みことばざんまい

聖書を原典から読み解いていくことの醍醐味。この体験はまさに目からウロコ。

#411 神の法第三戒

2019年09月14日 | 神の法
第3戒
呪誓(誓い)と革命
 
p110~
Swearing and Revolution
The Third Commandment
The Institutes of Biblical Law
Rousas John Rushdoony

◇◇

しかし、西洋社会において、そのような呪誓が非常に大きな位置を占め、文学や芸術においてリアリズムを構成しているならば、それは秩序を転覆させ、宗教的な性質を持つものであると言うことができる。

モンタギューはこのような冒涜は健全であると述べている。

英語の health[健康] と salvation [救い](ラテン語で salus, salve は「健康」の意)は同義語。

呪誓は健全な社会的表現。

ジョン・ハリントン郷は、詩集『エピグラム』中の『誓いを否定する詩』において興味深いことを述べている。

モンタギューは、この詩を、誓い(oath)の発達に関する資料として引用している。

 
昔、慣わしでは、
重要な問題に関してミサの名によって宣誓が行われた。
しかし、(老人が気づいているように)ミサが重視されなくなると、
人々は、この同じ・・・の十字架の名によって誓った。
そして、十字架が同じように蔑まれると、
彼らの信仰の名のもとに、宣誓が行われた。
ついに信仰も真理も宣誓の手段とならなくなると、
「神が彼らを罰せられるように。」という呪いの言葉が決まり文句となった。
このように、どの誓いにも飾り言葉が付いていた。時代が進むにつれてその言葉は様々に変化した。
ミサも十字架も信仰も効力を失うと、「神罰の招来」が宣誓の手段となった。

 
ハリントンは、ここに宗教的進展があると指摘している。

この後、事態は大きく変化した。

主は、あなたの神、主の御名をみだりに唱えてはならないと宣言された。

この積極的な意味は、あなたの神、主の御名を正義と真実において使用しなさいということ。

消極的な意味は、他の神々や権力者の名を唱えてはならないということ。

どちらの場合であっても、ここには非常に多くの意味が含まれている。



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