序論
啓示と条約としての律法
p6~
The Law as Revelation and Treaty
INTRODUCTION
The Institutes of Biblical Law
Rousas John Rushdoony
◇◇
旧約は律法の書であり、新約は恵みの書であるという伝統的な分け方は誤り。
まったく根拠がない。
旧約において、恵みとあわれみは律法の前提。
新約の出来事において示されている神の恵みと愛は、新しい契約が規定している法的義務の範囲内で起こっている。
旧約聖書には、律法の発達には長い歴史があったことを示す証拠が含まれている。
これは、律法の位置について十分な理解が得られる以前に評価しなければならない。
パウロがガラテヤ書やロ-マ書において為した律法批判は、旧約聖書の律法理解に対してではなく、それとは異質の律法解釈に対して向けられていた。
コメント:
マタイ7:12原典c
・・οὗτος γάρ ἐστιν ὁ νόμος καὶ οἱ προφῆται.
黄金律と呼ばれる聖句であるが、前半は以前に考察したことがある。
今回注目したい箇所は最後の文章。
律法と訳された単語は、ὁ νόμοςで、ὁは定冠詞、νόμοςが法という意味の男性名詞。
言い換えると、νόμοςの頭に定冠詞ὁが付されて、初めて「(旧約)律法(the Law) 」という意味になる。
このことを念頭に置いて、詳細に新約聖書に目を通していく。
こちらのサイトを見て欲しい。
→3551. nomos
右欄を見ると、日本語訳において、「律法」と訳された単語を含む福音書聖句が列記されている。もちろん律法とは旧約律法であるが、以下ὁ νόμοςを、広く解釈して「聖書律法」という意味で捉えることにする。
使われている単語νόμοςは、例外なく定冠詞付き。または、主の(律)法。
これらの聖句に登場するὁ νόμοςは、文意から「聖書律法」という意味以外にあり得ない。つまり、νόμοςを「聖書律法」the Lawと訳出するためには、定冠詞が必要であるということが分かる。
続いて、左欄を見ていく。
無冠詞で使用されているνόμοςは、a lawと訳出しておく。
左欄には主にパウロの手紙においてνόμοςが使われている聖句が引用されている。
よく見ると、パウロの書簡において使用されているνόμοςは、定冠詞のない状態で使用されている場合が目立つ。
上から適宜、定冠詞ὁの付かないνόμοςが使用されている聖句を見ていきたい。
ローマ9:31直訳
But Israel, which followed after a law of righteousness,
hath not attained to a law of righteousness.
原典を見ると、νόμοςに形容詞がかかっているのもかかわらず、定冠詞ὁが付されていない。直訳すると「義の法」であり、聖書律法ではない。簡単に説明すると、「当時のイスラエルが義と考えていた律法のようなもの」と理解するのが一番分かりやすい。次の聖句を読むと、「つまずきの石」とあるが、これと同義か。
ヘブル7:16直訳
Who is made, not after a law of a carnal commandment,
but after the power of an endless life.
この聖句に出てくるνόμοςも無冠詞で使用。「肉の命令の法」と書いてあり、「聖書律法」という意味はない。
日本語訳では、文法を無視してνόμοςを単純に「律法」と訳出しているので注意が必要。
ガラテア2:19
For I through a law am dead to a law,
that I might live unto God.
この聖句は極めて重要。νόμοςに定冠詞は付されていない。つまり、聖書律法という意味ではない。「ある法」という意味。
パウロは律法に従ってクリスチャンを迫害した。しかし、その律法とは、聖書律法ὁ νόμοςではなかった。パウロが勝手に彼のオツムの中で創り上げた律法モドキだった。この律法モドキ(a law)に死んだと書いてある。
律法モドキを通過して、律法モドキに死んだ。
私は聖書律法のかけらすら分からない全くの愚か者だったと嘆く。
律法モドキとは、自分が勝手に創り上げた聖書解釈であり、己れが神であるヒューマニズム(人間教)に良く似ている。
ローマ2:23直訳
Thou that makest thy boast of a law,
through breaking the Law dishonourest thou God?
人間教を誇るということは聖書律法違反であり、神を侮っているということがなぜ分からないのか
2行目のνόμοςはτου νομου とあり定冠詞付き。よって「聖書律法」と訳した。
ガラテア2:21直訳
I do not frustrate the grace of God:
for if righteousness come by a law,
then Christ is dead in vain.
