みことばざんまい

聖書を原典から読み解いていくことの醍醐味。この体験はまさに目からウロコ。

#454 神の法序論

2019年11月18日 | 神の法
序論
啓示と条約としての律法
 
p7~
The Law as Revelation and Treaty
INTRODUCTION
The Institutes of Biblical Law
Rousas John Rushdoony

◇◇

クラインは、ヘブル人への手紙9章16、17節を分析する際に、契約的経倫に関して次のように述べている。

提示された図の中で、キリストの子どもたち(参照2・13)がキリストの宇宙的支配を永遠のゆずりとして相続している様子が描かれている(9215b、次も参照のこと1・14、2・5以降.、6・17、11・7以降.)。メシア的な仲介者=遺言者の不思議は偉大なものであった。子どもたちが継承すべき王の相続は、本来王の死後にはじめて有効になるはずであるが、この場合は、生ける遺言者との共同摂政政治によって管理されるのだ!というのは、(この翻訳のヘブル9章16、17節が提供する象徴学的指示に従えば、)イエスは、死んだモーセと相続者ヨシュアの両方の役割を演じているからだ。名実共に「復活した」王なる仲介者イエスは、復活の力と昇天の栄光によって神の王朝を受け継いだ。

神はアダムに、地を支配せよと命じられた。

この命令の目的は、神の継続的契約の言葉の中に残った。

人間は、神の似姿として造られ、神の御名によって地を従え、地を支配するように召された。

それゆえ人間は、贖われ、再生した時に、この任務と特権に再び召された。

(聖書)律法は、クリスチャンとキリスト教社会のための法であるということができる。

クリスチャンはどのような種類の法を持とうと構わないといった見解ほど致命的で、怠慢なものはない。

カルヴァンは、この点においてその古典的ヒューマニズムに毒されている。

国家の法と市民政府について彼は次のように述べている。

国家はどのような法を神の御前で敬けんに用いることができるのか、また、国家はどのような法によって人々の間で正しく治められ得るのか短く述べてみたい。もし、「多くの人々が危険な誤謬に陥っているのは実にこの点においてである」ということを知らなかったならば、私はこのことすらも行わずに黙って通り過ぎたことだろう。というのも、モーセの政体を無視し、諸国民の普通法によって治められている国家が、うまく成り立っていることを否定する者が中にはいるからである。この意見の持つ危険かつ煽動的な性質については他の人々の研究に委ねることにする。私としては、それが誤りであり馬鹿げたことであることをはっきりさせるだけで十分であると思う。

この様な考えは、カルヴァンとルターの群れ、そして、ほとんどすべての教会が共通に信じている。

それは異教的ナンセンス。

カルヴァンは「諸国民の普通法」を好んだ。

しかし、彼の時代の諸国民の普通法は、(ロ-マ法によってかなり薄められてはいたが)聖書律法であった。

そして、この「諸国民の普通法」は、新しい宗教「ヒューマニズム」を次第に証言するようになった。

カルヴァンはキリスト教の確立を目指していたのであるが、実現できなかった。

聖書律法によらなかったために、ジュネーブでの彼の改革は長続きすることはなかった。

コメント:

改革派神学の第一人者であるカルヴァンが、人間教(の前身)に毒されていたという事実はかなりの驚きだ。