みことばざんまい

聖書を原典から読み解いていくことの醍醐味。この体験はまさに目からウロコ。

#419 神の法第三戒

2019年09月25日 | 神の法
第3戒
誓約と社会
 
p114~
The Oath and Society
The Third Commandment
The Institutes of Biblical Law
Rousas John Rushdoony

◇◇

イングラムは、異端とこの命令との関係を強調しているが、これは大変真実をついている。

異端の教えを受け入れ、バプテスマや任職の誓いを否定する教会員や教職者は、自分が立てた誓いに違反している。

さらに、異端者は、実に高慢にも、私には間違う権利があると主張する。

今日、多くの国々で、また、いくつかのアメリカの州で、就任宣誓文や証人宣誓文の中から神の御名が削除されている。

このことは、宣誓就任する人はその役職の本質的職務や法律を守る責任を神に対して負わなくてよいということを意味する。

彼の厳かな誓いは神に向けられているのではなく、己に向けられている。

そうすれば、法律を変えた方が自分にとって都合がいいとか、法律より自分の意見の方が優れていると感じた場合にそれを守らなくてもすむ。

アメリカの政体の重大な変化は、合衆国憲法に基本的な変更が加えられなかった時期に起こった。

これは、法律の文字と精神よりも、人々や党の政治的意思の方が重んじられていることを意味している。

今日でも、証人は真実を残らず語り尽くさなければならない。

ただし、それは神と何らの関わりも持たない真実である。

このことは、「真実」の定義は自分勝手に変えることができるということを意味する。

事実、「真実」には恣意的な定義が与えられている。

神の御名によって誓う誓いは、神が万物の源、万物における唯一まことの基礎であることを法的に認めることにほかならない。

そのような宣誓によって、国家は、神の権威の下に、また、神の法の下に堅く立つ。

宣誓文から神の名を削除したり、宣誓を軽い気持ちや不誠実な心構えで行うことは、神からの分離・独立を宣言することに等しい行為であり、新しい神々、つまり、背信的人間とその全体主義的国家の名において神に宣戦布告することにほかならない。

現代のアメリカにおいて、宣誓は、神と無関係に存在し、実用主義(今日の学校が教え、国家と連邦政府が支持している信仰)に基づいて解釈されている。

実用主義において、真実とは「役立つ事」でしかない。

このような「真実」しか持ちえない社会の行く末は、革命か無政府状態しかない。

これは神に対する戦いを意味するだけではない。

万人が自分の周囲の人々に対して戦わなければならないということを意味する。



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