みことばざんまい

聖書を原典から読み解いていくことの醍醐味。この体験はまさに目からウロコ。

Coffee Break, #274

2018年11月03日 | コーヒーブレイク
第2コリント10章4節
私たちの戦いの武器は
肉の物ではなく
神の御前で
要塞をも破るほどに力のあるものです

>神の御前で

とある。

神の御前で力がある

とはどういうことか。

神の御前でなければ力がない

ということか。

原典を見ると

δυνατα τω θεω

と書いてある。

δυναταとは

δυνατός;
dunatos
doo-nat-os'
From G1410; powerful or capable (literally or figuratively); neuter possible: - able, could, (that is) mighty (man), possible, power, strong.

という意味の形容詞。主格複数で使われている。よって主語は οπλα(武器、複数)。
この形容詞は、目的語として与格を要求するので、τω θεω(神に)となっているのだろう。日本語はもちろん、英語にもこのような文法はないので、英語訳においても混乱が見られる。

いろいろ瞑(迷?)想するに

神にエネルギー(パワーの)源を有する

という訳出がうまく原典を表現しているように思う。

前節3節の「肉にあって」という訳もなんとも不明確な訳出。

「肉の中で」と素直に訳せばいい。

我々は肉の中で歩んでいるが
本体は霊
よって
肉に従って戦うのではない
私たちの戦いの武器(複数)は
肉(この世)にではなく
神にパワーの源を有する
霊的領域に存在する

サタン、その支配下にある霊、敵に完全に乗っ取られた肉を叩き潰す武器は神のパワーの中にあるということ。

この聖句をもって、考察を開始する。




Coffee Break, #273

2018年11月03日 | コーヒーブレイク
マタイ26章74節
すると彼は
そんな人は知らない
と言って
のろいをかけて誓い始めた
するとすぐに
鶏が鳴いた

誤訳はない。

>のろいをかけて誓い始めた

と書いてある。

ここまでペテロに言わせた理由は何か。

命乞い。

命乞いの理由は何か。

恐れ。

恐れは何処から来るのか。

敵の霊サタンから。

極めて狡猾、かつ残忍だ。

キリスト者であれば、対処方法は熟知しているはずだ。

しかし、何故我々はくり返し敵の侵入を許してしまうのか。