みことばざんまい

聖書を原典から読み解いていくことの醍醐味。この体験はまさに目からウロコ。

#25 基礎教理 by Reformed Theologians

2022年10月13日 | 基礎教理

What Is Faith?: Basic Training with R.C. Sproul
https://www.youtube.com/watch?v=xuXO82T7Kpo&t=1s


訳出時間枠:23分13秒から最後まで
◇◇

聖書テキストにおける正しい意味はただひとつしか存在しないということを念頭に置きながら、改革派神学基礎教理を学ぶ。

◇◇

聖書信仰には少なくとも3つの異なる要素があると言われています。

ラテン語では4つ目も存在します。

最初に、notaeと呼ばれる要素、つまり英語だと単純にデータという要素。

義認は信仰のみによると言う時、あなたが正直である限りあなたが何を信じてるのかは問題にならないと思いますか。

月はグリーンチーズでできていると私が信じているのだから、神の臨在下で私は義とされるのでしょうか。

それが信仰でしょうか。

それは信念(belief)、私がそう信じているだけ。

その要点というのは、キリスト教の要点ではありません。

新約時代の教会において強調されている要点がありました。

キリストは神の御子であるということ。

キリストは救い主であるということ。

キリストはあなたの罪のために死なれたということ。

キリストは死者からよみがえったということ。

使徒たちはそのことを宣べ伝え、人々にそのことを信じるように命じたのです。

さて、そのことに服従し、そのことを信じることができる前に、まず最初に、私の頭の中でそのことを理解できる必要がありました。

つまり、情報、内容です。

信仰の第2相(要素)は、同意(assensus)と呼ばれる要素です。

つまり、知的同意、知性による賛同。

レイ、あなたはジョージ・ワシントンがアメリカ合衆国の初代大統領であることを信じますか。

信じますか。

OK、分かりました。信じるのですね。

さて、自分の救い主として、個人的にジョージ・ワシントンを信じるのかどうかを聞いたたわけではありません。

歴史的事実関連としてあなたに聞いただけであります。

ジョージ・ワシントンが初代大統領だったことは本当だったと思いますか。

はい、それが事実であると私は信じます。

私はその提案に同意します。

そこで、初期のクリスチャンは次のように言ったのです。

「イエスは神の御子であるとあなたは信じますか。」

いいえ、私は信じませんという人もいた。

ある人は「いいえ、信じません」と言い、ある人は「はい、信じます」と言った。

しかし、あなたをクリスチャンと認めるために、それだけで十分でしょうか。

聖ヤコブが突き止めようとしていたことはそれでした。

最初の人々は、イエスの実体は悪魔であると理解している人々でした。

彼らはイエスが誰か知っていました。

もしもサタンに事の次第を聞いたなら、イエスは神の御子であると思えるだろうか。

サタンはウソつきであるという事実を除いて、確かにサタンはそう言うだろう。

サタンはそのことを憎んでいました。

そんなわけで、ルターや改革派クリスチャンは、第3の相(要素)として、fiducia(信頼)と呼ばれるものが必要だと言ったのです。

fiduciaとは個人的な信用と甘受という意味であります。

これは、意志や心に関連します。

エドワードはこれを宗教的愛情と呼びました。

つまり、私はキリストを愛し、慕い求めるということ。

かつて、私はキリストから切り離されていて敵対していました。

しかし、私が知りたいのは「私は愛する」と言う時、それは「私は心から受け入れます」ということであり、「私はキリストの勝利と大成功を受け入れます」という意味なのです。

信仰の告白とはそういうことです。

「信条を暗唱しましょう、それは良いことだから」と言っているのではありません。

大事なことは、信仰とは知的同意以上のことであるということであります。

信仰とは認識以上であるということ。

もう一度言います。

信仰とは認識以上、知的な同意以上であり、決してそれ以下ではないということ。

残りのセッションを利用して、初代キリスト教会にさかのぼり、古典的主流派キリスト教に従って、キリスト教信仰とは何かを検討したいと思います。

使徒信条の真意は宗派の境界を越えています。

ルター主義、メソジスト派、バプテスト派、長老派などすべての宗派の違いを問いません。

何故なら、教会史を通して、すべてのクリスチャンが確信している古典的情報は、使徒信条の中に見出すことができるからです。

次のセッションでそのことを見てみようと思います。

 

 

 

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