前にも触れたが、今、「アート・オブ・ガマン」という展覧会が上野で開かれている。
前の戦争中、日系アメリカ人、数万人が収容所に入れられたが、そのときに身の回りの品々で作った日用品や嗜好品を展示した展覧会を日本にもってきたもので、「尊厳の芸術」と訳されているが、本質は「アート・オブ・ガマン」、「我慢の芸術」こそ言い得て妙であると、前回強調したのだが、今回、脚本家の倉本聡がコメンテーターか何かで出ていて、面白いことを言っていた。
曰く「自分はプロの脚本家だけれど,彼らの仕事を見ると、プロとは何か,アマとは何かと考えてしまう」と。
もちろん、彼ら、収容所に入れられた人々は,プロの指物師ではないし,画家でも、彫刻家でもないから、アマということになる。
しかし直感的に思ったことは、そう見えるのは外見だけで,実際は、彼らこそプロの指物師であり,画家であり、彫刻家なのだ。
しかしそれは、必ずしもいい意味ばかりではない。
彼らは「我慢のプロ」、すなわち「奴隷の末裔」という意味で,プロなのだ。
なんでこんなへそ曲がりなことを考えたのかというと、「アート・オブ・ガマン」は、Eテレの「日曜美術館」で見たのだが,その後、ローレン・マゼール指揮の、ワーグナー「ニーベルンゲンの騎士」が流れ、ニーチェのことを連想してしまったのだ。
周知の通り,ニーチェは若い頃は熱狂的なワーグナーファンだったが、その後、ワ-グナー批判に転じた。
その解釈、理由については様々だと思うけれど、私は,ニーチェはワーグナーの芸術を「アート・オブ・ガマン」の極致と見たのではないかと思う。
じゃあ、アマチュアとは何かというと、どうしても古代ギリシャの、生活は奴隷にまかせ、自分は政治や芸術や学問に没頭した「自由市民」たちをイメージしてしまうが、「アート・オブ・ガマン」の両面性を常に意識して,その上に立つこと、ぐらいしかわからない。
倉本聡は、「彼ら(収容された日系人)には時間が無限にあったから」みたいなことを言っていて、そのとき、なんか「ひらめいた」ような気がしたのだが,竜頭蛇尾でした。
プーシキンの「スペードの女王」,読了。
といっても、ごくごく短編なのだが、ものすごく面白い。
ゲルマンという賭博好きの将校が主人公で、90近い老いた伯爵夫人がカード賭博に勝利する秘密の数字を知っていることを聞き、その居間に忍び込んで、ピストルで脅して、その数字を教えろと迫る。
貴婦人は,びっくりして死んでしまう。
その数日後、葬儀の後、ゲルマンが自室で、良心に脅かされつつ,苦悶していると、その伯爵夫人が現れ、「自分の意志で来たのではないが、尊い人に言われてきた」と言って,秘密の数字「3,7、1」を教わる。
ゲルマンは勇んで賭博場に赴き、カード賭博で、二日連続で大金を稼ぐ。
教えた数字は一回しか使えないという、その最後の日、ゲルマンはスペードの1を引き当て、「やった!」と叫ぶと、賭博場の棟梁、チャカリンスキーが「いや、女王の負けと存じますが」と冷静に言った。
ゲルマンが見ると、「1」をひいたと思った自分の手から「スペードの女王」が目をすぼめて微笑んだ。
「あいつだ!」とゲルマンは絶叫し、そのまま気が狂って精神病院に入った。
という小説。
この作品が発表された1834年以来、欧州の賭博場では「3、7、1」ばかり張られていたそうだ。
さもありなん。
伊右衛門のノイローゼともとれる、南北の「四谷怪談」同様、「スペードの女王」も、超自然とも、ゲルマンの妄想ともとれる「両面性」が、やはりすごいのだろう。
前の戦争中、日系アメリカ人、数万人が収容所に入れられたが、そのときに身の回りの品々で作った日用品や嗜好品を展示した展覧会を日本にもってきたもので、「尊厳の芸術」と訳されているが、本質は「アート・オブ・ガマン」、「我慢の芸術」こそ言い得て妙であると、前回強調したのだが、今回、脚本家の倉本聡がコメンテーターか何かで出ていて、面白いことを言っていた。
曰く「自分はプロの脚本家だけれど,彼らの仕事を見ると、プロとは何か,アマとは何かと考えてしまう」と。
もちろん、彼ら、収容所に入れられた人々は,プロの指物師ではないし,画家でも、彫刻家でもないから、アマということになる。
しかし直感的に思ったことは、そう見えるのは外見だけで,実際は、彼らこそプロの指物師であり,画家であり、彫刻家なのだ。
しかしそれは、必ずしもいい意味ばかりではない。
彼らは「我慢のプロ」、すなわち「奴隷の末裔」という意味で,プロなのだ。
なんでこんなへそ曲がりなことを考えたのかというと、「アート・オブ・ガマン」は、Eテレの「日曜美術館」で見たのだが,その後、ローレン・マゼール指揮の、ワーグナー「ニーベルンゲンの騎士」が流れ、ニーチェのことを連想してしまったのだ。
周知の通り,ニーチェは若い頃は熱狂的なワーグナーファンだったが、その後、ワ-グナー批判に転じた。
その解釈、理由については様々だと思うけれど、私は,ニーチェはワーグナーの芸術を「アート・オブ・ガマン」の極致と見たのではないかと思う。
じゃあ、アマチュアとは何かというと、どうしても古代ギリシャの、生活は奴隷にまかせ、自分は政治や芸術や学問に没頭した「自由市民」たちをイメージしてしまうが、「アート・オブ・ガマン」の両面性を常に意識して,その上に立つこと、ぐらいしかわからない。
倉本聡は、「彼ら(収容された日系人)には時間が無限にあったから」みたいなことを言っていて、そのとき、なんか「ひらめいた」ような気がしたのだが,竜頭蛇尾でした。
プーシキンの「スペードの女王」,読了。
といっても、ごくごく短編なのだが、ものすごく面白い。
ゲルマンという賭博好きの将校が主人公で、90近い老いた伯爵夫人がカード賭博に勝利する秘密の数字を知っていることを聞き、その居間に忍び込んで、ピストルで脅して、その数字を教えろと迫る。
貴婦人は,びっくりして死んでしまう。
その数日後、葬儀の後、ゲルマンが自室で、良心に脅かされつつ,苦悶していると、その伯爵夫人が現れ、「自分の意志で来たのではないが、尊い人に言われてきた」と言って,秘密の数字「3,7、1」を教わる。
ゲルマンは勇んで賭博場に赴き、カード賭博で、二日連続で大金を稼ぐ。
教えた数字は一回しか使えないという、その最後の日、ゲルマンはスペードの1を引き当て、「やった!」と叫ぶと、賭博場の棟梁、チャカリンスキーが「いや、女王の負けと存じますが」と冷静に言った。
ゲルマンが見ると、「1」をひいたと思った自分の手から「スペードの女王」が目をすぼめて微笑んだ。
「あいつだ!」とゲルマンは絶叫し、そのまま気が狂って精神病院に入った。
という小説。
この作品が発表された1834年以来、欧州の賭博場では「3、7、1」ばかり張られていたそうだ。
さもありなん。
伊右衛門のノイローゼともとれる、南北の「四谷怪談」同様、「スペードの女王」も、超自然とも、ゲルマンの妄想ともとれる「両面性」が、やはりすごいのだろう。