みことばざんまい

聖書を原典から読み解いていくことの醍醐味。この体験はまさに目からウロコ。

#178 終末預言 キリストを専制君主にする終末論

2023年11月06日 | 終末預言 

 

 メシアニック・ジューは、律法の回復を唱えるにもかかわらず、前千年王国説の終末論を唱えている。

 近い未来にキリストが再臨し、神殿が再建され、千年王国が始まって、キリストはイスラエルから全世界を支配するという。

 これは非常に奇妙である。というのは、現在、世界の人口の大多数を占める非キリスト教徒たち、とくにヒューマニスト、イスラム教徒や日本人などは、キリストが王になることをまったく望んでいないからである。

 世界の大多数の人々が、まったくキリストを受け入れる準備もできていないのに、キリストが再臨され、支配を開始するとなれば、当然、強制と武力による以外にはないということにならないだろうか。

 イスラエルの神殿からキリストは、全世界の政府に命令を下し、キリストに反対する無数のイスラム教徒たちを黙らせるために、モサドなどの秘密警察を駆使して、テロ対策をするとでも言うのだろうか。

 それとも、キリストは全知だから、陰謀の芽をすぐに積むことができるから秘密警察など必要ないとでも?

 どちらにしろ、再臨のキリストの王国は、専制と全体主義になる以外にはない。

 「いやいや、再臨のキリストの神的威光を見れば、みなキリストに従いたくなるだろう。」

 しかし、もしそうなら、なぜキリストは初臨のときに、復活の栄光の姿で支配なさらなかったのだろうか。

 なぜ復活した後に、昇天せずに、そのままとどまってイスラエルから全世界を支配しようとなさらなかったのだろうか。

 そのほうが、よっぽど伝道になるのではないか?

 

 このような露骨な栄光の顕現や即物的な手段は、神の本性と矛盾している。キリストは、「見ずして信じるものは幸いなり。」とトマスに言われた。

「神は宣教の愚かさを通じて人を救うことをよしとされた。」という聖句と矛盾するこのような暴力的な終末論は早晩捨て去られるであろう。

 

 


#41 救いの達成 R.C. Sproul: What Is the Gospel? NO.2

2023年11月06日 | 救いの達成

先にタイトルのみアップした動画だが、大変重要な真理が含まれているので、主要部分を訳出しておこうと思う。

R.C. Sproul: What Is the Gospel?

15分40秒から23分20秒まで。

◇◇

それから脱穀用送風機を携えて、脱穀室へと向かう。

送風機はすでに持っている。

彼は殻と小麦の山の中にそれを置いて、風を起こし、殻から小麦を分ける。

危機の時が迫っており、その時間枠は「直ちに」「今すぐに「この時代に」。

「神の国はそこに来ているのに、あなたがたはまだ準備ができていない。」

一般庶民は彼のことばを喜んで聞いた。

しかし、宗教指導者たちは難色を示し、この教えに抵抗した。

ヨハネがバプテスマを授けていたある日のこと、自分のところに近づいてくる人を見た。

彼はその人を見て、「見よ、神の子羊。彼は世の罪を取り除く。」

私の後に来られるお方、私はその方のサンダルの帯を緩める価値もない。彼は大きくなっていき、私は小さくなっていく。あの人があのお方だ。

その時から、イエスは公に宣教を開始した。

彼がコミュニティに入って行なったメッセージは、ヨハネのそれと全く同じだった。

イエスは何と言ったか。

「悔い改めよ、神の国は近づいている。」

ある意味で、神の国はすでに存在している。

主である神はつねに天を支配している。

贖いの歴史である旧約聖書全体を通して、神は御国の到来を約束していた。

ユダヤ人はこの世における神の国の到来を期待していた。

実際に彼らが探し求めていたものは、神の国を実現するであろう王の到来だった。

地上に神の国を開始・発足させるであろう王の出現。

イエスがやってくると、ヨハネは「ここにそのお方がおられます。只今から神の国が始まる。」

イエスは中心テーマである神の国について宣べ続ける。

彼はたとえで神の国を宣べる。

「神の国とはこのようなもの。神の国はあのようなもの」と。

御国の特徴について話し続ける。

マタイ伝において、天の御国と書いているが、イエスは2つの御国があると言っているのではなく、マタイはユダヤ人のために書いているからであり、良く知られた回りくどい迂言的表現方法を使用しているからだ。

神の聖なる御名を使うのではなく、マタイは神の国の代わりに天の御国と言い換えたのだ。

このことにより、イエスは命を奪われた。

彼は権威の前に引きずり出された。

ピラトは「あなたのうわさは聞いている。彼らはあなたが王だと言っているが、本当か」と言った。

イエスは「あなたがそう言ったのです」と言った。

「私が王であることを信じなさい。」

しかし、私の国はこの世のものではない。

もしもこの世のものなら、私は天使と弟子たちを呼び寄せ、あなたは私に指一本触れることはできないだろう、ピラトよ。」

そして、イエスは死に、上げられた。

次いで、贖いの歴史において最も重要な出来事が起きた。

この事に関して、過去のプロテスタント主義者らは完全に無頓着だった。

すなわち、イエスの昇天。

イエスは弟子たちに「もう少しで、私はいなくなります。私が行くところにあなたがたは来ることができない。」

ペテロが反応して、「どこへ行かれるのですか。」

イエスはいなくなる理由を説明した。

父の家に行くのだと。

そして、弟子たちに理解できないことを言った。

「ここにいるよりもいなくなる方が、あなたがたにとっては良いことだということを理解しているか。」

今の教会は決してそうは思わない。

なぜなら、生きてイエスと会うことができた1世紀の弟子たちをねたんでいるから。

贖いに関して、弟子たちよりもはるかに条件の良い立場にいることが分からないのだ。

イエスがいなくなるという知らせに弟子たちは打ちひしがれた。

イエスは行く場所とそこに行く理由を説明した。

変容の山の時のように、弟子たちの感覚は変化した。

彼らは神の雲に見入っていた。

その雲はイエスを天へと上げていった。

神の栄光の輝きとともに。

王の王、主の主としてイエスを任命するために。

そして、弟子たちは大喜びでエルサレムに戻った。

イエスが昇天する前に弟子たちが聞いた最後の質問は、「ついにあなたはイスラエルに王国を回復されるのですか。」

イエスは言う、「王国を回復するのではないと何度言えばよいのか。違う。」

「時代については気にするな。あなたがたの知るところではない。しかし、あなたがたは私の証人となる。エルサレム、ユダヤ、サマリア、そしてこの地の外部に至るまで。」

ジョン・カルヴァンは次のように言った。

教会の唯一の目的は、今この地で、目には見えない神の国の証人となること。

まさに私が話しているこの瞬間、この世における最も大きな権威を握っているのは、アメリカ大統領でも、ロシアの総理大臣でもない。

今まさにこの時、その権威は、王の中の王、主の中の主であるイエスキリストの手中にある。

だからこそ、福音書記者たちは、神の国の福音について証言しているのだ。

しかしながら、神の国の良い知らせがイエスの人格と御業に焦点を当てているがゆえに、パウロの書簡が手に入る頃までには、福音の考えは御国の福音ではなく、イエスキリストの福音と呼ばれるようになった。