第2コリント10章4節
私たちの戦いの武器は
肉の物ではなく
神の御前で
要塞をも破るほどに力のあるものです
>神の御前で
とある。
神の御前で力がある
とはどういうことか。
神の御前でなければ力がない
ということか。
原典を見ると
δυνατα τω θεω
と書いてある。
δυναταとは
δυνατός;
dunatos
doo-nat-os'
From G1410; powerful or capable (literally or figuratively); neuter possible: - able, could, (that is) mighty (man), possible, power, strong.
という意味の形容詞。主格複数で使われている。よって主語は οπλα(武器、複数)。
この形容詞は、目的語として与格を要求するので、τω θεω(神に)となっているのだろう。日本語はもちろん、英語にもこのような文法はないので、英語訳においても混乱が見られる。
いろいろ瞑(迷?)想するに
神にエネルギー(パワーの)源を有する
という訳出がうまく原典を表現しているように思う。
前節3節の「肉にあって」という訳もなんとも不明確な訳出。
「肉の中で」と素直に訳せばいい。
我々は肉の中で歩んでいるが
本体は霊
よって
肉に従って戦うのではない
私たちの戦いの武器(複数)は
肉(この世)にではなく
神にパワーの源を有する
霊的領域に存在する
サタン、その支配下にある霊、敵に完全に乗っ取られた肉を叩き潰す武器は神のパワーの中にあるということ。
この聖句をもって、考察を開始する。
私たちの戦いの武器は
肉の物ではなく
神の御前で
要塞をも破るほどに力のあるものです
>神の御前で
とある。
神の御前で力がある
とはどういうことか。
神の御前でなければ力がない
ということか。
原典を見ると
δυνατα τω θεω
と書いてある。
δυναταとは
δυνατός;
dunatos
doo-nat-os'
From G1410; powerful or capable (literally or figuratively); neuter possible: - able, could, (that is) mighty (man), possible, power, strong.
という意味の形容詞。主格複数で使われている。よって主語は οπλα(武器、複数)。
この形容詞は、目的語として与格を要求するので、τω θεω(神に)となっているのだろう。日本語はもちろん、英語にもこのような文法はないので、英語訳においても混乱が見られる。
いろいろ瞑(迷?)想するに
神にエネルギー(パワーの)源を有する
という訳出がうまく原典を表現しているように思う。
前節3節の「肉にあって」という訳もなんとも不明確な訳出。
「肉の中で」と素直に訳せばいい。
我々は肉の中で歩んでいるが
本体は霊
よって
肉に従って戦うのではない
私たちの戦いの武器(複数)は
肉(この世)にではなく
神にパワーの源を有する
霊的領域に存在する
サタン、その支配下にある霊、敵に完全に乗っ取られた肉を叩き潰す武器は神のパワーの中にあるということ。
この聖句をもって、考察を開始する。