パラドクスの小匣

南原四郎、こと潮田文のブログです。

ピザ屋、爆死!

2006-04-28 14:04:19 | Weblog
 「アンビリーバボー」で、首に時限爆弾をつけられて銀行強盗を強要されたピザ屋の店員の話を見る。
 これは、事件発生当時、テレビで見たのだけれど、たぶん、「この後、彼はどうなったのか!」とナレーションが煽った後CMになったかしたためだと思うが、結局、結末はわからずじまいで気になっていたのだが、結局、「爆死」してしまったそうだ。南無阿弥陀仏。
 犯人は、自分の知性に過剰な自信を抱いている高校教師が、その自分の能力を世間に見せつける目的の殺人ゲームを思いつき、ピザ屋の店員を欺いてゲームにおいて爆死する役割を承諾させたというものらしい。つまり、ピザ屋の店員は、首につけられた爆弾を本物ではないと思っていた可能性があるらしいのだ。「らしい」というのは、その高校教師は自分にかせられた嫌疑を否認したまま、癌で病死してしまったためだ。

 深夜、バルセロナ対ミランのサッカー、ヨーロッパチャンピオンリーグ準決勝の再放送を見る。基本的に、どっちに勝ってほしいという気持ちがない上、結末を知っているわけだから、プレーそのものの質の高さとか、観客の声援の物凄さとかを見ることになる。実際、アナウンサーも、途中、しきりに10万人の大歓声の物凄さを強調していた。
 もう、20年以上前になると思うけれど、キャンディーズの解散コンサートが後楽園で開かれた時、そのファイナルの日に、後楽園近く……といっても、歩いたらたっぷり20分くらいはかかると思うけれど、神楽坂の坂上にある一軒家を二つの事務所がシェアリングして使っているその一つの事務所で「アラン」の編集をしていた。なんで、そんなところでやっていたかというと、そこにみのり書房にない器材があって、それが必要だったからだ。
 そんなことはどうでもよいのだけれど、せっせと仕事をしている時、「ウォー」という歓声が漏れ聞こえてきた。なんだろうと思って、持ち主に聞くと、「キャンディーズのラストコンサートを後楽園でやってんのよ。風向きで野球の時なんかもよく歓声が聞こえるわよ」とのこと。しかし、その後も何度かその事務所を使わせてもらったが、野球の歓声は聞こえた記憶がないから、やっぱり、あのラストコンサートは凄かったんだろう。

 話がそれたが、結局サッカーは、結末がわかっているので、チャンネルを替えたら、若いジュリーが、髪がまだあった杉浦直樹と向かい合って食事をしている様子を真横からフィックスカメラで撮っている。また「家族ゲーム」の真似かい、いいかげんにしてくれよと思ったら、その「家族ゲーム」の森田芳光監督の「ときめきに死す」という映画だった。いや、つまらん。正真正銘つまらん。森田に限らないが、日本映画にはなぜあんなに食事シーンが多いのだ。日本映画は基本的にホームドラマなので、どうしても食事が頻繁に出てくるのはしょうがないという面もあるが、だったらだったで、きちんと演出しろよと言いたい。ほとんどの場合、役者の演技力不足、または、監督の演出力不足をごまかすために役者にものを食わせているとしか思えない。
 ジュリーは、なんかおちょぼ口でなよなよと食べているので、杉浦と何かあったのか?と勘繰っちゃうし(もしかしたら、そうだったのかも)、本格役者の杉浦も、「ただ食べているだけ」。
 というわけで、改めて思ったのは、「家族ゲーム」の成功は、大部分、伊丹十三に帰するのではないか。あの、目玉焼きをねちょねちょ食べるシーン、あれなんか、森田の指示ではなく、伊丹自身のアイデアだろう。もし、あれが森田の演出だとしたら、「ときめきに死す」でも杉浦に何らかの指示を与えているはずだ。しかし、杉浦はすぐれた役者だけれど、伊丹みたいに自らアイデアを出すようなことはしないタイプなので、結果、「ただ食べるだけ」ということになってしまったと。まあ、推測だけれど。
 さてその後、場面が変わって、どこかの海岸。若い女が二人ビーチチェアに座って、また、無意味に何か食っている! それからも緊張感のない、だらだらとした場面が続く。これが「不条理」だの「森田調」なんだのとは言わせないぞというわけで、早々にスイッチを切ったのだが、先程調べたところでは、ジュリーは、殺し屋で、いざ実行という時に警察に捕まってしまうが、しかし、ジュリーは実は「囮」として雇われていたので、真犯人は別にいて……というラストが待っていたらしい。なんだか、ちょっと「ピザ屋」の事件と似ているような気がした。