万円で転売したからといって、2万円の値札が不当だったとは言えないだろう。

 そもそも6000万円で買った人は、その物件の仕入れ値が2万円だったことなんか知らず、「これなら6000万円出す価値がある」と本人が価値判断したのである。

 6000万円で買った物件の仕入れ値が2万円だったことを後で知って、「不当な値づけだ」と騒ぐことはできないし、実際、この件はいろいろ話題になりながら、肝心の6000万円で買った本人が文句を言ったなんて話は聞かない。

 この件でいろいろ文句を言っている奴は、ほぼ共通して、「簡保の宿をつくったのは旧郵政省であり、建設費用は郵便特別会計あたりから出ているのだろう。ということは税金でつくったにほぼ等しいのであり、だとしたら、オレだって簡保の宿売却に関して利害関係があり、文句を言う資格がある」という。

 こういう「屁理屈」を振りかざす連中に限って、「自己責任」をいい募る。

 こういう心の狭い連中を「言語空間」から閉め出すにはどうしたらいいのか、と最近よく考えるのだが、要するに「開かれた論議」が必要なのだ。

 「閉め出す」なんて言うと聞こえが悪いが、「真のリーダー」がいるとしたら、そういう人は、「議論をミスリードする議論」をいち早く見いだし、その「悪しき芽」を摘むことが仕事なのだと思う。

 谷川なんとかという参院自民党の幹部か何かが、「日本には喧嘩両成敗といううまいやり方が昔からあるんだから、それを使えばいいんだよ」とか言っていたが、まったくとんでもないことを言うじじいだ。

 まあ、昔の政治家なんかみんなそうだったのだが。

 しかし、そう考えると、麻生が鳩山を更迭したことは正しいのだが、麻生はそうしないと自分の地位を保全できないのでそうしただけで、実際には、もうほとんど「思考能力」を失っている、とテレビで顔を見ると思う。