みことばざんまい

聖書を原典から読み解いていくことの醍醐味。この体験はまさに目からウロコ。

#453 神の法序論

2019年11月13日 | 神の法
序論
啓示と条約としての律法
 
p7~
The Law as Revelation and Treaty
INTRODUCTION
The Institutes of Biblical Law
Rousas John Rushdoony

◇◇

地を所有される神が、イスラエルをご自身の所有の民とされる(出エジプト19:5)。

選びの恵みと導きの基礎の上に、律法が与えられた。

だから、出エジプト記20章2節には、選びの事実が先ず記されている。

律法において、人間の全的生活が秩序づけられている。

内面的生活と外面的生活の間に大きな区別はない。

人々の聖なる召しはその両方において現実化されなければならない。

聖書の律法(すなわち契約)の第三の特質は、それが神の下における支配の計画を設定している点にある。

アダムは神の啓示、すなわち神の法にしたがって正しい支配を実行するように神によって召された(創世記1:26~、同2:15~17)。

人間の堕落後にも、同じ召しが神の系列、すなわちセツの系列に与えられた。

ノアにおいて、この召しは正式に更新された(創世9:1~17)。

アブラハムに与えられ、続いて、ヤコブに、モーセによってイスラエルに、ヨシュア、ダビデ、ソロモン(彼の書いた箴言は律法を繰り返し宣言している)、ヒゼキア、ヨシア、そして最後にイエス・キリストに与えられた。

聖餐の礼典は、契約の更新。

これは新しい契約を示す私の血。

礼典は自ら、新しく選ばれた民のなかで、律法を再び確立する。
(マタイ26:28、マルコ14:24、ルカ22:20、第一コリント11:25)。

律法の民は今やキリストの民、キリストの贖いの血によって救われ、その至高的選びによって召された民となった。

コメント:

再度確認しておきたい。

聖書律法が与えられた理由は、選びの民であるイスラエルが祝福の中を歩むことができるためであった。つまり、この世から聖別(分離)されるために与えられた契約。

神によって命ぜられた生活の秩序、つまり生活指針。

単純に生活指針であるなら、神と人間を取り持つ仲介者とはなり得ないし、人間が神のみ前で義と認められるための義認の手段にもなり得ない(前エントリー参照)。

現世において神の祝福を受けつつ生物学的生命を満了するために与えられた契約。

従って、(モーセ)律法は義を与えるのかとか、永遠の生命を与えるのかという議論は全くナンセンスなのだ。

*最後の文章に変更点あり。(聖書)律法→(モーセ)律法