パラドクスの小匣

南原四郎、こと潮田文のブログです。

派遣さん、いらっしゃ~い

2006-04-03 14:20:25 | Weblog
 読者、約一名来社。「久し振りですねえ、もう30になりましたか?」といったら、「もう、30半ばです」と。年寄りの発言だなあ。でも、若く見えますよ、実際。その後、派遣会社社員をしているということで、その話などでだらだら盛り上がる。
 ちょうど、その前の日に「朝生」の「格差社会」のテーマで派遣社員の待遇が話題になっていたわけだが、彼女の話を聞くと、月収20万後半は堅い感じで、年収百万にもみたないといった、「朝生」で話されていたほど酷いことはないようだ。その「月収20万後半」は「手取り」で、派遣会社が手数料として三割近く取っているそうだ。派遣先からの入金伝票がまちがって彼女のところに届いてしまったのでわかったそうだが、ちょっと取り過ぎではないか。
 いずれにせよ、派遣先会社が派遣社員を求める目的は、「簡単にクビにできる」など、管理上のメリットが主で、金銭的には正社員に近い対価を払っているのかもしれない。これからますます派遣業は盛んになるだろう。「入社後3年間は、簡単にクビにできる」という法律をめぐってゼネスト状態だというフランスも、「派遣社員」方式にすればいいのにと思う。
 ただ、問題は、日本の場合、「会社」がコミュニティーの代わりになっているところがあるので、「派遣さん」がそのコミュニティーの一員になるのが難しいとしたら、彼、彼女たちは自分たちのコミュニティーをどこに求めたらいいかという問題があるかもしれない。
 しかし、派遣会社の取り分が三割近いという数字はどこから出ているのだろう。書籍販売における書店の取り分がちょうどそれくらいなので、単に日本社会の「商慣行」ということかもしれない。そういうところがある、この日本は。

 テレビで見た「ロード・オブ・ザ・リング」について、これが「指輪物語」であることを確認。そうじゃないかと思っていたのだ(笑)。もっとも、半分くらい見て、やめてしまった。ストーリーを追うのが面倒臭かったからだが、そのあらましを彼女から聞いて、納得。「ロード・オブ・ザ・リング」を楽しく見るには、「指輪物語」を知らなければ、無理だ。じゃあ、指輪物語マニアにとっては、名作かというと、そうでもないだろう。

 翌々日、「チャーリーズ・エンジェル」を、これまたテレビで見る。どうせ「CGだらけのアクション映画」だろうと思っていたのだが、CGは必要なところのみに限っていたし、案外面白かった。最初のうち、なんとなく「ハリウッド」に対するオマージュ映画のような感じがしたのだが、実際、ラストシーンはハリウッドのアカデミー会場が舞台だったし、豪華な映画館のステージで最後の格闘が演じられるし(「最後の」、ではなかったかな?)。
 要するに、「チャーリーズ・エンジェル」のメッセージは「映画を楽しみましょう」であって、一方、「ロード・オブ・ザ・リング」のメッセージは「『指輪物語』を楽しみましょう」なのだ。
 ちなみに、見ていて、萬田久子をどこかで見たかった感じがした。でも、エンジェルをやらせるにはちょっと歳くっているし(若ければ、ばっちりだろう)、敵役の元チャーリーズ・エンジェルには冷徹さが足りなさそうだし、結局、「脇で笑いを取る」といったところか。

 本棚を整理していて、吉本隆明の『私の戦争論』を見つけ、ぱらぱらと読んだが、改めてびっくり。和歌山の毒入りカレー事件を、フェミニズム犯罪だとか言っている。反論すれば、吉本は、「原理的にはそうなのです」とか答えるのだろう。しかし、この吉本流「原理主義」も、4、5年前までは納得する人もそれなりにいたかも知れないが、今はもう無理だろう。
 そもそも吉本は、オウム事件を「戦後最大の事件」と位置付けている。しかし、私には松本も上祐もコメディアンにしか見えず、吉本の評価がわからなかったのだが、今回の流し読みでなんとなくわかった。つまり、「権力奪取」という左翼としてのアイデンティティに関わる問題をすっかり忘れ去っていた戦後左翼を、オウムは実際に実行に移す(サリンの散布)ことで乗り越えてしまった。それなのに、左翼は「乗り越えられた」ことにも気づいていない、といった理屈らしい。あれれ?……ということは、オウム事件は、「左翼の没落を決定づけた」という意味で、「戦後最大の事件」だと、彼は言っているのか? だとしたら、私には関係ないことだし、「わからなかった」のも当たり前ということになる。
 いずれにせよ、吉本はかつて新左翼の理論を支える思想家だったが、その後、一見消費社会万歳的言動で、あたかも「転向」したかごとき印象だったが、実際は全然そうではなく、極めてラジカル(原理的)な左翼としての立場を模索しているのだ(今さら言うまでもないことだが)。
 まあ、それはそれで構わないのだけれど、北朝鮮からミサイルが日本本土に飛んできたら、まず、「誤まって飛ばしたのか、それとも本気か?」と北朝鮮当局に確かめろてのはあんまりじゃないの?(笑) まあ、実際にテポドンミサイルが日本上空を通過した際、朝日新聞が「一発だけなら誤射の可能性もあるから反応は慎重に」と社説に書いて、未だに一部(2ch)で語り草になっているわけだが、あれは、吉本先生のパクリだったのかも。
 それから、吉本ではないけれど、中国の老子の反文明的ユートピアを是とする新左翼の論客がいたり。老子は聖、知、仁、義といった人間の徳目とされる事柄も、それ故に争いが生じるのだとして排し、「鶏犬の声が相聞こえる」ような村落共同体のなかで各々、「見ざ、言わざる、聞かざる」状態のまま、「老死にいたるまで相往来せず」が良いのだと言ったのだが、吉本は、戦後復員した時、「国家なんかなくてもみんな何とか生きていけるんだと思った」ことを自分の思想活動の原点としてしきりに強調しているから、つまるところ、この老子の思想に帰着するのかもしれない。
 実際のところ、「発展は不必要、現状を維持できれば良い」というこの思想は、社会主義者の中に牢固として潜んでいるように思う。たとえば、「西側が競争をしかけなければ、ソ連も生き残ることが出来たはず」という社会主義者は今でも多いが、それをつきつめれば、「発展、進歩」が何故必要なのかという根本的疑問に突き当たり、とどのつまりは老子のユートピアに行き着きそうだ。現に、小田実なんか、その方向だし。でも、ソ連が滅んだのは、チェルノブイリの原発事故が原因だし(ゴルバチョフが明言していた)、その後、原発だけでなく、社会主義各国の「公害」のさんたんたる状態が暴かれた。公害の解決は社会主義体制下でなければできない、資本主義体制では無理、と3、40年前、彼らが盛んに言っていたことなのだが。
 ……皆さん、興味のなさそうな話ですんません。