この聖句も極めて重要。
私は神の恵みを決して無にしない
もしも義が人間教を通して(ある)なら
キリストは無駄死にしたことになる
啓示と条約としての律法
p6~
The Law as Revelation and Treaty
INTRODUCTION
The Institutes of Biblical Law
Rousas John Rushdoony
◇◇
旧約は律法の書であり、新約は恵みの書であるという伝統的な分け方は誤り。
まったく根拠がない。
旧約において、恵みとあわれみは律法の前提。
新約の出来事において示されている神の恵みと愛は、新しい契約が規定している法的義務の範囲内で起こっている。
旧約聖書には、律法の発達には長い歴史があったことを示す証拠が含まれている。
これは、律法の位置について十分な理解が得られる以前に評価しなければならない。
パウロがガラテヤ書やロ-マ書において為した律法批判は、旧約聖書の律法理解に対してではなく、それとは異質の律法解釈に対して向けられていた。
コメント:
マタイ7:12原典c
・・οὗτος γάρ ἐστιν ὁ νόμος καὶ οἱ προφῆται.
黄金律と呼ばれる聖句であるが、前半は以前に考察したことがある。
今回注目したい箇所は最後の文章。
律法と訳された単語は、ὁ νόμοςで、ὁは定冠詞、νόμοςが法という意味の男性名詞。
言い換えると、νόμοςの頭に定冠詞ὁが付されて、初めて「(旧約)律法(the Law) 」という意味になる。
このことを念頭に置いて、詳細に新約聖書に目を通していく。
こちらのサイトを見て欲しい。
→3551. nomos
右欄を見ると、日本語訳において、「律法」と訳された単語を含む福音書聖句が列記されている。もちろん律法とは旧約律法であるが、以下ὁ νόμοςを、広く解釈して「聖書律法」という意味で捉えることにする。
使われている単語νόμοςは、例外なく定冠詞付き。または、主の(律)法。
これらの聖句に登場するὁ νόμοςは、文意から「聖書律法」という意味以外にあり得ない。つまり、νόμοςを「聖書律法」the Lawと訳出するためには、定冠詞が必要であるということが分かる。
続いて、左欄を見ていく。
無冠詞で使用されているνόμοςは、a lawと訳出しておく。
左欄には主にパウロの手紙においてνόμοςが使われている聖句が引用されている。
よく見ると、パウロの書簡において使用されているνόμοςは、定冠詞のない状態で使用されている場合が目立つ。
上から適宜、定冠詞ὁの付かないνόμοςが使用されている聖句を見ていきたい。
ローマ9:31直訳
But Israel, which followed after a law of righteousness,
hath not attained to a law of righteousness.
原典を見ると、νόμοςに形容詞がかかっているのもかかわらず、定冠詞ὁが付されていない。直訳すると「義の法」であり、聖書律法ではない。簡単に説明すると、「当時のイスラエルが義と考えていた律法のようなもの」と理解するのが一番分かりやすい。次の聖句を読むと、「つまずきの石」とあるが、これと同義か。
ヘブル7:16直訳
Who is made, not after a law of a carnal commandment,
but after the power of an endless life.
この聖句に出てくるνόμοςも無冠詞で使用。「肉の命令の法」と書いてあり、「聖書律法」という意味はない。
日本語訳では、文法を無視してνόμοςを単純に「律法」と訳出しているので注意が必要。
ガラテア2:19
For I through a law am dead to a law,
that I might live unto God.
この聖句は極めて重要。νόμοςに定冠詞は付されていない。つまり、聖書律法という意味ではない。「ある法」という意味。
パウロは律法に従ってクリスチャンを迫害した。しかし、その律法とは、聖書律法ὁ νόμοςではなかった。パウロが勝手に彼のオツムの中で創り上げた律法モドキだった。この律法モドキ(a law)に死んだと書いてある。
律法モドキを通過して、律法モドキに死んだ。
私は聖書律法のかけらすら分からない全くの愚か者だったと嘆く。
律法モドキとは、自分が勝手に創り上げた聖書解釈であり、己れが神であるヒューマニズム(人間教)に良く似ている。
ローマ2:23直訳
Thou that makest thy boast of a law,
through breaking the Law dishonourest thou God?
人間教を誇るということは聖書律法違反であり、神を侮っているということがなぜ分からないのか
2行目のνόμοςはτου νομου とあり定冠詞付き。よって「聖書律法」と訳した。
ガラテア2:21直訳
I do not frustrate the grace of God:
for if righteousness come by a law,
then Christ is dead in vain.
この聖句も極めて重要。
私は神の恵みを決して無にしない
もしも義が人間教を通して(ある)なら
キリストは無駄死にしたことになる